午前10時。時間通りに門の前に車が停まった。
燻し銀のステップワゴン。迎えに来たのは寛ではなかった。
助手席の青山君が追い立てられて後席に移った。いつも寡黙な滝沢君が後席から軽く手を上げて久しぶりと笑った。夕実は後席に移った青山君に遠慮して少しシートを手前に引いた。
「ベルト」
後ろから伸びてきた手にバッグを渡すと、佐々川のクールな声が一言静かな車内に響いた。
カチリとシートベルトを締めると車は音もなく滑るように動き出した。
ガラスはスモークが入って眩しくないし、音も静かでさすがに乗り心地がいい。まるでゲームの障害をクリアするように小気味よく裏道を通り抜け、手馴れた運転で国道を東へ向かった。ほんの10分ほど。市街を出たあたりのコンビニでもう一台と合流した。
寛の車。目を凝らしてフロントガラスの向こうを窺った。
運転しているのは寛で、隣に乗っていたのが真佐江でほっとした。というのもつかの間、寛の首に後席から腕が廻されているのに気付いた。啓子? ……果歩か。危ないじゃない! 口を出したくなるのを必死で引き攣った笑顔の影に押し込めた。
結局、2台の車に計8人が分乗していた。青山君と滝沢君は東京の大学で、夏休み帰省中。西田啓子は同じ大学で、よりによって寛と同じ工学部に今年入学した。学科が情報じゃなくて建築系だったのが唯一の救い。胸をなでおろした。高三のとき同じクラスだった真佐江はあけみと同じ教育大で、中学の英語の先生になりたいという話はずいぶん前に聞いていた。果歩は寛と同じ理系クラスだった子で、東京の薬大でやっぱり今帰省中。ひとしきり、お決まりの“誰それは今どこで何をしている”類の話が尽きないうちに目的地が近づいた。
市街から1時間ほど。風光明媚ではあるが、もはや何の感慨も抱けないほど観光地化された海岸を少し越え、半島を奥深く分け入った突端。
佐々川雅明が釣に来たときに見つけたビーチは、両側を岩の岬に挟まれた30mほどの人気のない砂浜が続く、夏の喧騒から取り残された嘘のように静かな入り江だった。
白い砂に打ち寄せる穏やかな波とびっくりするくらい透明な海色。明るすぎる日差しに目を細めながら、夕実は清々しい潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
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女性用の更衣室になった佐々川のワゴンで順番に着替えた。薦められるままに、たいして考えることもなく持って来たあまりにも小さな水着は着ているそばから顔を火照らせた。もぞもぞと水着の上に緩いTシャツを被って、最後に深呼吸をした。スモークガラスからそっと外を覗くと、既に着替えた三人がお互いの水着の品評会をしていた。
啓子は派手なオレンジ色のビキニ、果歩はダークブルーのワンショルダーのワンピース。けっこうハイレグで思わず目を逸らしてしまう。真佐江は羨ましくなるほど安心できそうな濃いグレーのワンピース。でも、ウエストがきゅっと締まってスタイルが良い。
なんとか切り抜けられるだろうか?
