空の青 9月(3)

額に掛かった髪をそっと除けてやる。細く柔らかなストレートの黒髪はずいぶん伸びて、淡い夜光に艶やかに光った。しっとりと合わさった瞼、長くカールした睫毛、小さく尖った鼻、柔らかな唇。柔らかく香る匂いと文句のつけようがない形が織り成す菊川あけみの芸術品のような寝顔に改めて見蕩れた。
寛の腕を枕にして、規則的な寝息を立てているあけみの安らかな表情を眺めながら、人差し指の背で吸い付くように滑らかな頬から首筋の感触を確かめた。
不意に、盛夏のなか、今は東京にある実家に帰省したときのことがフラッシュバックのように鮮明に甦った。

――蓄積されたアスファルトの炎熱が夜気をじっとりと茹で上げるかのような熱帯夜。仮の宿のような自分の部屋。エアコンの冷媒が微かな音を立てていた。締め切ったカーテンの隙間から明るい夜の人工光が差し込む白いシーツの上で、黒髪の陰から覗いた大きな瞳が暗く輝いて、しっとりと濡れた肌が熱さと冷たさを同時に秘めていた。

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東京駅の新幹線の中央改札を抜けたところ。むっとする気温と不快なまでに纏わり付く湿度。湧き上がる喧騒と道を塞ぐ人。横切る人、立ち止まる人、佇む人。
うんざりするほどの雑踏のさなかだというのに、太い石張りの柱に寄りかかっている女が当たり前のように目に入った。黒尽くめのパンツスタイルにストレートの黒髪。ノースリーブから出た腕がやたらに白く映えた。
時間を教えたつもりはない。いったいいつから待っていたのか。
瞬きしない黒い瞳が一言「おかえり」と言った。

次の夜、母に呼ばれた。
エアコンの効いた部屋でワードローブに身を包み、ベッドに鷹揚に足を組んで座った母は顎で普段物書きに使っている椅子を指し示した。
「学校はどうなの?」
「まぁ、可もなく不可もなく」
風呂から上がったばかりだろう。まだ髪が濡れている母の表情を横目でちらりと眺めて寛は目を逸らした。
「そう。まぁ、そっちの方は心配してないけどね……」
寛は放心したような母の口調に次の言葉を予感した。
「あの子……、とうとうお父さんを説得したわ。わたしの反対を押し切って。学校にはとっくに志望校出してたみたいだけどね」
すぐに鮎のことだとわかったが、寛は知らない振りをしていた。妹が同じ大学を志望していることは、ずっと前から当たり前のように知っていた。
「兄貴と一緒ならいいじゃないか……って言われれば、しょうがないよね。完全にあの子の目論見どおり。ずいぶん前から懐柔してたみたい。負けたわね」

樫の一枚板の書き物机。パソコンのLEDが一瞬光った。

「あの子のことだから、来年? 再来年か…受かるわよ。絶対。子供が二人ともお金のかからない大学に行ってくれるなんて…普通の家だったら諸手を上げて大歓迎なのにね」
「うちは普通じゃないの?」
「さあ。あなた次第……。わたしが何を言っても、もう聞かないでしょ。あんたも…鮎も。知ってる? あの子、小説書いてるの。最初はフォルダの奥に隠してあったのを盗み見してたんだけど、最近はこれ見よがしに堂々とデスクトップに張り付いてるの」
「血は争えないってわけ?」
「ふん。実の兄との恋愛小説よ。狙いはエロ小説だけど今ひとつね。まだまだ表現が薄っぺらで、所詮は観念でしか捉えられない子供の文章だけどね」
「カモフラージュなんじゃないの?」
「何の?」
「既に抜き差しならぬ関係になっている実の兄とのインセスト・タブーを小説レベルで暴露することで逆に絵空事と思わせたりして……」
冗談のつもりだったが母は笑わなかった。
「まさか身内から小説モドキのネタが取材できるなんて、恵まれてるというべきかな」
「親父は嘆くだろうね」
「意外と知ってるかもよ? いい勘してるし。知ってて放っておくのがあの人の毎度のスタンスよ。滅びるものは華麗に滅びよ…かな」
親父のすっとぼけた顔が目に浮かんで思わず笑いが洩れた。
「それは……うんざりして気が滅入るような現実ばかりを毎日ほじくらなきゃいけないからじゃないの? 仕事で」
「ずいぶん、わかったような口利くじゃない。自分の足元で同じことが起きて、同じ対応がとれたら、そりゃ…本物だわ。仙人になれる」
「……このあいだ…鮎に訊かれたよ。兄貴は理系だから大学院いくよねって。訊かれたっていうよりは薦められたって感じかな」
寛は母親の前で、ちょっと大袈裟に溜息をついて見せた。
「ふふ。さすがね。2年じゃ飽き足らず4年間も蜜月? そうやって少しずつ…蜘蛛が糸を紡ぐように伏線を張り巡らしていくのがあの子のお家芸。あんたのモラトリアム体質を見越して暗示を与えてるのよ。そして、あんたはわかっていながらその網に引っ掛かる……。処置なしね」
母がぐっと顔を突き出して、らんらんと輝く目が寛を真正面から見据えた。
「でも! いい? まだ間に合う。あの子の誘いに絶対乗っちゃダメよ。あんたたち……地獄を見るわよ。そんな関係になって、もしあんたがいつもの調子であの子を平然と裏切るようなことをしたら…あんた刺されるわよ、確実に。あんたを刺した…返す刀をあの子は自分に向ける。1+1が0。そんな光景は生きてるうちに見たくないの」

