「やぁ。和服も似合うね」
顔は笑っていたが眼鏡の奥の目は笑っていなかった。
佐々川雅明の刺すような視線に見下ろされて夕実は息が止まった。
「どうして……わかったのかって?」
夕実は呆然とうろたえた。
「メールの返信が来ないから、さて、どうしたものかと考えていたら、お誂え向きに夕実ちゃんの家から米の注文が入った。もちろんササニシキ10kg抱えてすっ飛んでいった」
――ああ。そこから先は手に取るように分かる。
彼は母にさり気なく訊いただろう。母はわたしが金曜の夜に説明代わりに手渡しておいたパンフレットを見せたに違いない。パンフを見ればわたしがどこで何をしているのか、返信メール一通出せないほど何に囚われているのか瞬時に想像がついたことだろう。
息苦しいまでの緊張に夕実は目を背けた。
「これが例の花蜜か……」
中央のガラスケースを覗き込んでいる佐々川の姿を見て、夕実の内に羞恥の炎が吹き上がった。
「ずいぶん売れてるんだな……。これって手にとって見れる?」
夕実は顔を上げられなかった。
躰に突き刺さる痛いほどの視線にちりちりと身が焦げ始めたとき、カーテンが引かれ、湯浅氏と天辺が出てきた。
佐々川の目が一瞬迷って天辺の顔を正確に捉えた。
「じゃあ、また後でね。夕実ちゃん」
今ほど彼に残っていて欲しい状況はないのに、湯浅氏はあっさりと期待を裏切って、片目ウィンクだけ残して颯爽と去っていった。
――最悪。拙い。どうしよう…どうしよう……。
頭が全然廻らない。怖くて振り向けない。
「これを見せてもらえますか?」
佐々川の極めて冷静で明瞭な口調が歪んだ空間を元に引き戻したように思えた。
ほんの少し安心して、恐る恐る振り返った。
「どれにしましょう?」
佐々川の強い視線をものともせずに天辺が応え、懐から取り出した鍵でケースを開いた。
「…じゃぁ、葉月を」
青く彩色された小体なこけしが佐々川の手の平に載せられた。
眼鏡の奥で切れ長の目が若干細められた。尖った鼻先が小さな木偶に近づいて匂いを嗅いだように見えた。その意味がわかった夕実は頭に血が上って俯いた。穴があったら入りたい。
顔はたぶん真っ赤になっているだろう。
佐々川が天辺に突っかかるのではないか…と冷や冷やしたが、その心配は杞憂だったようだ。
「8月に作られたと聞いたので……」
天辺も彼が唯の客でないことぐらい感じ取っただろう。皮肉を込めた会話の応酬が始った。
「ええ。その通り。よくご存知ですね」
天辺の鋭い視線が佐々川を見据えた。
「霜月が最高ですが…作者の強い情念が感じられるくらい……でも売約済みだから、次はこれが鮮やかで、瑞々しくて気に入りました」
「そうですか。お目が高い。お若いのに…学生さんですか?」
「ええ。今は持ち合わせがないですが……これを…予約購入みたいなことはできますか?」
思わぬ展開に夕実は目を見張った。
「ええ、もちろん。このシリーズは展示会終了後に納品させて頂きますから、お代はそのときで結構ですよ」
「そうですか。それはよかった。全部欲しいくらいですが……正直、ホイホイ買える金額ではないですしね」
言葉とは裏腹に、余裕綽々に佐々川が応えたが、天辺はそれを上回る営業用の微笑を浮かべていた。
「そうですね。学生さんなら2割引きましょう。学割ということで」
「じゃぁ、こちらへ住所とお名前をお願いします。ええっと、順番になるのでお届けは早くて木曜日になりますがよろしいですか?」
差し出された芳名帳を佐々川の目が一瞥した。
「ええ。期末の休みだからかまいません。昼過ぎくらいがありがたいですが……」
ペンを執った佐々川が角張った几帳面な文字で空欄を埋めた。
「一応こちらにも店を出しておりますので、よろしかったらお出掛けください。では、後日改めて」
名刺を手渡した天辺が深々と頭を下げて、あれよあれよという間に契約は成った。
「さて……じゃぁ、帰るよ」
目線が一瞬絡み合って、すっと伸びた佐々川の手が夕実の頬に軽く触れて……離れた。
眼鏡の奥の切れ長の瞳は複雑な色を湛えていた。
「今日は送らなくても……大丈夫そうだね」
夕実は目を逸らし、ただ頷くことしかできなかった。