淡い期待を持ってドアを開けた。
騒いでいた三人の目が一斉に振り向いた。
「遅いな」
さり気なくTシャツを被っていたつもりだが、同性の視線は容赦がなかった。
「え? そう?」
自然と取り囲まれるように三人が間合いを詰める。
「な、なに? みんなあっちで待ってるから…早く…」
言葉が終わらないうちに啓子の手がすっと伸びてTシャツの裾を掴んだ。
「え? あ! ちょ…やめ……」
後ろに廻った果歩が情け容赦なくTシャツを捲り上げた。
「往生際の悪い子だね! まったく」
あっという間に首からシャツが抜き取られ淡い望みは夢と消えた。
「おお」
三人の口から異口同音にどよめきが漏れた。
「な、なに? おかしい?」
精一杯の強がりも厳しい同性の視線に語尾が震えた。
「まぁ! 夕実ったら。お母さんはそんなふしだらな水着許しませんよ!」
「夕実! めっちゃそそるじゃん。それ反則。乳はみ出てるし、乳首透けてない? 尻の割れ目も見えてるし〜」
完全にからかわれていた。
啓子が寄ってきて肩を抱かれ、耳元に囁かれた。
「寛が着て来いって?」
その言葉を待っていたかのように慌てて頷いた。
木立の日陰にシートを敷いて膝を抱くように座るとようやく落ち着いて周りの景色が目に入るようになった。寛がまったく当たり前のように話し掛けてきた以外、他の男性たちは囃し立てる啓子たちとは違って、思慮深く無関心を装ってくれているようだった。
青山君と滝沢君は我関せずと日向で寝そべって身体を焼いている。真佐江は釣の準備をしている佐々川君の傍らで楽しそうに話をしている。
肝心の寛は啓子と果歩にさっさと波打ち際へ引き摺られていった。
わたしは青一色に染まった突き抜ける空の青を見上げ、白く砕ける穏やかな波頭の先で腰まで水に浸かった寛を探し出す。啓子と果歩の嬌声が静かな入り江を華やかに染めていた。
せっかく寛のために着てきたのに……。
爽やか過ぎる夏空にじわじわと染みるような惨めな気分がゆっくりと忍び寄った。
誰が持ってきたのだろう。大きな黄色の浮きマットの中央に寛の褐色の背中が見えて、左側に啓子の白い躰が寄り添うように密着していた。オレンジ色の布地に包まれた存在感のある尻がやけに強調されて目を惹く。右側の果歩は寛に腕を廻し抱きついているようにしか見えない。
あけみがいなければ誰も遠慮する必要はないということか――。
あけみと仲が良い果歩は、来れなくなったあけみの代わりにお目付け役で来たのかと思ったが、それは完全に自惚れだったようだ。
海のほうから聞こえる嬌声だけをフィルタリングしてシャットアウトした。
真佐江と連れ立って波打ち際を歩く。気持ちの良い波音と冷たいぐらいの水。三人から少し離れた場所でゆっくりと海水に身体を浸した。水の流れが身体を洗い、ひんやりとした清涼感に包まれる。仰向けになって波間に浮いて空を見上げると、耳が水中に潜り全ての雑音が消えた。肌の上を透明な水がきらきらと流れる。見開いた目の遥か彼方に視界の全てを覆い尽くす濁りのない冷たい青が超然と貼り付いていた。
初めてのビキニはやはり不安だった。水流で簡単に剥がれてしまいそうな危うさ。透けて見えていそうな心許なさ。水から上がると身体が夏の終わりの風に晒されて小刻みに震えた。
広げたシートに戻ってタオルに手を伸ばした。巻きつけるように髪をタオルで拭う。
日光浴の二人は表と裏が入れ替わっていた。佐々川の姿は見えない。
そして、ほんの目と鼻の先で音を立てずに先に戻っていた三人がもつれ合っていた。
仰向けに横たわった寛の両側に啓子と果歩の白い手足が絡み付いていた。
啓子の唇が寛の裸の胸を這い、右手の先は褐色の腹を横切って黒い水着の中に消えている。その手の先が明らかに一定のリズムを持ってうごめいていた。タオルを掛けて誤魔化したってそれぐらいはわかる。
