空の青 9月(6)

声を出さずに秒数を数えてインターホンに手を伸ばした。
ちょうど2分。
早すぎれば一緒に来たのかと疑われそうだし、遅すぎれば彼氏の家に偶然遊びに来たと思われてしまう。佐々川にも天辺にも良く思われたいという願望は頭で考えれば酷く滑稽だったが、偽りようのない感情だった。
しばらく間があって、いつものクールで素っ気ない声がスピーカーから流れた。
「あの、久野です……」
「え? 夕実ちゃん?」
「はい。あの…えーと…その……」
全てを呑み込んだような微かな笑い声がくぐもって伝わってきた。
「ああ、なるほど。どうぞ。勝手に上がってきて……鍵開いてるから」

倉庫から上に伸びている透け透けの鉄骨階段を上がりきったドアが佐々川雅明の部屋だ。黒く塗られた鋼板を踏む靴音がカンカンと空ろに響いた。一段ずつ登るたびに生理直前の張り切った胸が重く揺れて、芯がぼんやりと熱っぽく疼いた。煩わしかっただけの生理が一抹の安堵を与えるようになったのはいつ頃だろう? とりとめのない方向に流れかけた思考を引き戻し、登りきった踊り場の青い鉄扉を軽くノックして重い扉を引き開けた。

薄暗い倉庫のような部屋。小さな窓から斜めに差し込む光。すっかり見慣れた光景。
影になった男が二人、壁に向かって並んで立っていることが普段と違う新鮮な違和感をもって感覚を強く刺激した。
手前の男が振り向いて、顔が差し込む光に照らされて眼鏡のフレームがきらりと瞬いた。
「あがって」
「お邪魔します」
夕実は一瞬目を瞠り、小さく応えて靴を脱いだ。

見慣れた木の床。来るたびに、当たり前のように押し倒されて組み敷かれ、深々と躰の芯まで貫かれ、汗まみれになって喘ぎ喚く固い床。微かに木の匂いを湛え、赤い節がランダムに入った分厚いフローリング。滴らせた分泌液で汚してしまった不定形の染み。
その染みを際立たせるようにすぐ隣に置かれた小さな白いテーブルに見慣れた小豆色の風呂敷包みが置かれていた。
天辺が木箱を包むためにいつも使っている風呂敷だ。中身は…今日納品されるはずの葉月の“夕実花蜜”。佐々川の性格からして不穏な事態になることは考えにくかったが、男同士が何をどう考えるのかわからなかったから、やっぱり不安だった。自分のせいでトラブルになって、どちらかが怪我でもしたら……、そうならないためにも二人が顔を合わせる場には立ち会うことが義務だと考えた。

おずおずと二人の背後に立つと二人の会話が聞こえた。
「ほう、これはまた、なかなか立派なアユですね」
「いえいえ。今時のアユですからね。養殖の放流ものでしょう」
――よかった。
自分だったら……おそらく真似ができない大人の会話を交わす二人の態度に安堵がこみ上げた。
壁には一面、佐々川君自慢の魚拓が貼られているはずだ。天辺も釣りをするのだろうか? その姿を思い描き、けっこう似合いそうだと自然に笑みがこぼれた。
「こうやって見ると本当にきれいですね」
「ええ。最高でしょう。よろしかったら…他にもあるんでご覧になりますか?」
「…そうですね。では、先にこちらを済ましてしまいましょう」
まるで夕実の存在を無視するかのように二人はテーブルに着いて、塞がれていた視界が明るく開かれた。

二人の和やかな会話は続いていたが、夕実の耳に入った音声は頭で解釈されることはなかった。
一瞬、そこに鏡が掛けられているのかと思った。
次に、全身の血が逆流するような衝撃に意識が遠くなりかけた。
その壁には等身大の夕実がいた。
フレームのなかで、向かい合った自分が素裸になって笑っていた。
手首に白いブラウスだけを巻きつけて、乳房を隠しもせず、開き気味の足、股間が露わになって肉の割れ目…陰唇までがくっきり見えている……全裸の自分自身だった。
――頭のなかを猛烈な勢いで天辺への言い訳が駆け巡った。