くるりと踵を返した佐々川は針のような背を向けて真っ直ぐに通路を去っていった。
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「彼氏か? いかにも切れそうな、いい男じゃないか」
耳元で低い声が囁いて、我に返った。
頷くべきか首を振るべきか、考える前に両方の動作が繰り返された。
「……いつも…いろいろ親切にしてくれて、心配事の相談に乗ってもらって……」
「だから寝たのか?」
「そ、それは…違う……。ずっと…昔から好きだったって言われて……わたしはそれを前から知ってて…気付かない振りをしていて」
「なんだ、本命は別か? 本命の彼氏とは上手くいかないし、利用してるみたいで後ろめたいからサービスしたのか?」
「サービスだなんて……わたしがしたいから…した…んです」
天辺の射抜くような視線が夕実を貫いて、ふっと和らいだ。
「ふん。おまえは本当にいい子だな。ますます、手放せなくなった」
天辺の腕が夕実の腰を抱き寄せた。
紺色の生地に包まれてはいるが、弾けるような弾力を秘めて豊かに盛り上がった夕実の尻をなんの躊躇いもなく天辺の手がさすり上げた。
「布地を通してもはっきりと質感が伝わる、男を簡単に狂わせる尻だな。あいつの目の前にも、このプリプリの尻を掲げたのか?」
「そ、そんなこと…訊かないで」
通路からはカウンターの陰になって売り子と店主が並んで立っているようにしか見えないはず……と、夕実は自分に言い聞かせたが、明らかに視界がかすみ始め、目線の行き所がなくなった落ち着かない表情を晒すのは恥ずかしかった。
「そんなにされたら……我慢できなくなっちゃう」
夕実は天辺の手をそっと握り締めて懇願したが、夕実の内で黒い炎が吹き上がり意識とは別の何かがうごめき始めた。
「尻を抱えられて、後から入れられたのか?」
「だって…、だって、仕方がないじゃない……」
「バックからしたら尻の穴が丸見えなのはわかっているだろう? 指で陰唇も広げたのか?」
「見たいって…言われたから……断れないし」
「中出しさせたな? ん? 尻の穴まで許しただろ? 正直に言え」
「ごめんなさい……」
「AV女優顔負けだな。その口でしゃぶったのか?」
答えたくはなかったが嘘をつきたくなかったから、夕実は結局黙って頷いた。
「3本のちんぽのなかで、どれが好みだ?」
一瞬のタイムラグの後、夕実は顔を真っ赤に染めて俯いた。
「ん? なんだ? 全部で3本じゃないのか?」
夕実は天辺を正面から見詰めて激しく首を振った。
「酷い…3人だけ……。でもどれがいいかって…そんなこと……」
天辺の指先が夕実の尻の中央の窪みに潜るように動きを変えた。
「その小さな口でふぐふぐ咥えてるんだろ。おまえがいちばんよく知ってるはずだ。説明してみろ」
片手を伸ばした天辺がソーセージの皮を剥くように浴衣の裾を捲り上げた。
「さ、佐々川君…今の人…のは大きくて…長くて…たぶん全部入りきらないんじゃないかって思う……。奥の壁にぶつかって…気が遠くなる。わたしばっかり何度もいかされてるのに…彼は冷静で、冷たい目で観察されているようで……怖いくらい気持ちいい」
「本命はどうなんだ?」
むっちりとした太腿が露わになって、真っ白な肌が小刻みに震えた。
「寛は……寛は最初の人だし、ずっと彼しか知らなくて、寛も大きくて硬くて…ちょっと荒っぽくて、大胆で、若くて元気があるって感じで……。血が通い合うようで、いくときもいつも一緒だし…汗まみれでいつまでも抱かれていたいみたいな……」
夕実は尚も裾を持ち上げる天辺の手を押さえ、視界から逃げるように躰を隠した。
「恥ずかしい。何言ってんだろ、わたし」
夕実の手が天辺の袖を強く引いた。
「でも…でも、天辺さんのがいちばん太くてね…カチカチだから、無理やり押し分けて入ってくる感じで、すぐ気持ち良くなっちゃって……。それとね…精液が濃くて、量も…凄く多い。匂いも強くて“男”って感じがするの。最初……、スクエアビルで顔に掛けられたとき、咽るほど匂いが濃くて…ほんとはちょっとだけ舐めてみて…味が濃くてびっくりしたの」
下半身をまさぐらせたまま、夕実は天辺の背に顔を隠した。