寛の上半身には果歩の躰が覆い被さっていた。同じように背負った背中のタオルが捲くれて、肩から落とした水着のショルダーが真っ白な背中を背景にぷらぷらと揺れている。……胸を……吸わせているに違いない。広がった内腿が寛の腰にぴったりとあてがわれて小刻みに動いている。
思わず顔を背けるとその淫らな光景に気付いて、やはり目を見張っている真佐江が困ったように微笑んだ。怒りとも悲しみともつかぬ感情が溢れ出そうになって、タオルを投げ捨てて立ち上がった。
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砂浜が途切れた先の岩場に足を掛け、階段状に侵食された灰黒色の岩を登ると眩しい陽光に磯の匂いがいっぱいに広がった。
堆積した地層のように複雑な模様を描く巨大な岩とところどころに穿たれた潮溜まりを迂回しながら、白い波頭がときおり飛沫を上げる突端を目指す。
やっぱりここにいた。
「釣れた?」
心地良い晩夏の潮風を受けながら、背後からそっと声を掛けた。
「美人の女の子が一匹だけ」
振り返った顔が爽やかに笑って答えた。
「わたしじゃ、お昼ご飯のおかずにはならないねぇ」
自然と口をついて出た軽口に含まれる卑猥さに気付いて心持ち動悸が早くなる。
佐々川は軽く数回リールを巻いて手に持っていた釣竿を岩に固定したアームに置いた。
「ああ、ごめん。椅子は一つしかないんだ」
腰を浮かしかけた彼を見て慌てて手を振った。突っ立っているのが気恥ずかしくて、彼の傍らの平らな岩に座り込もうとすると手で遮られた。
「あ、ちょっと待って」
眼鏡の奥の切れ長の目が眩しそうに瞬いて、傍らに畳まれたままの小さなアルミのシートを広げてくれた。
「ありがとう」
「傷でもついたら大事だ」
「もう、傷だらけって気もするけど……」
「またまた。なんというか…悔しいけどよく似合うね」
水着のことを言われているのだと気付いて何となく身体が丸まってしまった。
「そこまで刺激的だと…夕実ちゃんじゃないと似合わないな」
「そ、そう? 一見真面目そうに見えるけど、ただの淫乱女みたいでがっかりしたでしょ?」
理知的な笑顔を貼り付けた首がゆっくりと左右に振られた。
「夕実ちゃんだと滅茶苦茶優雅に見える。スタイル良いし。下品に見えない」
「へへ。そかな」
誉められれば率直に嬉しい。
「どうして悔しいの?」
「ん? 夕実ちゃんが自ら進んで着たわけじゃなさそうだから。あるいは、自らの意志で選んだ水着じゃないだろうから」
「あーあ。さすが。何でもお見通しだね」
「でもその水着、100人の男がいたら、100人全員が襲い掛かって押し倒したくなるよ」
どくん――。
心臓が鳴った。
「……嘘。佐々川君はそんなことしない」
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波頭が砕けて小さな飛沫が光のシャワーのように舞い上がって散った。
「まいったな。夕実ちゃんと出会ってもう三年半か……。年55週として約200週。週2.5回としてもトータル500回は頭の中で押し倒したんだけどな」
どくん――。
また心臓が鳴った。
「そ、そんなにされたら…困っちゃうよ」
「去年…二ヵ月おきに来てたじゃない? 寛から連絡ないかって。結局実行しなかったけど、毎回計画練ってたんだ」
「計画って?」
「久野夕実拉致監禁計画」
どっくん――どっくん。
はっきりと明快なリズムで脈動が躰を突き抜けた。
「わ、わたしを?」
「他の誰にそんなことする価値あるのよ?」
信じられないくらい爽やかな笑い声につられて思わず一緒に笑ってしまった。
彼の視線を正面から浴びて身が竦んだ。見られているという意識に自然と躰が縮こまって無意味な照れ笑いを浮かべる。
「な、なに?」
膝をきつく合わせて両腕を伸ばして太腿を隠した。
「明るいところで見たほうが、ずっときれいだね」
肩をすぼめてますます躰が丸まった。
揃えた膝頭に突っ張った両手に彼の手が重ねられた。膝に食い込んでめいっぱい力が入った指先をほぐすように一本づつ毟られていく。