挿絵61

『空の青 9月(6)』

寛に写真を撮ってもらう約束をしたのに……彼はあけみに首ったけで……。佐々川君ならどこかで落としたり、なくしたりしない…、お金に困って売り飛ばしたりもしない……。だから、安心して撮らせた恥ずかしい写真が等身大に拡大されてパネルに入っていた。
天辺になんて説明しよう? 平静に振舞ってはいても怒ったに違いない。軽蔑されたに違いない。
そして何よりも、そんな写真を平気で撮らせたという気が遠くなりそうな恥辱に翻弄されて頭が真っ白に染まった。何一つ考えられないのに、視覚は冴えて向かい合ったもう一人の自分を凝視していた。
――優しい笑顔。いつもは写真映り悪いのに……いつになく良く撮れている。顔の角度もお気に入りだし、目も生き生きと輝いている。真っ白に膨らんだ胸もたっぷりと見えるし、腰や下腹の曲線も清潔で申し分ない。すっかり丸見えの性器も…色鮮やかで初々しい……。
――ああ。まったく何を考えているのだろう?
膨れ上がる妖しげな気分に慌てて目を逸らすと、すぐ隣に掛けられたもう一枚のパネルに改めて気付いた。

そのパターンを認識した瞬間、夕実は思わず小さく悲鳴をあげて、両手で顔を覆った。
もう一人の夕実は、片足で…突っ立ったまま…膝を片手で抱え……、広がった股間から夏の直射日光に輝いて、銀色に光る一筋の流れが……。ぼってりとした薔薇色の陰唇に当たった流れの半分はきらきらと光りながら無様に内腿を伝い、乾いた足元の赤茶けた土を黒く濡らしていた。笑みを浮かべ媚を売りながら、夏の庭で素っ裸で立ったまま放尿する女は紛れもない夕実自身だった。言い訳も説明も、全ての言葉は不要だった。

――天辺に見られた。天辺には見せたことがない姿態と行為を。
どうしようもない破廉恥なポーズのなかで、笑顔が引きつり気味なことだけが唯一の救いだった。
思わず走って逃げ出したい衝動に駆られたとき、腕を取られて躰を引かれた。
「まぁ、どうぞ」
白いテーブルに向かい合って並べられた座布団にもう一枚が追加され、躰を捻って振り向いた天辺がいつになく優しい笑顔を向けてくれた。
「さぁ、座りなさい」
手を取られた夕実は全ての判断力を失ったまま、勧められるままに素直に従った。

向かい合って座った男達の気配を近くに感じながらも、夕実は顔を上げることができなかった。広げられた風呂敷が視界の隅で丁寧に畳まれた。淡々とやり取りは進んでいたが、夕実は衝撃から立ち直れずに、半分剥き出しになった足が気恥ずかしくて、俯いたまましきりにスカートの裾を引っ張っていた。
「素晴らしい細工ですね。おまけに絵に勢いがあって……いい匂いだ。彼女にそっくりだ」
佐々川の囁くような低い声が伝わった。
顔を寄せて極彩色の木偶をしげしげと眺め、手に取ったこけしを鼻に近づける佐々川が脳裏に浮かんだ。不意に猛烈な羞恥が込み上げて、陰部の臭いを嗅がれているような屈辱感に頭がカッと燃え上がった。
夕実は俯いたまま顔をきつく背け、きっちりと合わせたまま震えている膝頭を両手で強く掴んだ。