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言いたいことだけはしっかり言って、翌日、母は出版社の監視付缶詰めと称して避暑に出掛けていった。北海道だろう。お土産何がいい? と訊くので「蝦夷馬糞ウニ1kg」と答えておいた。父親は帰省以来姿を見ていなかった。今までもうんざりするほど繰り返されてきたいつものパターン。もちろんそんなチャンスを鮎が逃すはずはなかった。

「グロいホラー見たら寝れなくなっちゃった……」
闇に目が慣れ、カーテンの外が薄白く見えた頃、予期していたものがやって来た。
するりと上掛けが捲られて、生温かい肌が押し付けられた。
寝たふりをしていても、ばれているのか、気にすらしていないのか、鮎は平気で頬を押し付けてきた。微かに匂うオレンジの匂い。無理やり腕を広げられて枕代わりにされて、左半身にぴったりと隙間なく弾力が押し付けられた。
手で触れなくとも鮎がパジャマ代わりにしているタンクトップの下に何も着けていないことはわかった。もちろん、そんなことはおくびにも出さず、気が付かない振りを続けた。昼間、エアコンをビンビンにかけて締め切ったワンルームで、くたくたになるまで果歩を抱いておいてよかったと改めて思い直した。

そして鮎は、たぶん目論見どおり母が不在中の父を適当に懐柔し、残された短い晩夏を過ごすため当然のような顔をしてアパートに戻る寛にのこのことくっついて来た。鮎は水を得た魚のように、親の目を気にすることなく自由奔放に振舞った。客観的に見ても年々増す、その抗し難いまでの魅力は認めざるを得なかった。当たり前すぎて、接触することにも抵抗感は働かなかった。伸び始めた無精髭を撫でたり引っ張ったり、喉仏に耳を押し付けてみたりと男に対する好奇心を満足させているとしか思えない行為もあったが、黒い大きな目を輝かせ、あるいは長い睫毛に縁取られた瞼を半分閉じて、露骨に女としての成熟振りを見せ付けるように躰を寄せてくることもあった。

物心ついてからは二人で育ったような兄妹だから家事は一通り何でもこなせたし、互いに寂しさを紛らわす相手としてはいつもいちばん身近な存在だった。特に三つ下の鮎にとっては寛と過ごす時間のほうが家族と過ごす時間よりも長かったかもしれない。
あの日も手馴れた調子で家事をさっさと終えると、母も話題にしていた書きかけの小説を読まされて、しつこく感想を求められた。主人公は寛と鮎。ずいぶん卑近だなと窘めると、適当な名前が思いつかないから取敢えず使ってみただけとしゃぁしゃぁと言ってのけた。夕実にあけみ、“女の先生”まで役が割り振られていて正直たまげたが、中身は他愛のない話で、無理して背伸びしているからあちこちで破綻が目立った。それを指摘するといちいち反論が返ってきた。
「おまえ、男とキスしたことあるの? 頭で想像してるだけだから実感が伴わないんだよな。キスもしたことないのに“挿入”なんてちゃんちゃらおかしいぜ。オヤジのほっぺにチュッてするんじゃないんだからさ」
いい加減面倒になって言葉を投げつけると、鮎はしゅんとして下を向いてしまった。
今思えば、それも鮎が敷いたレールだったのかもしれない。鮎の深謀遠慮というか、親を騙す手筈はいつも見ていて感心するほど巧妙だったから。