「……他人が来るよ」
予想通りの展開に安堵と不安が交錯し、抱いてはいけない期待が膨れ上がった。
躰に暗い影を作っていた腕が取り除かれて、小さな水着に覆われただけの生っ白い肢体が剥き出しになった。
「…恥ずかしいよ」
目を合わせられなくなって意味もなく顔を背けた。
「胸、大きいね……」
「そ、そう? Cカップだから…普通だよ。高校に入った頃はちょっと目立って嫌だったけれど、今はもっと大きい他人たくさんいるでしょ? 啓子だって、真佐江だって……」
「ウエスト細いね」
「もう、恥ずかしい…細くないよ。たぶん…62くらいある。最近測ってないからもっとあるかもしれない。お尻が大きいから細く見えるだけ」
背けた顎先に指が触れ、正面を向き直された。
真正面から見据えられて、まるで普段のつまらない会話のようにあっさりとした声が聞こえた。
「見たいな」
彼が求めていることはすぐにわかった。
「ダメだよ。みんないるのに」
みんながいなければいいのだろうか? 言葉に翻弄されて意識が右往左往を始めた。
あまりにも爽やかな笑顔と強い意志を秘めた目が諭すように語り掛けた。
「あいつが夕実ちゃんがいないことに気付くのに10分」
「気付いて、考えて、まとわりつく西田と果歩ちゃんを振り切るのに10分」
「ようやく抜け出して、ここを探し当てるのに10分」
佐々川が微かに笑って、指の背が頬を撫でた。
「だからあと25分ある」
波間に浮かびながら寛と戯れる果歩と啓子。砂浜で二人の愛撫を受け入れ、果歩の乳房を吸っていた寛。今頃は――。
さっき垣間見た光景が執拗にリピートされて、淫らな妄想を燃え上がらせた。
「見せてくれる?」
魔法をかけられたように頷いてしまう。
「ど、どうすればいい?」
意味はなくても訊かずにはいられない。
「脱いで……少しだけ」
既に一度、彼の前に全裸を晒し、口の愛撫を受け入れた経験が意識の堤防をすっかり引き下げていた。名も知らぬ男に許したのに彼に許さない理屈を組み上げることもできなかった。でも、引き返せない状況にあったとしても躊躇う姿を見て欲しかった。
膨らみをぴっちりと覆うタイプではないから、軽く持ち上げるだけでブラがずれて簡単に両の乳房が剥き出しになってしまう。触れられてもいないのに色付いた乳暈がふっくらと膨らんでいた。食い入るように突き刺さる視線を感じると乳首に別の神経が通い始めた。
「まん丸で…ぷるぷるしてる」
「子供っぽくて……恥ずかしいよ」
見られているだけなのに、両肩の背と後頭部から下半身に温かさがぐんぐん広がっていく。
すっきりと通った鼻筋が乳首に触れるか触れないかの距離に近づいて、思わず声が出そうになった。眼鏡の奥の目が閉じて心もち顔が上を向いた。匂いを嗅がれているの? 左右の乳首を交互に移動して同じ動作が繰り返された。
「いい匂い……蕩けそうに甘くて…優しい」
恥ずかしさに声が震えてしまう。
「そ、そう? 自分じゃわからない……」
「下も脱いで」
乳首を吸われ、乳房を揉みしだかれ……次の行為への予測と期待に翻弄されていたから、一瞬戸惑ったあと羞恥の波に襲われた。
「いや?」
意味と無意味の狭間に落ち込んだように、囁かれた言葉が頭のなかを駆け巡った。
「か、可愛くないから…困るよ。こんな明るいところで」
「……ちょっとだけ。夕実ちゃんの大事なところが見たいんだ」
両手の平が合わさって、指と指が交互に交差した。軽く引かれた両腕に自らの体重がかかって、絡めとられたように躰を引き起こされた。立ち上がった躰に海風が吹き抜けた。
腰の両側に誘導された手指が頼りない水着の紐に掛けられた。
「脱いで……」
耳元で囁かれた声が、エコーになって頭の中に反響した。
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「おーい」
まどろむ夢見心地と突き上げる悦楽の境界でせめぎ合っていた意識がピクンと緊張した。
遠い…声? 誰?! 真佐江?