「あのときは…たまたま溜まっていただけだろ」
夕実は小さく首を振った。
「そんなことないと思う…。だって、そのあとも…いつもそうだから。でも…わたしの口には大き過ぎて、口ですると歯が当たっちゃって…上手くできない…くて…痛かったらごめんなさい」
「別に謝らんでもいい」
行き止まりに達した指先がぬるりと割れ目にもぐりこんだ。
「でも…もっとちゃんとしてあげたくって……」
焦点が定まらない夕実の瞳が天辺の前を見詰め、ゆっくりと目を逸らすように瞼が合わさっていった。微かに鼻腔が広がって喉の奥から声が洩れた。
「きれいな顔だな。そそるぞ。おまえを犯したくなった」
陰唇を撫で廻していた天辺の指が膣に深々と突き刺さった。
夕実が息を呑む声が二人の間に艶めかしく立ち上った。
「こ、ここで? そんな……」
「カウンターに手を突け。尻を突き出すんだ。立ったまま後から犯してやろう」
指が円を描くようにざらざらの膣壁を掻き混ぜた。
「そ…んな……。他の人にわかっちゃう」
夕実の膝が抜けそうになって天辺が夕実の腰をがっしりと締め付けた。
「さっきの彼氏に見せてやればよかったな」
「それは…絶対ダメ。これから湯浅さんと打ち上げに行くんでしょ? 今したら…行けなくなっちゃう。ね、お店に帰ってからにして…お願い…何でもするから、ね」
「何でもするのか? それは愉しみだな。期待していいのか?」
夕実は頬を染めて天辺の肩の陰に俯いた。
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最終日は後片付けのため昨日よりも1時間早く閉展した。入り口が締め切られると、すぐに関係者が総出で展示物の撤去を始めた。売れ残ったこけしを段ボール箱に梱包している脇で、同時にパーティションの撤去が進んでいく。きらびやかな展示場は見る見るうちに虚飾が剥がされて、剥き出しの骨組みが露わにされた。その骨組みすらも片っ端から倒され、一本の鉄材や一枚のパネルに分解されていった。
余香庵もすぐに撤退作業に取り掛かった。
ケースに入ったままの“夕実花蜜”を除けば、こけしたちは二つの箱に収まった。天辺がレジや備品をまとめて別の一箱に押し込むともうやることはなかった。車と展示場を天辺と夕実で2往復づつすれば片付けはあっさりと済んだ。思いの他売れたので荷物は出展時の半分以下に減っていた。
同業者達が行き交う通用口で待っていると、ほどなく湯浅が現れた。高級そうな生地のスーツを無造作に着こなして、思いっきり場違いなソフト帽を長い髪の上に載せているのが不思議と決まっていた。
夕実が遠慮して助手席を譲ろうとすると湯浅氏は大げさに手を広げた。
「いや、いいの。いいの」
湯浅はバンのスライドドアを引いてさっさと後席に納まった。
手回しよく予約されていたとみえて、店に入るとすぐに小さな庭が見える座敷に通された。
藍色の空を背景に垣が廻らされ、石灯籠に灯が入っていた。夕実と天辺が並んで座り、湯浅氏が対面に落ち着いた。間髪を入れず料理人が現れて、湯浅氏とやり取りを始めた。常連なのだろう。そつなく、流れるように物事が決められていった。
「浦霞。のめるでしょ?」
「え、ええ。でも…天辺さん車だし……」
「ああ…それは大丈夫。いつものことだから。夕実ちゃん、何か苦手なものはある?」
と、問われても選択肢がわかったようでわからないから困る。
湯浅は逡巡している夕実の表情を正確に捉えた。
「じゃぁ、おまかせで。適当に旬のものを」
料理人が去ると仲居がお絞りを並べ、各人の前に竹を編んだ器を並べ、きれいに折られた真っ白な紙を丁寧にセットした。添えられた赤く染まった紅葉の葉が透き通るように鮮やかだった。傍らに淡い碧のざっくりといびつな器に入った天つゆと形よく盛られた塩、色とりどりの薬味が盛られた小皿が配られた。仲居が下がるとすぐに酒が運ばれて、薄青色のガラスのお銚子、不思議な形に歪んだぐい飲みが柾目の浮いた受け皿に置かれた。
「あ、いいよ。やるから」
仲居を制した湯浅氏が手早くお銚子を取り上げて、天辺に促した。
天辺はにやりと笑って夕実を目で示した。
