久野夕実は誰もがまったく疑わなかった通り地元の国立大の文学部に合格した。
夕実にとって入学して最初の一年のことは思い出したくなるようなことではなかった。ただ機械的に講義をこなして、必要な単位を取っていただけだった。高校時代の友人もいたし、ほんの二桁しかいない同じ学部の人たちとも親しくなった。でも、夕実がいちばん必要としていたものは、ほんの一足違いで腕からするっと逃げてしまった。
その圧倒的な喪失感がからだの中心に打ちこまれた杭のように、冷たく存在を主張していた。
一年前、木南寛は二次試験を受験しなかった。
高校でまとめて願書を出すので受験番号はそれほどばらばらにはならい。だから試験会場もおおむね見知った顔が近くを占めるものだ。昼休みに木南に近い番号の友人から《来てない》と聞いて、夕実は暗澹とした気持ちになった。
彼が他の学校を受けたのかどうか知らなかったが、どちらにしても今日の試験が今年最後の試験のはずだ。試験が終わったら話をするつもりだったのに、どうすればよいのだろうと気が病んだ。
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あの時、わたしは右手にカッターナイフを持っていることをはっきり自覚していた。腕を振り上げる直前に握り直したくらいだ。立ち上がってわたしの前に立ち塞がったのが寛だったことも正確に認識していた。ただ、その先のことだけは何も考えていなかった。わたしがいることがわかっていながら他の女といちゃついているのが我慢ならなかったのだろうか。自分でもよくわからない。ただ女などどうでも良かった。ただ寛がわたしだけのためにあって欲しかったのだ。
幼かったのかもしれない。
のめり込む自分が怖かったのかもしれない。
結果的に二年生のあの秋の日、わたしはいちばん大事な人を傷つけてしまった。
彼がわたしに謝った。その言葉を聞いたとき、わたしはずぶずぶと泥沼に落ち込んだ。
取り返しがつかないと思った。自分で自分が許せなくて彼と別れた。そうでもしないと示しのつかない自分にほとほと愛想が尽きた。
いや、本当は寛にのめり込む自分が、制御できない自分自身がひたすら怖くなったのだ。
寛は《なんで?》と訝しげに答えた。
そのときの気持ちは今でもありありと思い出せる。あまりにも身勝手な話だけれど、悲しげな彼の表情を見てわたしは嬉しかったのだ。
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三年生の三学期はあってないようなものだ。試験が終わって学校へ顔を出しても授業があるわけでもなし、全員が顔を揃えるわけでもない。ましてやクラスの違う寛の消息を掴むのは困難を極めた。同じクラスの友人達でさえろくにわかっていなかったのだ。
メールを入れてみたものの返事はなかった。
携帯もいっこうに繋がらなかった。
悩んでいる間に卒業式の日がやってきてしまった。
式が終わった後、久しぶりに寛を見つけた。
声を掛けようと近づこうとしたときに、彼と同じクラスのあけみや西田啓子が彼を取り囲んで引き摺って行ってしまった。啓子が寛の腕を胸に抱き取るように縋りつくシーンが頭に焼きついて嫉妬に目が眩んだ。
ほんの一瞬だけ寛と目が合った気がしたけれど、わたしは打ち捨てられた野良猫のように足が竦んでしまった。
お彼岸の連休は合格の御祝いや、法事であっという間に過ぎてしまった。
意を決して寛の家を訪ねたのは三月も終りに近い晴れた日だった。
放射冷却で痛いほどに晴れ渡った寒い日だったけれど、昼過ぎに家を出て地下鉄に乗った。
寛の住んでいるところは二駅ほど南の旧市街のはずれにある官舎だった。
駅を出ると冷たく冴えた青空に西風に乗った雪が混じっていた。
二年生の春、彼と出会って過ごした半年間は今でも克明に記憶に刻まれている。
彼の家にも何度か(正確にいえば五回だ)行ったことがあった。彼だけのときと両親が居たときと。彼の部屋と天井の色、壁に架かった絵と白い木製の机、彼の大きな手と大きな背中。どれ一つとっても一生忘れないほど深く鮮明に刻みつけられた、誰にも触れさせたくない大事な記憶だ。
敷地内の通路にはあちこちに派手なデザインが施されたトラックが止まっていた。引越し屋のトラックなのだろう。そういえばそういう季節でもあるのか、と世の中の時間の動きが少しだけ戻ってきたような気がした。
似たような建物から目的の棟を探し出した。見分け方も寛に教えてもらったのだ。冷たいアスファルトの通路に足音が鈍く響いた。