「じゃぁ、教えてよ。キスぐらいならいいでしょ」
言い過ぎたかなと思ったから、涙を浮かべて、ぴったりと頬を寄せ首に手を廻してきた鮎を撥ねつけることはできなかった。

鮎の唇は僅かに甘くミントの味がした。びっくりして逃げ出すことを期待して、あけみや夕実と交わすような手加減なしの濃厚なキスになった。背を抱き締めて舌先で閉じた歯を割った。逃げ惑う鮎の舌先に強引に舌を絡め吸った。右に左に、鼻と鼻がぶつかって息が荒れた。鮎は初めてのキスに慄いて戸惑っていた。あまりにも稚拙な身のこなしに意地悪な感情が湧き上がった。
背に廻した腕に力を込めて、胸と胸が完全に密着するように押し付けた。ノーブラの鞠のような弾力が二人の間で柔らかく潰れた。その感触を愉しむように合わせた胸に抑揚をつけ、細いウエストを強く抱きしめると鮎が小さく鼻を鳴らして喘いだような気がした。

貪るように唇を吸い続けたまま、背筋を滑らせた両手をまだ肉付きの薄い腰にあてがった。
他人のクローゼットを勝手に漁り、インナー代わりに着ているぶかぶかのタンクトップの裾を引っ張り上げる。問答無用で布地を捲り上げ、万歳させた腕から抜き取った。呆然としている鮎の下着に手を掛けて引き降ろす。足首から抜き取った小さなパンツを部屋の隅に放り投げた。生堅さの残る細い躰だった。腰骨が浮いて見えるし太腿も少年のように直線的だった。それでも鮎は、普段、平気ですっぽんぽんの全裸を晒すくせに、身を捩って躰を隠そうとした。その腕を掴んで、強引に正面に向き直らせた。

合わせた口をずらし、首筋から耳に舌先を這わせると鮎の喘ぎはもう隠せなくなった。耳朶を軽く噛んで、耳の穴に舌先を捻じ込むと、抱いた腰ががくがくと震えた。腕を上げさせて左右の腋を交互に舐めて、そのまま、生硬くまだ膨らみきっていない乳房に喰らいついた。締まったウエストとまだ骨ばった腰の膨らみを撫で愉しみながら、乳首を強く吸い、舌先で執拗に転がす。万歳したままどうしてよいかわからなかった腕がようやく肩に下りて、胸を吸い続ける頭をおずおずと抱きしめた。

顔を上げて、もう一度その小さな唇をこじ開けた。舌を入れ、絡めるように鮎の口内を掻き混ぜる。不意に硬直していた鮎の躰から力が抜けて、絡んだ舌を逆に吸い返してきた。
――面白い。ようやくわかったか。
そのままゆっくりと背を抱いたまま、鮎を床に押し倒した。
再び、同じ手順を繰り返し、上を向いた乳房を音を立てて吸った。鮎は顔を横に向けて喘ぎを殺そうと躍起になっていた。今度はここでは止まらない。鮎にのしかかったまま乳房から離れた唇は更に下流を目指した。乳首を指先で摘み上げながら、脇腹をくすぐって腰骨から滑らかな下腹へ。硬く盛り上がった恥骨を覆う叢に容赦なく顔を埋めた。

柔らかで甘酸っぱい鮎の匂いが広がった。細かく縮れた陰毛が真っ白な地肌を薄っすらとぼかして見せた。肉の割れ目は一本の筋に収束し、すっきりと無駄がなかった。口を滑らせながら、足を押し広げると悲鳴のような声があがった。肉の隙間から小陰唇の襞がほんの僅かに顔を覗かせていた。会陰が午後の光に柔らかく光って既に潤っていることを予感させた。開いた足を腕でがっしりと押さえつけて、小さな割れ目に舌先を埋没させていく。鮎の切れ目のない悲鳴が部屋に響き渡った。

