空の青 4月

新幹線の改札を抜けてコンコースを直進する。在来線の改札を抜けて広大なデッキに出ると風が冷たかった。

四月四日、木南寛が降り立った駅頭から真正面に真西に伸びている目抜き通りの焦点に立ち塞がっている山脈にちょうど夕日が沈みかかっていた。断末魔の残照に微かに舐められたようなビルの谷間の欅(けやき)は、まだ細かいベージュとグレーの重なり合った裸木だった。

二週間前、大学の入学手続を兼ねてアパート探しに来たときは、早春特有の晴れてはいるが吹雪いているというこの地方では珍しくない天候に、《戻ってきたのか》という実感がともなった。ちょうど一年前、この街の高校卒業と同時に浪人が決まり、全く同時に父親の転勤に合わせて慌しく官舎を引き払って東京に引っ越した。司法関係の官僚である父親のおかげで、おおむね三年以上は同じ土地にいたためしがなかった。最初にこの街に来たのは中学三年だったから、ここでもその法則は正確に履行されたわけだ。
正月明けぐらいだっただろうか。東京で通っていた予備校での厳密な偏差値輪切りの結果、合格可能性80%以上の欄に当然現役で受験するつもりだったこの街の大学の名前があったときには一瞬おかしくて笑ってしまった。
去年と同じじゃ格好つかないでしょ、と数ポイントほど偏差値の高い関西の大学を第一志望にしていたのだけれど、直前になって両親に《落ちたらどうするのよ、もっと確率の高いところにしてよ》といわれて、あっさり日和ってしまった。その結果としてなのか、何か引き寄せるものがあったのかはわからないが、今再びこの街に舞い戻って来た。

アパートはかつて住んでいた場所とはほぼ正反対の街の南西の川沿いに決めた。
中心市街地から近いことと、通りを挟んだところにかつてはキャンパスだった大学の研究施設があって生協関連の施設が充実していることが決め手になった。自分で食事を作ることには何の異存もないけれど、やはり近くに格安で食べることができるところがあるのは便利そうだと本能的に感じたのかもしれない。

川と幹線鉄道に挟まれた中心市街地はそれほど広くはない。新幹線の駅から20分も歩けば市街地を囲むように流れる広ノ川に辿りつく。川の向こうの河岸段丘と背後の山全体がこれから四年間を過ごすはずの大学の広大なキャンパスだ。逆に市街地はマクロ面積の制約と、周辺の県から集まってくる学生や単身赴任のサラリーマンの需要が多いせいか地方だからといって決して家賃は安くなかった。
街は周辺の丘陵や海沿いの水田地帯を吸収しながら拡大し続けているようだが、中心街は大規模再開発でもしない限り、あまりいじりようのない完成度に達していた。
そんな市街地から至近の場所に住もうと考えると、我が家の経済状態では賃貸マンションなどとてもとてもというところで、鉄骨造三階建ての軽量コンクリートパネルの三階部分に部屋を決めたわけだ。周辺はぽつぽつと似たような建物が建ってはいるが辛うじて近くを流れる広ノ川の川面が見渡せるところが最後の決め手になった。

かつての同僚に会いに来たのか、未成年者の後見人で来たのかよくわからない父親に付き合ってもらって、これから住む予定のアパートの契約を済ませた後、銀行に仕送り用の口座を作り、最低限の電化製品を購入して配送の手続を済ませるとやらなければならないことはなくなった。
久しぶりに飯でも食おうかと誘われて、中央通りの南側にある市場の屋台でホヤを肴にビールを飲んだ。もちろんそれでは足らなくて牡蠣に蒲鉾、おにぎりにラーメンとここぞとばかりにただ飯を食いまくった。ときおり雪がちらつく背中が寒くてつい飲み過ぎてしまった。
さすがに酔いが廻って、これから知人に会いに行くという父に今夜泊まるホテルに帰ってろといわれて素直に従ったことをなんとはなしに思い出していた。

そのときの市場から漂ってくる焼き鳥の匂いの誘惑に抗いながら、暮れかけた道をアパートに向かった。たった二週間とはいえ春は確実に進んでいた。街路樹の欅のまだ裸の梢の向うは暮れかけた薄墨色の青に染まっていたけれど、研究施設の敷地内では道沿いに植わっている桜の芽が膨らんで色づき始めていた。

挿絵1

『空の青 4月』

アパートのドアを開けると冷えきったガランとした空間が出迎えてくれた。大家さんに頼んで入れておいてもらった荷物が部屋の隅に積み上がっていた。
点けた電灯に照らされた部屋は寒々としてただ侘しかった。
積み上がったダンボール箱からCDラジカセを引っ張り出して部屋の隅に置いた。適当な銀盤をセットしてプレイボタンを押す。微かに鳴り始めた音に人心地がついた。
買って来たコンビニ弁当を開いて、最初の一日が始まった。