「おっと失礼。今日の主役は夕実ちゃんだ」
鮮やかなブルーの器を満たしていく透き通った液体を眺めながら、夕実は当惑していた。
「天麩羅みたいな野蛮な料理にはあんまり吟醸とかじゃなくてさ、これくらい腰が据わったのがいいね」
一口舐めて普段口にする酒と違うことくらいはわかったが、そう言われても答えに窮してしまう。
代わりに天辺が言葉を繋いでくれた。
「まぁ、元は立ち食いの屋台だからな。でもこりゃ特別純米酒だろ? どこがこれくらいだよ」
待たされることなく料理が運ばれて来た。
「最初は香りものからどうぞ」
白い紙にカサリと置かれたものに目を見張った。揚げ油がまだ微かに音を立てている。
はっきりと際立った匂い。松茸だ。かなり大きいのに大胆に半割にしたものをそのまま薄い衣で軽く揚げている。
「一口目はそのまま、二口目は軽く塩だけでどうぞ」
「お、いいね。出し惜しみしないで。後で貰うといろんな匂いが混じっちゃうからね」
紫シメジに舞茸、平茸と茸尽くしが続き、メゴチ、穴子と白身魚、スミイカの子供を丸ごと揚げたもの。茸はあくまで香りが高く、魚はしっとりと淡白だった。
「やたら軽くて白くてサクサクってのが今の流行りだけど、ここはきっちり揚げて、具と衣のバランスが調和しているの。衣も固すぎず柔らかすぎずで」
中身に合わせて衣も変えているのだろう。揚げ具合はもちろん、衣の歯ざわり、具が透けて見える厚み、香ばしさ。ほくほくの栗の熱さと甘さには思わず顔が綻んだ。
「ハゼとさぁ、あと百合根ある? 夕実ちゃんもどうぞ。好きなのどんどん追加して」
「えっと、わたしは、じゃぁ、葡萄海老と銀杏……かな。あと…最後は天茶でお願いします」
注がれてばかりいる酒に顔が火照った。
「ふ〜ん。けっこう詳しいじゃない。舌も肥えてるね? オレも天茶ね」
「ああ、えっと、高校の時の先生にあちこち……お鮨とか、鰻とか連れて行ってもらったから……」
「あらあら、そうなんだ。そりゃ、豪勢だね。ふ〜ん」
湯浅の目が探るように夕実を見た。
「え? あ、誤解しないで下さい。女の先生ですよ。それも、すっごい美人の」
天辺が細く開けた窓から秋の空気がひんやりと流れ込んで、頭がすっきりとした。
かき揚げ天茶を平らげて、デザートの柿のシャーベットに思わずにんまりしながら、気がかりだったことを思い切って訊ねた。
「あの…。なにかお話があるんじゃないでしょうか?」
湯浅の目が“ピンポン”と答えて、その仕草が可笑しくて思わず笑ってしまった。
正面に座った湯浅がぐっと身を乗り出した。
「でね…さっき天辺さんにも話したんだけどさ……」
夕実は湯浅の顔を正面から見て言葉を待った。
「次の展示会、年明けにけっこう大々的にやるんだけど、うちのね、イメージ・ガールになってもらえないかな。つまんない仕事だけどさ、展示会に顔出ししてもらって、あとはポスターとか、観光旅館やホテルにばらまくパンフのモデル。天辺さんは渋ったけどさ、夕実ちゃんがOKなら仕方がないってとこまでは追い込んだわけ」
「……」
「…ちょっと一肌脱ぐと思って、いや、服は脱がなくていいんだけどね……」
「わ、わたしが…ですか?」
湯浅がぶんぶん首を縦に振った。
「もちろん……少ないけどバイト料もきちんと払います。わたし……ピンときちゃったのよ」
思わぬ方向に話が転がり初めて夕実は慌てた。
「は? え? で、でも……か、可愛くないですよ、わたし」
今度は長い髪と一緒に湯浅の首がぶんぶん横に振られた。
「いや、だから、天辺さんがピンときたようにね、わたしね、もう頭の中で出来てるの。夕実ちゃんのイメージ」
びっくりして天辺を見ると、彼は微かに目を細めておいしそうに食後のお茶を啜っていた。
「大丈夫。天辺さんが保護者役を買ってくれたから…カメラマンとかはプロだけど、都合は夕実ちゃんに合わせるし、学校もあるでしょ? どこか遠出したりってのはないからね。ああ、でもやっぱりご両親の承諾を得たほうがいいのかな……」
天辺がわざとしかめっ面をして呟いた。
「箱入りだからな」
急に自分が子供じみたように思えて夕実は慌てた。
「そ、そんなことないです。大丈夫。自分のことは自分で決めます…」