予想通り、内側は蕩けた蜜が滴るほどに熱く潤っていた。左右の小陰唇を唇で挟んでスライドさせて、鮮やかなピンクに濡れた合わせ目の小さな芽を擦ると鮎の滑らかな下肢に小刻みに痙攣が走った。
鮎は悲鳴を殺そうと腕で顔を覆い、自分の二の腕に噛み付いていた。そんな努力を無にするために包皮を捲り上げ、クリトリスを上下に舐め上げた。コリコリの芽が膨れ、尿道口のまわりから止めどもなく透明な粘液が溢れ続けた。調子に乗って膣口を軽く抉ると腰全体が跳ね上がるほど浮いて、広げられた足を閉じようとするもの凄い力が加わった。怖いのだろう。宥めるように元の愛撫に戻ると下肢から緊張が抜けた。丁寧にクリトリスから小陰唇を愛撫して、ときおり会陰から肛門に舌を這わせた。気持ち良くないわけがない。ねっとりと溢れ出る分泌液が鮎も一人前の女であることを十分に示していた。

頂点に達したのかどうかは反応が未熟で見極めがつかなかった。抱き起こした鮎を腕の中に抱え込むといつになく素直に胸に顔を埋めた。
「初めてのキスはどうだった?」
目が合うと鮎は真っ赤になって顔を背けた。背中で鮎の指先がカリカリと爪を立てた。
「凄い…嬉しかった……」
時間が止まったようにゆっくりと流れていた。

挿絵31

『空の青 9月(3)』

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細く開けた窓からひんやりとした空気とともに、染み渡るように重く響く川の音が流れ込んだ。夜半まで降っていた雨はあがったようだ。夜明けにはまだ間があった。
ひっそりと寝静まった街に、あけみの寝息が柔らかなアクセントをつけた。
あけみは寛の躰に潜り込むように丸まっていた。毛布のなかで触れ合っている肌がくお互いの体温をしっかり伝え合っていた。
まだ紅葉には少し早かったが二人だけの旅行から帰って来た夜、あけみは泊まっていくといって聞かなかった。普段あまり主張をしないからちょっと驚いたが、別に支障があるわけではなかった。
《いいけど……どうしたの?》
そう応えたとき、ありったけの感情がこもった表情で抱きついてきたあけみが脳裏に甦った。
寛はあけみの剥きだしの白い肩に毛布を引き上げてやった。

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初めての愛撫がもたらした影響だろうか。風呂に入っている時間がやたらと長くなったこと、躰にタオルを巻きつけて出てくるあたりが一応変化といえば変化だった。数日の間、鮎はしおらしく、目が合うと顔を染めて背を向けていたが、それもつかの間のことだった。
三日もしないうちに、再び鮎のほうからキスを求め、裸の乳房を押し付けてきた。夕実のように大きくはないが、形も大きさもそれなりに魅力的であることに疑いはなかった。首筋まで真っ赤に染まりながら、小さいながらも固く尖った乳首を唇に含まされれば、もう為るように為れと思うしかなかった。同じように下半身に口を滑らせると、盛んに口から出す言葉とは裏腹に期待していたように足が開かれた。下着にコロンを振っていたのだろう。何年か前の誕生日にねだられて買ってやったもの。忘れた振りをしていたが鮎はそれ以来、頑固なまでにずっと同じ匂いを身につけていた。その前回は匂わなかった甘いオレンジの香りが鮎の甘酸っぱい匂いと複雑に絡み合って記憶に刻み付けられた。

溢れた液を音を立てて吸うと鮎は両手で顔を覆い盛んに恥ずかしがったが、拒絶もしなければ逃れようともしなかった。むしろ舌の動きに合わせ、迎え入るように腰全体がスライドするようになった。喘ぎは一段と高まって、か細い悲鳴が小刻みに喉を震わせた。あけみや夕実、そして…智美と同じ。自ら求めるかどうかは個性としても、今まで口での愛撫を拒否した女はいなかった。膣口へそっと舌を差し入れても、もう逃げなかった。むしろ深くまで舌が到達するように足が極端に広げられ、股間に頭全体を抱え込むように性器が顔に押し付けられた。透明な粘液とは違った酸味がまとわりついた。ざらざらの膣壁を擦るように抉り、道を狭めている肉の襞を軽く突付くと、耐えられなくなった鮎が悦楽の声を上げ始めた。