いつの間にか足首で輪になっていたパンツがさっと引き上げられて元の場所に収まった。声の方向に背を向けて持ち上がったブラを慌てて引き降ろす。無理やり目を開けて海を眺めながら深呼吸をして息を整えた。
多少間があって岩陰から声の主が現れた。
「なんだ、やっぱりここに居たんだ。釣れた?」
真佐江の声だったが、まだ振り向けなかった。
「うん。美人が二匹目」
すかさず佐々川君がフォローした。
その5分後、佐々川君の予言通り寛が現れた。
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生気が尽き果てたかのようなけだるい午後が浜辺にぺっとりと貼り付いていた。
風が止んで、海はいよいよ凪いだ。
照りつける陽光はあくまでも明るく、静止したような時間と視界を埋め尽くす青が痛いくらい。
少し離れた浜辺で、小さなプラスチックのラケットでスポンジのボールを打ち合っている嬌声ももう気にならなかった。
後ろ手を突いて身体を伸ばすと、自然と自分の下半身が目に入った。大きな腰。小さな白い水着。盛り上がった恥骨。ついさっき、そこに加えられ、まだ余韻となってはっきり残っている強烈な刺激。視界が暗くなって堪えがたい陶酔に引き込まれそうになるのを必死に振り払った。
すぐ隣で膝に顎を乗せた真佐江が振り向いた。
「ね、夕実。あのさ…。普段、避妊とかどうしてるの?」
一瞬、意味がわからなかった。あまりにも唐突な質問に、思わず彼女の顔を穴が開くほど見詰めてしまう。ばつが悪そうに目を伏せた長い睫毛に砂粒が一つ小さく光った。
「え、え? あ、ああ。か、彼に任せてるから……」
なんて間抜けな答え。
「夕実は中出しOKなの?」
顔に血が上ったのが恥ずかしくて思わず俯いた。
「えっと、ごめん。こういうのって訊いちゃいけない? わたしそういうの全然わからなくてさ。夕実は経験豊富なんでしょ?」
「ちょっと…そんなことないって。ず、ずっと付き合ってたわけじゃないし……わたしにわかる範囲なら…かまわないけど」
真佐江の全てを見透かすような真摯な視線にうろたえた。
「わたし…その…避妊具を上手く着けてあげられなくて……だから、大丈夫なときはそのまま中に貰ってる…それがいちばん自然だし…わたしも嬉しいし」
「ふ〜ん。そっか。それで大丈夫なの? まさか出来ちゃったりはしてないんでしょ? あとさ…ダメなときはどうするの? しないの?」
「え、え、えっと……うん。今のところは…大丈夫。彼が…ちゃんと考えてくれてるから。危なそうなときは……」
「ときは?」
そういう場合の行為の数々を思い起こしてかっと顔が火照った。
「だから……か、彼に任せてる……」
意味を図りかねた怪訝そうな顔が曖昧に微笑んだ。
「だ、だから…わたしが終わったあと…口に貰ったり…かけてもらったり……」
さすがにお尻に貰っていることまでは口が裂けても言えない。
「終わるって? 彼が終わるんじゃなくて夕実が終わるの?」
こくりと頷いて引き寄せた膝の間に顔を伏せた。
「……いっちゃうってこと。大抵わたしが先みたい。記憶が跳んじゃって自分でもよくわからないんだけど……」
「そ、そっか。ごめん。プライベート過ぎた」
顔を伏せたまま首を左右に振った。
「夕実…きもちいい? 彼とすると」
真佐江の顔が見れなかったが、ちゃんと答えなければいけないと思った。
「うん。自分を見失うほど……。わたし、どうしようもないんだ」
「うん、うん。よしよし」
彼女の手が優しく頭を撫でた。