エレベータ・ホールの前にはやはり大きなトラックが三台ほど止まっていた。間を擦り抜けるようにして建物に入るとようやく冷たい風が止んだ。エレベータも傷がつかないよう毛布やベニヤ板で覆われていた。目的の階のボタンを押すと軽いショックがあって、インジケータが動き始めた。
少し緊張するのが自分でもわかった。でも言うことはもう決めてあるのだ。

8階のインジケータが点灯して扉が開いた。入れ替わりに緑の制服を着た人達が空の台車を転がしてエレベータに乗っていった。ホールの左、三軒目が彼の家だった。表札を見ながら廊下を進む。三つ違う名前が続いて四つ目におかしいと気がついた。戻ろうと振り返るとちょうど扉が一つ開いて、さっきの制服姿の人が出てきたところだった。その人の後ろで音を立てて扉が閉まった。数えながら戻るとちょうどその三軒目には表札がなかった。グレーの壁に表札を取り付ける金属の爪だけが鈍く光っていた。
わたしは慌てた。次の瞬間には狼狽した。頭の中が真っ白になった。
もう一度、廊下の端から端まで調べた。階が違ったかと思って7階と9階も探した。
最後に引越しの作業員に《これから住まわれる方の荷物を運んでいるところです》といわれて、わたしは絶望した。
吹きさらしの階段をくるくると廻り降りながら溢れる涙が止まらなかった。悔やんでも悔やみきれなかった。
春が近い明るさを増しつつある景色が滲んで歪んだ。
通っていた高校にかつての担任の先生を訪ねたけれど、寛の担任だった先生も事情は知らなかった。進学先が未定の人は葉書で連絡が来ることになっているから、また一月ぐらいしたら来てみたらといわれて引き下がるしかなかった。
寛といちばん近い友人だった佐々川雅明に尋ねたら、彼も驚いた。
春分の日に彼が突然訪ねて来て、借りていたCDや本を返していったらしい。浪人が決まっていた雅明としばらくどこの予備校に行くか話していたそうだが、まだ決めていないと語ったそうだ。もちろん引っ越す話しなどまったくせずに、《またな〜》とにやにや笑いながらタダ飯を食って帰ったそうだ。
雅明は《必ず、捜し出して連絡するよ。あの野郎〜》と言ってくれた。思わず涙ぐんでしまったら、盛んに慰めてくれてこっちが申し訳ないくらいだった。
さんざん迷ったけれど、教育大に進学の決まっているあけみを訪ねた。三年になるときに、彼女が迷わず理系に進んだのを見てわたしは少し驚いた。あけみは何もいわなかったけれど、三年生のとき、わたしは寛があけみと付き合っていたことを知っている。
面と向かって話したことはないけれど、あけみもわたしが知っているということを知っているだろう。わたしたちが別れた理由も多分知っていたに違いない。そして、もちろんわたしが変わらず寛を好きなことも当然知っていたはずだ。
三年になって日々の生活が受験一色に染まり始めると、皆自分の事に精一杯であまり他人の消息が耳に入らなくなる。他のクラスともなれば尚更で、寛とあけみを一緒に見かけることが多いことに気づいたのは四月の終り頃だったかもしれない。
あけみは彼が引越したことを知っていた。裁判所に勤める父親が東京に移動だという話らしい。でも連絡先は確定したら知らせるといって、まだ連絡がないと教えてくれた。
もし、連絡があったらわたしにも教えてと頼むと、一瞬の逡巡の後、彼女は《うん》と頷いた。わたしは心の底から感謝した。
西田啓子のところを訪ねた頃にはもうプライドも何もなかった。わたしの必死の形相を見て、啓子のほうがびっくりして恐縮していたかもしれない。彼女も連絡先を知らされていなかった。《連絡来たら必ず教えるから》と逆に慰められるように帰って来た。
わたしは途方に暮れた。
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強烈な日差しに足元から次々に水蒸気が湧きあがってくるような、梅雨の谷間の蒸し暑い日だった。久野夕実は混雑を避けて同じ学科の友人達と遅い昼食をとっていた。
人が集まる場所に来ると目が無意識に探してしまう。
「まだみつからないの?」
夕実は黙って頷いた。
まだ青空に雪が舞っていた今年の3月20日、夕実は合格発表の掲示板に「木南寛」の名前を見つけた。工学部の情報工学だから間違いはないだろう。文字が潤んですぐに見えなくなった。思わず廻りを見回してその姿を探して、すぐに彼がこんな場所に来るわけがないかと可笑しくなった。明日の朝刊に名前が載るのを平然とした顔で待っているに違いない。
『空の青 3』(続く)