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一日中、鮎に世話女房のように張りつかれ窒息しそうになったとき、夕実がやって来て一息ついた。また少し髪を切って、短い髪がいっそう短くなって、たぶん夕実の思惑とは逆に、余計女っぽく艶やかに見えた。おまけに、完全に露出した耳には地味で小さなイヤリングが光っていて正直ちょっと驚いた。なぜかは知らないが、夕実は寛が付き合った女性の中で鮎が反感を示さない唯一の女だった。あけみがきれいに揃えた食器棚の食器は、並べ方が気に入らないといって勝手に全部入れ替えた。洗面化粧台で見つけたあけみのお泊り用歯ブラシは露骨にもユニットバスの目地磨きに転用したのに、夕実が忘れていったつば広の帽子はちゃんと埃を払ってワードローブにしまいこんだ。

結局、鮎は家庭教師役に夕実を引きずりこんでしまった。勉強の合間の二人で内緒のヒソヒソ話。寛が傍によるとピタリと沈黙する。夕実が心もち顔を赤らめているところから、卑猥な話でもしているのだろうと推察したが、夕実に訊いても口を割らなかった。鮎は夕実を慕ったし、夕実は鮎を可愛がった。そんな二人を眺めているのは思いの他楽しく、智美のことで抜け出せなかった茫漠とした喪失感と鬱で惨めな気分が僅かに軽くなった気がした。

鮎を悦楽の園に導くことはできても、鮎の躰で自らの欲望を満足させることはできなかったから、勢いその矛先は夕実に向いた。彼女のバイトがある日を除けば毎日のように顔を合わせ、食事をし、声を聞き、手を伸ばせば触れられる状態は願ってもないチャンスだった。自然と鮎の目を盗んで夕実の躰を求めた。目線が合うだけで意志が伝わった。くっきりと盛り上がった胸元を見詰めるだけで頬を染めて襟のボタンを一つ外し、スカートから出た丸い膝を眺めるだけで、寛にだけ見えるように緩められた膝の角度が変わった。話し方、混ぜられる言葉、話題、仕草、そんなさり気ない互いの挙動から意味を読み取って、鮎が席を外した隙に手を伸ばせば、すっかり潤った夕実の躰がクタクタと倒れ込んできた。

松崎智美を喪った今、夕実は最も奔放で淫蕩な、それでいてどこか生真面目でいつまで経っても固さがとれない相反する要素を併せ持った不思議な女だった。刹那的な情感を湛えながら気の利いた会話もできるし頭の回転も恐ろしく速い。それでいて、本人は相変わらずわかっていないようだが、男を狂わせる天性の魅力に満ち溢れていた。若く瑞々しい清潔な肢体のみならず、積極的で淫乱なまでの性行為、尻を掲げ背後から動物のように犯されることを望み、尻の穴への挿入を求め、その化粧っ気のない素顔を寛の下に晒し射精を求め、顔に放出された精液を自らの指で唇に集める。求められるままに排尿する姿を晒し、挙句の果てには鳴き喚き、失神しながら潮をだらだらと漏らした。夕実は真っ白で毛穴すらない大陰唇からはみ出した肉色の襞をひどく恥ずかしがったが、広げてごらんといえばその淫らな形を両手指で広げ、強く顔を背けながらもその濃密な匂いを放つ淫猥な形への愛撫を求めた。普段の振る舞いとの信じられない落差が強烈な刺激になって焼き付いた。