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とっぷりと日が暮れたころ、夜道を市街に向かった。空腹に負けて途中のレストランで食事を摂った。心地良い疲労が蔓延していたが、啓子と果歩は相変わらず寛にべったり張り付いていた。街中に入ったところで用事があるという青山君と滝沢君を降ろして、二台の車は寛のアパートへ向かった。寛の車を駐車場に置くと、啓子と果歩は当然のように寛の両腕にぶら下がって歩き出す。もうほとんど諦めてはいたが、うんざりするような展開だ。
佐々川と寛が二言三言。この後の相談だろうが、この後の成り行きに興味をすっかり失って、もう聞いていなかった。
漫然と歩き出した一群に唐突に声が掛けられた。
「あの…ごめんなさい。わたしは帰ります。あまり遅くなれないの」
傍らにいた真佐江がぴょこんと頭を下げた。
じゃぁ、と手を振ってそのまま歩いて帰ろうとする真佐江を佐々川が呼び止めた。
「オレも帰るから送っていくよ」
「あ、大丈夫。そんなに遠くないから」
そう言いながらも真佐江の顔が喜びに染まるのが手にとるようにわかった。
「あ、じゃぁ、わたしも乗せてって」
無意識に口をついて出た言葉に自分で驚いた。
助手席は真佐江に譲って、後席のシートに深々と体を預けた。
夜の道は快調に流れていた。
微かにエアコンの入った冷たい空気が日焼けで火照った肌に心地良い。ときおり遠慮がちに交わされる真佐江と佐々川の会話に聞き耳を立てながら目を瞑ると、別れ際に見せた寛のぞっとするほど無表情な視線を思い出した。
ほんの5分ほどで広ノ川を渡り、そのまま北へ向かうと古い住宅街に入る。鬱蒼と繁る木立が街灯の灯りを覆う。道が狭く一方通行が多いが真佐江の指示は的確だ。
たちまち目的地に着いてしまった真佐江の声が心なしか残念そうにすら聞こえた。
「ありがとう」
真佐江の横顔がシュルエットになってフロントガラスに浮かんだ。
「あの……。お礼になるかどうか自信ないけど、良かったら今度食事に来て。わたしが作るから」
おっかなびっくり微笑んだ真佐江の笑顔がとても愛らしい。
真佐江が降りると、佐々川に促されて助手席に移った。
「あ、夕実も来てね」
「うん。ありがとう」
付け足しだとわかってはいるが、真佐江の真正面の視線に見詰められると、つい几帳面に反応してしまう。
車が走り出してもずっと門の前で見送っている真佐江が、もうすっかり見喪ってしまった過去の自分の姿のように思えてならなかった。
「いい子だねぇ。真佐江は」
前方に視線を固定したまま微動だにしない佐々川の顔を横から覗き込んだ。
「ねぇねぇ、ずいぶん仲いいじゃない? 佐々川君のこと好きなのバレバレだけど」
流れた街灯の明かりがストライプになって断続的に車内を縦断していく。
「賢くて、先のことちゃんと考えてて、家庭的で、真面目だし、……スタイルもいいし」
無反応。眼鏡の奥の目は瞬きすらしなかった。
「抜けてて、気が利かない、食事も作れない、おまけに後先考えない見境なしの男好きじゃ比較の対象にならないでしょ?」
「またいつもの偽悪趣味?」
言葉の輪郭に隠された棘に反応してしまう。
「そうじゃない。事実だよ。わたしは…相応しくない」
すっと車がスライドして追い越し車線で急加速。車の列をごぼう抜きにする。
右へ左へ、車線を縦横無尽に変える。路面を捉えたタイヤの摩擦音だけが静まり返った車中を支配した。
ほんの10分でいつもの公園の区画に近づいた。家はもう目と鼻の先。
寛がいつも止める位置とまったく同じ場所にぴたりと車が寄せられて停まった。

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両サイドの窓を5cmほど下ろしてエンジンを切った。
しんとした静寂が足元から湧き上がり、彩り豊かに輝いていた前面パネルのLEDが残像を残して消えた。長い沈黙。窓ガラスの隙間から虫の音が忍び込んだ。季節は着実に秋の気配を育んでいた。佐々川はハンドルにもたれてシートに沈み込んだ夕実をそっと見やった。