親に言えるようなことではない。母のまなじりが釣り上がった顔が即座に思い浮かぶくらいだ。
だが、彼らが言うことには間違いないだろう。彼らが信頼に足りることは本能的に……天辺に関していえば身も心もすべて、最初から理解していたはずだ……。
顔を上げた正面で湯浅氏がにっこり笑った。
抵抗していたはずの感情が最後の潮が引くように後退していった。
「は、はぁ…」
情けない声が出てしまった。
夕実の拙い葛藤は襖の向こうの仲居の声に掻き消された。
「林さんがお見えですけれど……」
「ありがとう」
湯浅氏が立ち上がる間際に膳スレスレに頭を下げたのを見て、夕実は物事の流れを率直に受け入れる以外に術がないことを悟った。
靴を履いて通路に出た。湯浅氏の後についていこうとすると、天辺に手を軽く引かれた。
「いいの、いいの。気にしない」
お勘定のシステムがどうなっているのかまったくわからなかったが、天辺に先を促された。
「こういう場合はね……」
風除室のガラスドアから出たところで湯浅が追いついた。
「ご馳走様でした」
夕実は天辺に合わせて、慌てて頭を下げた。
********************************************
とっぷりと暮れた駐車場には車が1台増えて、その前に若い男女が並んで待っていた。
天辺と湯浅を見て二人が頭を下げた。
夕実が車の前で戸惑っていると天辺が後席のスライド・ドアを開けてくれた。
天辺が助手席に乗り込んで、片割れの女性が運転席に座った。
「こんばんは、先生。えっと、こちらが…今話題の夕実ちゃん? ですよね」
今話題って……? 何? きれいな人だ。ポカンと見蕩れてしまう。
「協会の林です。林…真理子」
タイムラグの後、慌てて夕実は自己紹介を返した。
夕実は微かに首を傾げた林の会釈と笑顔にもう一度見蕩れた。
すぐに車はスタートした。きびきびした運転。アクセルの踏み込みも鋭い。
流れに乗ったワゴンは滑るように夜の市街地を疾走した。
「食事は?」
「後片付けに手間取っちゃって…おまけに、会館の立会いのオヤジがとろくて、結果的にまだです」
「なんだ…言ってくれればよかったのに……」
「あ、いえ。とんでもない。帰りに…加藤クンと一緒に理事に連れてってもらうから、大丈夫です」
加藤クンとはさっき駐車場にいたもう一人の男性だろう。湯浅氏の車を運転しているはずだ。夕実は窓の外を流れる夜の街を眺めながら、林の何となく不自然な話し方に気が引かれた。
「鮨屋かなんか…呑めるところがいいんじゃないかな。彼、しっかり食べちゃってるから」
「ええ。そのつもりです」
林がしっとりとした笑顔を天辺に向けた。
「あの…先生」
林の口調にほんの僅かな緊張を感じ取って夕実は聞き耳を立てた。
「弘前の旧家から……出たって話、ご存知ですか?」
「ああ。さっき湯浅さんから聞いたよ」
「昨日おとといとちょっと見てきたんですが、雑音が入る前に…うちが買いに出ようと考えてるんです……」
「いいものなんだ? 具体的なことは何も聞いてないけど……」
「来週、もう一度行くんで……よろしかったら、先生ご一緒してくれませんか。一応弘前大学の先生にもお願いしているんですけど、学者先生には木の状態や絵の善し悪しはわかりませんから……」
林の剥き出しの首筋から微かな匂いが艶めかしく立ち上った。対向車のライトにその細い首筋を飾るシンプルなアクセサリが周期的に輝いていた。
「数がかなりあるし、意匠も今までにないような面白いものもあるんです」
「そう。そりゃ見てみたいな。週末だったら空いてるよ」
林の肩からすっと力が抜けて、声が明らかに花やいだ。
「じゃあ、後で日程決めてご連絡差し上げますから」
跳ねるように軽やかに車が加速した。
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荷物を余香庵に降ろして車を駐車場に廻して来た林が天辺の手の平にキーを置いた。林の白い指先が天辺の指に微かに触れたような気がした。
「じゃぁ、わたし達はこれで。おやすみなさい」
藍色の暖簾が揺らいで、林の優雅な会釈が夕実の脳裏に焼き付いた。切れ長の目元が…少し染まっていたような気がした……。