ときどき、そんな情態を指摘すると夕実は首筋まで真っ赤に染めて俯いた。
そして決まってこう言った。
「わたしをこんな女にしたのは寛だよ。寛に全部教わったんだよ」
――そう。それはたぶん、疑問の余地がない事実だろう。
だから、今も尚、それがどういう結果を生むかは別としても、夕実は手放せない女だった。いや、理屈も常識も抜きに、自らの本能を安心して曝け出せる唯一の相手といってもよかったかもしれない。
だから、鮎がトイレに入った隙に、間髪を要れず夕実の口に怒張したものを押し込んだ。横目でトイレの扉を気にしながらも夕実は必死に愛撫で応えてくれた。床に四つん這いに這わせ、スカートを捲り上げ真っ白な尻を抱え、ぬらぬらと濡れた肉色の襞に男根を押し込んだこともあった。夕実は必死で声を押し殺していたが、二人の接合部が立てる猥褻に湿った接触音は隠しようがなかった。
夕実は困惑したが、寛は別に鮎に見られてもかまわないという気になっていた。いや、むしろ、鮎にはできないことを夕実が受け入れて、やり遂げる様を見せ付けてやろうと思ったのかもしれない。

鮎は複雑な表情を見せた。兄が夕実と交わる様を垣間見て純粋な好奇心の塊になると同時に、八つ当たり気味に不快の念を示した。それでも、真面目で垢抜けない優等生の夕実の豹変振りを見て、何か感じ入るところがあったことは間違いない。猛烈な嫉妬とは裏腹に、夕実への羨望を口にすることもあった。
「夕実さんみたいに胸が大きければよかったのに……」としょげることもあったし、「夕実さん、アソコ…きれいだよね……羨ましい。わたしも剃っちゃおうかな」などと、しおらしく兄の好みを量ってくることもあった。
「わたしもしたい……握ってもいい?」と、おずおずと手を伸ばしてくることもあったが、服の上から触れてみるだけが精一杯だった。
急ぐ必要はなかったし、このまま終わるなら、それはそれでよかった。
腕枕で胸に顔を押し付けて、安心しきってすやすや眠る鮎は子供の頃から可愛がっていたいつもの鮎だったから。

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鮎が東京に帰って一ヶ月になろうとしていた。
毎日のようにメールは来るが、2通しか返信は返していなかった。
そろそろ拙いだろう。下手をすると学校をサボってやって来かねない。
明日…携帯に電話をしてやろう。言葉のほうが後に残らない……。
他愛のない思いつきに少し気が楽になった。

寛はときおり躰の奥底に澱のように溜まった得体の知れない重さの正体を掴もうと躍起になっていた。それが母の言っていた地獄なのか、単なる思い過ごしなのか、経験がないからまだ実感は湧かなかった。そんな確固としたものではなかった。もっと曖昧で、もやもやした暗くあでやかな芯のようなもの……。あけみを抱いていれば忘れてしまうくらいの……ざらついた沈殿物。
すぐ傍らに、真っ白なシーツに半分顔を埋めているあけみの寝顔があった。
あけみは鮎を苦手にして、鮎はあけみを露骨に嫌っていた。仕方がないとはいえ、間の立場としてはちょっと辛い。
こんな光景を鮎が見たら逆上するだろうな……。
怒鳴り散らす言葉まで想像がついて、思わず声を出さずに苦笑した。

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夏が終わろうとしていた日。
寛はいつものように夕実を車で送り届け、初秋の夜気に少し震えながらアパートに戻った。
「ずいぶん早いね。ちゃんと家まで送っていった? 変な人多いんだから手抜いちゃダメだよ」
ドアを開けた鮎が少し非難がましい口調を向けた。
「道が空いてたんだよ。車はちょっと離れたところに停めるけど、ちゃんと夕実が門を入るまで見送ってるから大丈夫」
「そう。それならいいんだけど」
鮎は素早く寛を一瞥してテーブルに戻った。黒いテーブルには読みかけの本が伏せられていた。
「そういうおまえだってドア開けるとき、ちゃんと誰だか確認してから開けろよ」
読書を再開した鮎を眺めながら言い返した。
「兄貴なら足音でわかるから」
馬鹿じゃないの? と言わんばかりの口調。鮎は目も上げずに平然と切り返した。
ご機嫌が斜めらしかった。
「何読んでんの?」
鮎の側に廻って表紙を捲り上げた。
「夕実さんに借りたの」
高校の頃、夕実とは小説本を融通しあって貪り読んだ記憶がぽっかりと甦った。
家にもたくさんあったはずだが……、引越したときダンボールに詰めて送って…そのままだ。
「子供にゃ、ちょいと難しくないか?」
きっとした目が睨み返した。
「お風呂沸いてるから」
「明日の朝で…いいよ」
「やだ! ちゃんと躰洗ってよ。いや、やっぱりわたしが洗ってあげる。早く服脱いで」
有無を言わさず、鮎の手が襟にかかって身ぐるみ剥がし始めた。
「夕実さんはとってもいい人だけど、夕実さんの匂いがついた躰でわたしが洗ったシーツに寝ないで欲しいの!」
「ほら! 服も洗濯するから……」
強引に下着まで引き降ろされながらも、寛は唖然として鮎の為すがままになっていた。