「えっと…。例の判定薬、一応手に入ったけど。生理の予定日くらいから使えるらしい。一週間後なら確実だって。なに勘違いしたんだか…ドサッてくれたから」
「ありがとう。お世話を掛けます。わたしけっこう正確だから…予定だと……あと2、3日で始るはずなの……」
「そう。じゃあ、都合がいいときおいでよ。もちろんその前に始ればなんの問題もないけど、一応…最悪の場合の病院も紹介してもらったから」
夕実は不安そうな面持ちでこくりと小さく頷いた。
「あの……」
散々迷って、すがるような黒目が訴えた。
「こんなこと頼める筋合いじゃないけど……。もし…万が一だったら…一緒に病院行ってくれる? 一人じゃいけない」
「ああ。どこへなりとも。一緒に行って、終わるまで待ってるよ。承諾書に署名して判子も押して、後は看護師の軽蔑の眼差しを浴びてお小言でも聞きながら」
「ごめんね。とんでもない女だよね、わたし。埋め合わせは……何でもするから、言って」
「そんなこと言っちゃって大丈夫? オレはそんなにお人好しじゃないよ」
ぼんやりと射し込んだ街頭の灯りに夕実の瞳が僅かに光った。
「大丈夫じゃない? かな……」
佐々川の指先が下を向いた夕実のしっとりと滑らかな頬に触れ、小さく花開いた唇を指先でなぞった。細い顎から首筋へ指先が這い、顔を持ち上げると大きな黒目が濡れていた。
「美味しいものは最後までとっておく主義だけど、味わうときは骨の髄まで味わいつくすよ?」
「……美味しくないよ、きっと」
「そんなことはないさ。熟れて、張り切って…ひんやりと瑞々しくて……途中まで皮が剥かれたけどそのまま放っておかれてるから……蜜が滴って咽るほど匂ってる。真っ白でほんのりピンクに染まった白桃みたいに……」
「枝から落ちて、ぐちゃって半分腐りかかった桃だよ」
「そんな風に言わないでくれよ。やっと手の届くところまで近づけた……憧れの女の子なんだから」
「ごめんなさい……。明日は母が煩いから出れないけど…あさって行きます。迷惑ばっかり掛けるけど…よろしく」
夕実は素直に頭を下げた。
「さて、今日はブラジャーも貰っていこうか……。明日一日、夕実ちゃんの代わりを務めてもらわないと」
夕実の目が一瞬見開かれて、やがて困ったように視線が逸れた。何か言いたそうに口元が震えたが、結局言葉はその艶やかな唇に呑み込まれた。
右手が伸びて顔に触れ、囁くような声が聞こえた。
「目、瞑って」
佐々川は黙って首を振った。
夕実の顔がくしゃくしゃに歪んで、訴えるように黒目が潤んだ。
「もったいない。少しでも、一分でも長く見ていたい」
その言葉を聞くと薄闇の中で夕実の小さな顔が固まった。それでもやがて、虫の音を背景に微かな吐息が漏れて、器用に動いたしなやかな指先がワンピースの襟元に掛かった。乾いた衣擦れの音と共にほの白さが面積を増していく。
佐々川は瞬きもせずにその光景を凝視した。臍の辺りまでボタンが外されると背凭れから躰を浮かした夕実の肩から濃紺の布地が落ちて真っ白な上半身が輝いた。背に廻された両手がしなるとふわっと跳ねるように白が二つに分離した。手の平に落ちた白は几帳面に半分に折り畳まれ、ストラップがきれいにまとめられた。
「はい」
差し出した手にまだ温かい布地が載せられた。
「このあいだと同じブラジャーだね。……夕実ちゃんを公園で見つけた夜」
腕で胸を抱いた夕実が頷いて、訊いた。
「……パ、パンツも?」
答えるまでもない。夕実も理解しているはずだ。
「で、でも…汚れてるから」
そんな言葉に意味がないことも彼女がいちばんよくわかっているはずだった。
諦めたように手の動きが再開された。太腿を覆っていた布地が開かれると眩いばかりの白さが薄闇を放逐し、甘酸っぱい夕実の匂いが柔らかく立ち上った。