一体何を考えているのだろう? 走り去るエンジンの音が夜の闇に呑み込まれて、ようやく夕実は波立つ心を押さえつけた。
「……きれいな人ですね」
「ん? ああ。そうだな」
「頭も切れるし……気が利くし。……スタイルもいいし」
自然と躰が触れて、天辺の腕が夕実の腰を抱いた。
「前から思ってたんですけど……ここ、天辺さん一人で住んでいるんですか?」
「どうしたんだ? いったい……」
天辺はしがみついてくる夕実を抱きとめた。
「……奥さんはいないんですか?」
上目遣いになった黒目が一瞬光って、すぐに眠るように胸元に顔が押し付けられた。
「もう5年くらい前か。あのときは……北海道だったな。ドサ周りから一月ぶりに帰ってきたら、机の上に押印した離婚届が置いてあった。持ってても……仕方がないから余白を埋めて市役所に出してきた」
「一緒に行けばよかったのに……」
「最初は一緒に廻ったこともあったんだがな……」
暖簾が揺れて秋の夜風がひんやりと忍び込んだ。
天辺は夕実を店の中央にある分厚い樫の木でできた台に座らせた。ついこの間までそのディスプレイ台に所狭しと並べられていた大小さまざまなこけしたちは展示会で半分ほどに数が減っていたが、残りはまだ梱包の中だった。
「茶でも入れよう」
立とうとする天辺の腕に夕実がすがりついた。
「……わたしがやります」
夕実が慣れない手付きで茶を盆に載せて戻ると、店の照明が落とされて天辺は樫の木に腰掛けて暖簾の隙間から煌々と照りつける月を見上げていた。
茶碗を差し出した夕実は天辺に寄り添うように腰掛けた。香炉に火が点されていた。低く這うように二人の足元から白檀の香りが這い登った。天辺が暖簾の裾を軽くいなすと布地が大きく割れて青白く輝く満月が並んで座る二人を明るく染め上げた。
「忘れないうちに渡しておこう」
小さな白木の箱が夕実の揃えた膝に置かれた。
蓋を僅かにずらすと焚き込められた白檀が透き通るように匂った。
クッション材に半場埋もれながら小さな木偶が笑ったように見えた。
……11月の花蜜だった。二日前、一目見て気に入った…目が離せなくなった霜月のこけし……尻を抱えられて、躰の中心を突き進んでくる感触がまざまざと甦った。
「それと…バイト代だ」
懐から取り出した封筒が夕実の手の平に載せられた。
その厚みと重みに驚いて、夕実は天辺の顔を振り返った。
慌てて中身を覗いた。
「こんなに貰えるわけないじゃないですか…どうして…」
「50万ある。全部で120万なんだから霜月と合わせてちょうど半分だ。ぴったりだろう」
「ちょ、ちょっと…そんな滅茶苦茶な…」
「半分は…いや、ほとんどはおまえのおかげだよ。遠慮しなくていい」
「でも……」
「おまえがいなければ“夕実花蜜”はできなかった。それで十分だろう」
天辺は夕実の唇に指を触れ、尚も零れ落ちそうになる夕実の言葉を封じた。
「そのスカートを見るのは今日で三回目だ。靴もパーカーも年季が入っている上にこの間と同じだ。今日のパンツは模様が可愛くてお気に入りなのかもしれないが後が綻んでいる。無理に化粧なんかしなくてもいいが、若い女の子なんだから本ばかり読んでないで、もう少し見てくれに金を掛けてもいいだろう。遠慮なく使え。普通に気を使うだけで、おまえは間違いなく見違えるぞ」
淡い月明かりにも夕実の顔がはっきりと染まった。
湧き上がる羞恥に耐え切れなくなって夕実は天辺の肩に顔を埋めた。
「余ったら銀行にでも入れておけ。いつか役に立つことがあるよ」
「でも……。そうだ、こけし……ダンボールから出して並べます」
「おいおい。今日はもういいよ。二、三日掛けてゆっくりやるから……」
「でも……わたしにはそれくらいしか手伝えないから」
「そんなことはないだろう? おまえがいなくては次はできない」
夕実は顔を埋めたまま小さく鼻を鳴らして頷いた。
「それに…少しレイアウトを変えようと思っているんだ。見栄えよく、かつ刺激的にな……」
「刺激的って?」
「この正面の台にはこけしは置かない」
「何を置くの?」
「おまえを飾ることにした」