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挿絵32

『空の青 9月(3)』

開け放しの窓から川の音がいつになく、くぐもって聞こえた。
この地方特有の、晩夏の少し湿った冷たい涼気が仰向けになった顔の上を流れていった。
隣室の電気が消えて、ひっそりとした気配が近づいた。
薄青い闇に溶け込んだ鮎の陰が視界を塞いだ。
ゆっくりと陰が広がって、口が合わさった。秘めやかで情熱的なキス。ずいぶん上手になった。手を差し出すと、大きくはないがふっくらと実った乳房がぴったりと載せられた。
「お昼くらいから張ってるの……。もう、間違いないから」
ぞっとするほど大人びた笑みを浮かべ、鮎は決然とした口調で言い切った。
言われてみれば普段より少し硬く一回り大きい気がしないでもなかった。それが意味することがゆっくりと頭に染み込むように広がった。ぴんと突き出した乳首に指が触れると鮎の大きな黒目が閉じた。
鮎が求めていることはずっと前からわかっていた。
「そう。……でも、やっぱりオッカナイから付けようか」
「何のために今日まで待ったと思ってるの? 馬鹿にしないでよ。夕実さんとはそのままし放題のくせに」
青い闇に鮎の真っ黒な瞳が爛々と光った。

裸の腰に手を廻すと、鮎は再び口を合わせてきた。今度は舌先が歯をくぐり、しっかりと舌を絡めてきた。寛が教えたことに忠実に、適度に変化をつけながら長いキスが繰り返された。鮎の手が胸の筋肉を撫ですさり、やがてゆっくりと目的地に滑り始めた。
冷たい手がしっとりと触れてきたとき、寛は自分が完全に勃起していることに気付いて驚いた。
先端が生温かさに包まれて、微妙な刺激を加え始めた。まだまだ夕実やあけみには遠く及ばないが、二人とは違う新鮮な感触が寛を奮わせた。
いや、むしろ薄闇に上下するシャープな横顔と髪を掛けた耳の形、腹の上でうごめく艶やかな黒髪に見蕩れていたのかもしれない。快感が突き上げるにつれて鮎の頭の動きに合わせて自然に腰が突き上がった。鮎にも変化がわかったのだろう。合わさっていた瞼がゆるりと開き、瞳に鬼火のような青い炎が踊った。

堪らなくなって鮎の下肢を引き寄せて胸に跨らせると、鮎は更に喉の奥に呑み込んだ。
普段なら背中を丸めて見せまいとするのに、細いウエストが逆にしなり、目の前に鮎の秘部が露わになった。ほの白く浮き上がった尻に両手を当てて引き寄せると、甘酸っぱい匂いがいっぱいに広がった。
肉の割れ目は既に滴るほどに濡れて、夜目にもきらきら輝いて光った。顔全体に押し付けるように尻を抱え、舌先を濡れそぼった陰唇に差し入れた。
鮎の動きがいっそう激しくなって、包まれる感覚が押し寄せた。
負けずに舌先でクリトリスを突きながら舌全体を陰唇に押し込み鼻先で肛門をくすぐった。突き上げるように鮎の尻が震え、溢れるものが顔を熱く濡らした。隙間なくぴったりと合わさった躰を目くるめく陶酔が貫いた。複雑に絡み合った二匹の白い獣のリズムが完璧に一致して、うねりのような律動が絶え間なく湧き上がり、放散し、輪転していった。