躰の内、奥深くに黒い炎が吹き上がっていた。
こけしを性器に深々と挿入されて、天辺によってもたらされた悦楽に狂った夏の夜が白檀の匂いとともに脳裏を駆け巡った。
「このこけし…彼女にぴったりな形なんでしょう?」
言葉がするりと夕実に忍び寄って躰の隙間に染み渡っていった。
「塗料や釉は人体に悪い影響を与えませんか?」
「そうですね、元来こけしは童女の玩具だったわけで、素手で触れるわけですし、頬擦りしたり口に入れたりすることもあり得るでしょう。そういったことも含めて、今は安全な塗料を用いていますので、問題はないですよ」
天辺の穏やかで丁寧な口調が心地良く響いた。
「そうですか。それは愉しみだ」
「と、いいますと?」
誘うような天辺の口調に夕実は半分慄いて、半分気持ちが蕩けそうな情態に追いやられた。
天辺の店に残った三体の“花蜜”は、既に繰り返し夕実の三つの穴を同時に、場所を変えながら犯していたし、天辺に貰った“霜月の花蜜”は、夕実自身の手で既に何度となくその躰を抉り、玩び、たっぷりと蜜を吸いながら塗込められた情念を夕実の躰奥深くに迸らせていた。
――佐々川君だって同じことを考えているに違いない。
「これでね……彼女を…」
「そんな……、だめ…」
突然夕実は二人の会話を遮った。
「それ以上…言わないで……」
一瞬の間の後、二人の食い入るような視線を感じて、夕実は顔から火が出そうな思いを味わった。夕実の内に燃え盛る炎はとどまることを知らず、夕実の意識を黒く妖しく焦がし始めた。

「そうそう、よろしかったら店の方にもお出掛けください。毎日開けているというわけではありませんが、こけしの代わりに“彼女”を飾っている日もあるんです」
「そうですか。それは素晴らしい眺めでしょうね」
耳に入った言葉はそのまま解釈されることもなく頭のなかを駆け巡っていた。
「こうやって一人の女を間に挟むのも何かの御縁でしょう。よろしかったら次回作を作るのをご覧になりますか? 彼女もきっと悦ぶでしょう」
「ええ。是非」
身を焦がすような焦燥と渇望に苛まれている夕実をよそに、二人は事務的な手続きを淡々とこなしていた。
「こちらが代金です」
封筒が滑るように天辺の前に置かれ、無造作に手に取った天辺が中身を一瞬で確認した。
「確かに」
領収書が佐々川の手元に置かれた。
二人の目は同時に俯いたままの夕実に焦点を合わせたが、夕実は二人のほうを見ることもできず、膝の上で両手を色が変わるほどきつく組み合わせた。

********************************************

窓から差し込む午後の日が膝頭にあたってほんのりと温かみを伝えた。
静まり返った部屋に、窓の外から鳥の声が小さく聞こえた。
ゆるりと空気が動いて、物音を立てぬ気配に感覚が鋭敏にそば立った。
「化粧してるの? 珍しいね。きれいだよ」
「今日はまた一段といい女じゃないか」
左右の耳に同時に囁かれた言葉が躰の隅々まで行き渡り、ぞくぞくするようなこそばゆさとともに例えようのない瑞々しさが後から後から溢れ出した。
「いい匂いだ。咽返るほど女の匂いがするぞ」
「イアリング、似合うよ。ぞくぞくするほど」
男の鼻が近づいて、匂いを吸い込む音がすぐ耳元に聞こえた。
吹きかけられた息が耳の穴をくすぐった。
夕実はハッと息を吸い込んで、背筋を伸ばしたまま身を竦めた。
顔が触れそうな位置、すぐ左に天辺の顔があって、右に振り向けば佐々川の顔があった。
どちらかだけに顔を合わせるわけにもいかず、結局、下を見るしかなかった。
スカートから出た太腿の合わせ目で、馬鹿みたいに力が入った指と指が組み合わさって筋が白く浮いていた。
「新しい服か? 似合うじゃないか。乳の形がはっきりしてそそるぞ」
「おっぱいがいつもより震えて見えるね。触られたがっているみたい」
今度は胸の前で慌てて手を組んだ。
自分でも胸が目立つかな……とは思ったが、買ったばかりの下ろしたて。これを着ると…、そう褒めてくれるのじゃないかと予想して着てきた服だった。
ちょっとだけ慣れない化粧までして、普段は着けないアクセサリーも着けてきた……。
「乳を触って欲しいのか?」
「隠したってだめだよ。目が濡れてるよ」
あまりにも目論見どおりの展開だったが、二人に同時に囁かれるのは予想外だった。
「えっ? あの……だって…」
夕実は混乱して取り乱した。
背を丸め、少しでも胸が目立たないように身を固くしながら、両側から伸びた手が固く組み合わせた指を一本一本引き剥がし、解きほどいていくのをスローモーションを見るように呆然と見るしかなかった。