言葉が夕実の頭に染み渡り、わかっているはずの天辺の意図に最も近い選択肢を敢えて避けた思考が繰り返されて、結局は直感が導き出した答えを採用せざるを得なかった。
堂々巡りに要した僅かなタイムラグの後、夕実は慌てて目を逸らした。
「そ、そんなことしたら……お客さん来なくなっちゃいますよ」
「そんなことはないさ。今日だってみんなおまえを見てたぞ。おまえを見て、おまえにこけしを持たせて喜んでいたじゃないか」
「可愛くないのに……困っちゃう」
「無意味な謙遜はしなくていい。顔も躰も十分にきれいだ」
夕実の黒目が月明かりにきらきらと輝いて、柔らかく濡れた。
「ほんと? ほんとにそう思う? モデルまで引き受けちゃったし……全然自信なくて……」
夕実はきつく合わせた膝に両手を突いて躰をすぼめた。
「わたし……どんな風に飾られるんですか?」
「聞きたいか?」
潤んだ黒目が天辺を見詰め、小さく頷いた。
「そうだな、手と足を大の字に開いて縛り付けるか、得意の四つん這いで尻を突き上げて陰唇開きとどっちがいい?」
躰を寄せた夕実が小さな悲鳴をあげて天辺の腕にしがみついた。
「どっちも困る……。裸にされちゃうんですか? わたし……。お尻大きいし、足太いから……恥ずかしい」
「裸のほうがきれいな人間なんて滅多にいないが、おまえは数少ないそのうちの一人だ」
「わたし、ときどき自分がわからなくなる……。きれいだって言われれば嬉しいし、意識もする……。理性はダメって言っているのに、頭の半分は見られることを悦んでいる……」
暖簾の隙間から秋の夜気が流れ込み、暗く沈んだ床面を薄白い煙がたなびいた。
「でも、見られるのはまだしも、そんな格好していたら、知らない人に犯されちゃうじゃないですか。見ず知らずの人に躰を自由にされるなんて嫌。そんなこと許すなんて、わたしを好きな人に申し訳ない……」
天辺の指先が夕実の顎を持ち上げた。黒い瞳に月明かりが弧を描いた。
「その割には大胆だったぞ。昼間、ツーショット撮ってた客にぴったり寄り添って尻を触らせていたじゃないか。気付かなかったわけはない。目元が染まっていたからな」
「ち、違う……腰に手を廻されただけ。どうして…わたし困ってたのに……。だって、お客さんだし…振り払うわけにもいかないし……」
「正直に言え。怒ってるわけじゃない。傍から見てもいい女だった。目を見ればわかる。おまえ、濡れてただろ」
「もう! 意地悪なんだから……」
夕実は天辺の胸元に潜り込んで顔を隠した。
「すごい強引な人たちで……さり気なく手を握ってくるし、どうすればいいのか困ってたのに…。でも、たくさん買ってくれたから、ちょっと笑顔になってみたの。そうしたら…勘違いされたみたいだけど、まぁ、いいかって……売り子なんて初めてだったし、なんとなく自分にも魅力があって、この人、わたしの躰を触りたいのかなって……おっかなびっくりだけど」
「馬鹿だな。おまえを裸にして犯してやろうって思わないのは、ほんの子供とゲイぐらいだぞ。よぼよぼのジジイだって舌なめずりするさ」
「お、お爺さんになっても、そう思うの?」
「実際できるかどうかはしらんが、おまえは特に中高年受けするしな。姿かたちだけじゃない物腰に滲み出るものは知性の賜物だな。育ちもいいし、湯浅もしっかり見てるところは見てやがる」
「わたしってオジサン好みなの?」
「化粧っ気がなくて清純だし気質は古風な面があるからな。その割りに発情した雌の匂いがプンプンだからオジサンならイチコロだろ。逆に若いとよっぽどの人間じゃないと余裕がないからな。持て余すだろう」
「そ、そう? ……わたしってそんな風に思われてるの? 自分ではよくわからないけど…」
「発情してるってのは褒め言葉だぞ。匂うくらいきれいな女って意味だ」
「……ありがとう…天辺さんにそう言われると嬉しい」

「実際、全然知らない人にいやらしい目で見られたり、耳元で卑猥な言葉を囁かれたり、こそこそ手を握られたり、すれ違いざまに胸を触られたり……。一人でいると、そういうことはけっこうあるから、この人、わたしの躰が見たいのかな、わたしとしたいのかなって思うことはある。なんとなく自分を見せ付けて、試したくなる気分のときもあるけれど、やっぱり怖くて、生理的な嫌悪感が先に立つし……。今日は天辺さんが近くにいるってわかってたから……、いざとなればすぐ助けてくれるから大胆になれたのかもしれない。普段は……映画のエッチなシーンや小説のレイプ場面にドキドキして、自分があんなふうにされたら……って考えるくらい」