お互いの性器を貪るように愛撫し合う情態は、二人が生まれた日から既に定められていた枠組を完全に逸脱していた。いつも見ない振りをして来たはずのもの、避けて通って来たはずのことは何一つ姿を変えず、寛の現前にあった。運命ではなく必然、成り行きではなく意志と願望、日々積み上げられて、蓄積された情念の核が二人を情動の深遠から突き動かしていた。鮎の膣に深く舌先を捩じ込み、鮎の匂いを浴び、体温を全身で受け止めながら、地獄の蓋がゆっくりと口を開き始めたのが手にとるようにわかった。

「もういい」
鮎の腕を掴んで躰を強く引いた。
膝を支点にくるりと反転した鮎の白い顔に、不安に慄くように大きな目が見開かれた。
「ごめんなさい。痛かった?」
躰をずらし、仰向けになっていた位置に鮎を横たえた。
圧し掛かりながら、膝でほの白く輝く鮎の下肢を割った。
鮎の黒目で青い鬼火が揺らめいていた。寛はその妖しい炎から目を離すことができなかった。
吸い込まれるように鮎の小さな頭を抱きかかえ、濡れた唇を貪り吸った。二人の唾液と体液が陶然と混じり合って、鮎の腕がもう二度と逃がすまいと寛の首を抱きしめて髪を掻き毟った。
鮎は目を瞑り、口を合わせたまま艶然と微笑んだ。

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カーテンに覆われた窓が燐光を放つようにぼんやりと白く輝いた。シーツに顔を埋めると、微かに洗剤に含まれた香料の匂いが香った。
まだ……夜明けには程遠いのに……。
記憶の淵に吸い込まれるように意識が遠く掠れ始めた。
目を瞑ると重く響く川の流れが奔流のように押し寄せてあけみの寝息を消し去った。

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最後の実演が終わり、天辺の背中についてブースに引き揚げた。一週間ぶりくらいに晴れ間が広がって最終日の今日は展示会も盛況といってよいだろう。朝から考えていた以上に人が増えていた。
久野夕実はてきぱきと臨時の店番をしていた協会の事務の人から売り子を引き継いだ。
「あのケースの中の…見せて欲しいって人が来ましたけど……」
そう聞いて胸がどきんと鳴った。
「背の高い男の人でしたけど……今、実演してるからって話したら、また来ますって」
夕実は丁寧に礼を言ってレジのキーを受け取った。

振り向きざまにポンと肩を叩かれた。
「やぁ、夕実ちゃん。今日は一段と良かったね。だんだん固さが取れてきた。明日がないのが惜しいくらい」
協会の湯浅氏だ。自分ではちっとも上手くいかないと思っていたから、慣れないアシスタント役とはいえ、褒められればやっぱり嬉しくもありほっとする。
「ずっと見てらしたんですか?」
ニカッと笑った顔は最初に感じたほど嫌味でも気障ったらしくもない。
「終わったら打ち上げにいこう」
耳元でこっそり囁かれた。
誘われてる? のだろうが慣れていないから、ついオロオロしてしまう。
「え…、で、でも…」
「天辺さんも一緒だから」
なんだ……。最初からそう言ってくれればいいのに。表情が変わったのをすぐに読まれた。
「……って話をしに来たの。いるかな?」
相変わらず気の早い人だった。
湯浅氏は答えも待たずにカーテンを引いて奥に入っていった。

昨日よりも売上げは倍増していた。実演が功を奏したのか数千円程度のものが良く売れた。
こけしを手に乗せ、客と並んでカメラに収まる。お客さんが喜んでくれれば、それはそれで嬉しい。次から次へとひっきりなしで列ができるほどだった。
おまけに、昼過ぎにやって来た中年の人が“夕実花蜜”を三体買い求めた。
最初、応対した際に「一式まとめて欲しいんだけど何とかならん?」と言われて仰け反った。天辺氏曰く業界でも有名なコレクターだそうだ。
おかげで売約済みの札がとうとう八つになった。夕実は嬉しいやら恥ずかしいやら、一人でほくそえんだり顔を赤らめたりで大忙しだった。
時間はあっという間に過ぎていった。
四時過ぎ、ようやく人波が一段落した。
ほっとして緊張感が緩んだとき、目の前を塞いだ陰を見上げて夕実は凍りついた。

『空の青 6−3』(続く)

作成日:2007/08/25 最終更新日:2007/08/25

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