深夜、川の流れが耳について寝付かれなかった。暗騒音が思いのほか少ないのかもしれない。
唐突に、一年前卒業式の後で一瞬だけ目が合った久野夕実の吸い込まれるような黒い目が思い浮かんだ。彼女は現役だから、もう二年生になっているはずだ。同じ大学だからどこかで会うこともあるかもしれないな、という予感が頭の片隅に浮かんで、そして流れの音と共に消えた。

一人で暮らし始めて一週間ほどは勝手が違って戸惑うことが多かった。自分でやらない限り何一つ変わらないということを心底実感したものだ。
入学式はなかった。決められた期日に出頭すると、配布された資料をもとに通り一遍の説明を受けて学生証と履修簿が配られた。
 
《履修簿は事務当局に提出して下さい。》
 
その間、僅か30分。説明した教官はなぜ自分がこんなことをしているのか理解に苦しんでいたようだ。おそらく、くじ引きにはずれたんだろう。
あまりの素っ気なさに正直感動した。

広ノ川に架かる橋に向かう通りがアパートから最も近い商店街になっていた。周辺の探索に出かけると川の断崖に桜が咲き始めていた。コンビニやスーパー、飲食店の位置を確認しながら一巡りした。ほんの少しだけ贅沢ということで、商店街の中ほどにある店で昼食をとった。老夫婦が二人でやっている和食の店で、夜は小料理屋に変身するのだろう。壁に申し訳なさそうに掛けられた木札にかすれた字体で酒の銘柄が踊っていた。
値段の割に安くて美味しかったことと、品の良さそうなおばさんが、こちらが頼む前に《御飯お代わりするでしょ》と声を掛けてくれたのが気に入った。
帰りがけに店の名前を確認しようと振り向くと、扉の脇に《アルバイト募集 学生可》と書かれた紙に気がついた。

《忙しくなる前に車の免許でもとろうか》と考えていた。大学生協で見た限りでは夏休み前と真冬がいちばん安かった。端的に需要がいちばん少ない時期なのだろう。 街は拡大と共に南北に地下鉄が走るようになっていたけれど、大学に通うには恩恵は得られなかった。バスの路線も駅を中心にしているので意外に不便なものなのだ。学生にとっては原付やオートバイが主流ではあったけれど、どうせ取るなら普通自動車にしようと思っていた。 何といっても冬の寒さは東京の比ではない。凍結路面と根雪になった圧雪の上で二輪がいかに無力かは高校時代に身を持って体験していた。

実家からの仕送りは家賃と食費でほぼ消えてしまう。何をするにも何らかのアルバイトが必要だった。大学当局もアルバイトの斡旋を行っていたけれど、四月で新学期が始まったばかりのせいか、今一つ低調な求人内容だった。
五月の連休が近づいて、おおむね生活パターンを作れるようになってバイト探しに本腰を入れた。しかし、どうやら塾講師や家庭教師は3月中に決まってしまうらしく、夏休みまでは新入生が食い込む余地はほとんど残されていないようだった。手っ取り早くて単価が良いのは肉体労働なのだが、基本的に一日仕事だから講義のある平日にやるとなるとそれなりの覚悟が必要だった。単純に必修科目をこなすだけでも思ったより大変だったからだ。履修簿を提出して一週間のタイムテーブルができたとき《高校のほうが楽じゃないか》というのが最初の感想だったくらいだ。
そんなとき、近所の飲食店のことを思い出した。
久しぶりに覗いて見ると求人広告はそのまま貼られていた。昼過ぎの空いていそうな時間を見計らって、思いきって声をかけてみた。

白い割烹着の頑固そうな親父がカウンターの中から、ちょっとそこに座って待ってくれといって10個ほど並んでいる一番奥のテーブルを指差した。

最初に手を見せてみろ、といわれてテーブルの上に両手を差し出した。
「よし」
といわれて、昨日ようやく手に入れた爪切りで、伸びた爪を心ゆくまで切り落とした幸運を一瞬喜んだ。

条件を聞くと、《週5日、夕方から10時の閉店まで》ということだったので、ちょうど良い。内容は腰が悪いおかみさんの代わりのウェイター兼各種雑役。そして全く考えもしなかった賄い付きというのに心惹かれた。
条件に合意して、福田正二と名乗った親父が初めて笑った。ちなみに店の名は《ふくや》という。なんともわかりやすいものだとおかしくなった。

『空の青 4月』(続く)


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