夕実は天辺の肩に腕を廻し、首を引き寄せるように躰を摺り寄せた。
「なんだ、自分が犯されるシーンを思い描いてオナニーしてるのか?」
青白い月の光に照らされた夕実の頬に明らかに朱が差した。
「だって……本当に犯されたら困るし…天辺さんだって嫌でしょ」
「おまえが悲劇の主人公でオレが悪役か?」
「天辺さんだったら悲劇じゃない。犯されるなら…天辺さんに犯してほしい。死ぬほど滅茶苦茶にされてみたい」
腕の力がすっと抜けて、するすると沈み込むように夕実は上体を露台に横たえた。
青白い光がその優美なかたちを鮮明に浮かび上がらせて、スカートから半分ほどはみ出した下肢が滑らかな曲線を描いて白く光った。足首が器用に動いて履いていた靴が土間に転がった。両腕が広げられて、黒いシャツに包まれた胸の膨らみが際立つように月の光に晒された。豊かな腰はスカートの布地にぴっちりと包まれていたが、剥き出しの太腿はあまりにも無防備で扇情的に香った。
「……」
天辺を見上げた黒目が三日月形に淡く濡れて輝いた。
夕実の右手が胸元をはだけ、左手がスカートの裾を引き上げた。青白い月の光を全身に浴びて、透き通るような白檀の香りに、一際抜けるような白が甘酸っぱく匂い立った。
淫らだった。
深い暗色の布地が乱れた奥に白い下着が僅かに覗くだけなのに、無抵抗で放恣なかたちから立ち上る瘴気にも似た妖しさが空気をいっそう青白く染めていた。投げ出された四肢が男を誘い、盛り上がった肉の丸みがその滑らかな弾力を誇示し、艶やかな唇から僅かに覗く前歯が声にならない意志を伝えるように震えた。
大きく濡れた瞳に吸い込まれるような透明感が増して、辺りを満たす複雑で有機的な匂いが花やかに広がり始めた。天辺はその光景を目の当たりにしながらすべての感覚が麻痺したように瞬き一つできなかった。
「…犯してください」
細いが明快な声が夜の空気を震わせた。
スローモーションのような動きで天辺の手が夕実の真上に向かって盛り上がった胸の膨らみを掴んだ。
「そんなに優しくしないで……直接…強く握って」
天辺は魔性に引き寄せられるように、夕実の躰に躍りかかった。
「ああ……服なんか…破っていいから」
シャツを一気に捲り上げるとどこかのボタンが弾け跳んだ。夕実は万歳をさせるように腕を上げさせられた。荒っぽくシャツが引き上げられて、首から抜かれた。露わになった真っ白な肌から骨ばった手が荒々しくブラジャーを毟り取った。
「もっと、もっと、力任せにして、嬲って。躰あげる…全部あげるから……」
真上を向いて震える真っ白な乳房が天辺の手の下で潰れた。
「わたしの躰、押さえつけて、締め付けて、滅茶苦茶に……乱暴にして」
引き裂くようにスカートが引き降ろされて、白光に夕実の下半身が晒された。
「躰に傷がついてもいい。壊して。滅茶苦茶に壊して」
最後の下着が引き剥がされて、夕実は悲鳴をあげながら躰を捩った。
閉じた膝に容赦のない力が加わって、夕実の儚い努力は無に帰した。力任せに膝が広げられ、煌々と照りつける月明かりに夕実の秘部が晒された。
甘い匂いときらきらと輝くぬめりが性器から溢れ周囲の肌を濡らしていた。間髪を入れず、天辺は膝を割って夕実を組み敷いた。
折れんばかりに背がしなり、堪え切れなくなった夕実がひときわ高い悲鳴をあげた。
「乱暴して。天辺さんに犯されたいの。壊れるまで犯して……」
五感の全てを投げ出して、狂気がふつふつと沸きあがり、漆黒の炎が噴き上がって夕実の理性を焼き尽くした。焼け落ちた塵芥の奥に、悦楽を司る魔性が水面に広がる波紋のように細波立った。広漠とした透き通る青が無限に広がっていた。海の水のような、空の青のような心地良い冷たさに夕実の意識は吸い込まれ、溶けていった。
『空の青 6−4』(続く)
作成日:2007/10/02 最終更新日:2007/10/02