問いかけるような瞳がもう一度向けられて、浮かした腰を滑らかに手が滑った。
手の内に強く握り締められて、丸められたもう一つの白さが差し出された。
「凄く汚れてるから……臭いとか嗅がないで。約束して」
生温かく湿った重さを受け取りながら、夕実を安心させるように佐々川は頷いた。
「…あの…服着てもいい?」
申し訳なさそうに掠れた声が聞こえ、上目遣いの視線が怯えた。
「だめ」
躰の下に敷かれたワンピースを背に纏おうと手繰り寄せる動きが止まった。代わりに、華奢な二本の腕が佐々川が見ているものを覆い尽くそうといじらしいまでの努力を続けるが、ちっとも効果がなかった。丸く膨らんだ乳房を隠そうとすれば、下腹から太腿のラインが露わになって暗い影を背景に真っ白な肌が浮かび上がった。腿の合わせ目を隠そうとすれば、固く丸く突き出た丸い乳房とその先端に淡く色付いた突起が街灯の淡い光に優しく震えた。
「……恥ずかしいよ」
それには答えず、佐々川は無言で夕実の頬に指を這わせた。指の腹で吸い付きそうな皮膚の感触を愉しみながら、優しい口元を目指す。脳裏に焼きついた映像をフラッシュバックして、人差し指と中指を一本にまとめ夕実の小さな唇を割った。
問いかけるように瞳が見開かれ、本能的な一瞬の抵抗のあとすぐに睫毛が黒目を覆い、指先が歯をくぐると温かい舌がねっとりとまとわりついた。
左手をショートヘアの後頭部に廻して押さえつけながら、口を犯すように指を突き入れると閉じていた瞳がときおり開いて佐々川の真意を問い掛けた。
指の動きを止めて唾液に濡れて光る指を引き出すと、息を整えた夕実が目を伏せて訊いた。
「……見たの?」
沈黙が雄弁な回答になった。
「そう……。彼にくっついて岩場を降りてるとき、匂ったの。啓子か果歩のトワレ。彼の躰から。それで、ハッと気がついて彼の指の臭いを嗅いだら女の…あそこの臭いがしたの。怒りで頭が真っ白になって……気がついたら彼の手を自分のパンツの中に入れてた……。わたしの臭いをつけなきゃ気が済まなかった……。別に言い訳するつもりはないけど……佐々川君に見られたあとで…もうぐちゃぐちゃだったから。あとは多分見ての通り。裸にされて、でも……寛に入れられそうになったから…彼、わたしがそろそろ生理だって知ってるし……。でも、今したら何がなんだかわからなくなりそうで……検査してからじゃないと拙いなって思って…だから先にああしたの」
再びゆっくりと唇に当てた指を割り入れて、動きを再開した。
「ああ。とっても賢明だったね……」
なるべく皮肉にならないように応えた。
「真佐江ちゃんが見つけたんだ。彼女が道の途中で硬直するから……。彼女ポカンとして、最初わからなかったみたい。で、不思議そうに見てたからオレも一緒に見てた。頭抱えられて動いてたから何してるかはすぐわかった。おまけに夕実ちゃんは素っ裸だし。動きに合わせて真っ白なお尻が揺れててさ……滅茶苦茶興奮したよ。やっと意味がわかった真佐江ちゃんはオロオロするし、さすがに横を通るのもなんだから、一旦引き返して時間つぶしたけどね」
今度は打って変わって積極的に舌が動き回った。唇が適度に閉じて指全部を吸い込むように抑揚がつき、こそばゆい感覚が押し寄せた。口中の粘膜を抉るように掻き混ぜると、それに呼応して夕実の瞼が閉じて、せわしない鼻息が荒くリズミカルに高ぶった。
「飲んだの?」
夕実の瞼が半分開いて視線を合わせないまま僅かに頷いた。
口の動きがいっそう強くなって唇から滴った唾液が濡れた音を立て始めた。前後の動きに合わせてくぐもった唸り声までが聞こえ、佐々川はその顔からもう目が離せなかった。
『空の青 5−7』(続く)
作成日:2007/03/15 最終更新日:2007/03/15