右手を佐々川に掴まれると、左腕を天辺が絡めとった。
無防備になった左右の乳房を別の男の手が同時に握っていた。
「だ、だめ……待って…そんな……」
圧倒的な男の力で左右の乳房を揉まれながら、両耳から首筋を左右同時に愛撫されて思わず目を瞑ってしまうと、背筋を貫いた快感に躰が大きくしなった。
裾が乱れ、剥き出しになった太腿をさすられて、ぞくぞくする甘い期待が膨れ上がった。
四本の手が躰を這い回って、躰を覆う布地が着実に減り始めた。
「固く尖ったいい乳だな。今日はいちだんと張ってるじゃないか」
天辺が左耳に囁くと同時に佐々川が右耳に吹き込んだ。
「夕実ちゃんのおっぱい凄いよ。固いくらい丸くてプルプルだね」
左右から強引に押しやられた乳房が胸の中央でぶつかってたぷたぷと音を立てた。
「待って……、待って」
必死に閉じようとする膝に二人の男の手が掛かり、軽々と左右に開かれてしまった。
「そんな……困っちゃう」
「すけべな女だなぁ。もう、パンツの色が変わってるぞ」
「パンツの外まで染みちゃってるね」
ショーツの上から抉るように性器が割られ、ぬちゃぬちゃといやらしい音が溢れた。
夕実はその音を掻き消さんばかりに恥ずかしい悲鳴をあげた。
自ら尻を浮かしてショーツを脱がされながら、言葉だけの無意味な抵抗を繰り返し、最後に両の足先から同時にソックスを剥ぎ取られ、あっという間に身を隠すものがなくなった。
「…恥ずかしい……」
いつもの倍の視線を浴びて、恥辱に躰を捩り丸めようとしても、男の力で限度まで広げられた四肢は完全に無力だった。
二人の眼前に剥き出しになった性器は洪水のように潤みが溢れ光り、内腿から尻の穴を越えて床に滴った。
「きれいな躰だ。汁も透明で溢れんばかりに潤沢だ」
止め処もなく溢れる泉を男達の指が大きく広げ、鮮やかな肉色の襞が震え慄いた。
「真っ白ですべすべだね。下の口はぐちょぐちょだけど」
いつもの倍の降り注ぐ言葉に、めらめらと吹き上がる黒い炎が良識という最後の砦をあっさりと焼き崩した。
「夕実ちゃんの甘酸っぱい匂いがぷんぷんするね」
たっぷりと夕実の淫液を拭い取った手が夕実の鼻と唇をべっとりと濡らした。
「どうだ? 淫乱な雌の匂いは?」
「だめ…、臭いは嗅がないで」
押し殺せない喘ぎが喉から溢れ、躊躇と衒いは怒涛のように押し寄せる悦楽の波にあっさりと水没した。
左右の乳首を同時に吸われ、四本の手が躰のすべてをまさぐった。熱くたぎる二本の肉棒を両手で握り締めると、これから加えられるだろう期待に翻弄されて悲鳴のような声が迸った。
「だめ、だめ、凄い。きもちいい…。止めないで……」
口と膣に同時に男が入ってくると頭が真っ白になって躰の重みが消えた。上下の唇を男根が自由自在に抉り貫いていた。夕実は少しでも深く男を受け入れようと抱えられた尻を突き上げ、口内で暴れる固さを舌と喉で熱情的に包み込んだ。上下の口をいっぱいに塞がれたまま尻の穴に固い熱さを受け入れると、目の裏側で盛大に火花が散り始めた。

三つの穴が同時に犯されていた。
入れ替わり、立ち代り尻を抱えられ、口に押し込まれ、花蜜が肛門を抉った。
三重の刺激がもたらす抑えようのない快楽に夕実は暴れ叫び、完全に我を失って淫蕩な欲望の海に沈んでいった。
やがて、迸る濃密な精液にまみれ、立ち昇る青い匂いに咽ながら、全ての穴を貫かれたまま夕実の意識はとらえどころのない宙に消散した。

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ひっそりと息づいた、静かに澱んだ冷たい空気。
見慣れない天井にどこかで反射した斜めに差し込んだ夕陽がちろちろと炎のように踊っていた。
乾いたシーツの感触とタオルケットの心地良い温かさ……。
はっ? と肘を突いて躰を起こしても人影も話し声もなかった。
天辺はいない。佐々川もいない……誰もいない。視界に入る範囲で動くものはじりじりと角度を変えていく秋の夕陽だけだった。
はらりと上掛けが落ちて裸の胸が露わになった。
痛いくらいに張った乳房。乳首が心なしか赤く膨らんで見えた。
その下に続く白い肌。裸だ……。
慌ててあたりを見回すと、テーブルに服と下着がまとまって置かれていた。

――ああ。
自分の為したことが一気に実感と余韻を伴って思い返された。
同時に突き上げた恥辱に思わず顔を両手で覆うと、……ああ、自分の…女の臭いと精液の青い匂い…顔に、髪に掛かったものが乾いてガビガビ……になっている。
天辺に跨って…締め付けながら、佐々川君を口に頬張って……逆だったかもしれない…いや、お尻の穴で天辺を締め付けながら花蜜が膣に入っていた? ああ…どうしよう。ちゃんと天辺を…天辺のあのたくましい性器を清めたのだろうか……。佐々川君にも同じことをしたに違いない……。口に放出される感覚にひときわ尻を強く抱えられ、熱い杭を打ち込まれる感覚が重なっていた。記憶は欠落しているが…無意識は本能の悦びを感覚の褥に深く刻み付けていた。
ぬるりとした生温かさ。股間……。
はっと手をやって手に着いた液体を見る……。生理じゃない…さらさらになった、たぶん二人分の精液……。とろとろと腿を伝う生温かい感触。
ああ、シーツが汚れちゃう……。
慌ててベッドから立ち上がろうとして足がもつれた。足腰に力が入らなくて、へなへなと床に崩れ落ちてしまった。
腰が抜けていた。

這うように奥のシャワーに辿り着き、床に崩れたまま躰と髪を洗った。
二人の男と…それも同時に交わってしまった……。
膣から太腿を伝い垂れ続ける精液の量にもう一度頭が熱くなり、意識がとろんとしかかった。天辺は仕事に戻り、佐々川君は夕方からバイトのはず……。天辺はともかく、戻って来た佐々川にどういう顔をして会えばよいのか……。
髪を乾かすのもほどほどに、手早く衣服を身に着けた。下着が冷たく濡れたままで気持ち悪いが仕方がない。母と顔を合わせたら何か言われそうだから口紅だけ元通りに引いて、バッグを肩に、がくがくする足をなだめながら転げ落ちるように階段を駆け下りた。

落ちかけた夕陽が白っぽい駐車場のコンクリートを鮮やかなピンク色に染めていた。冷え始めた空気と顔に当たるひんやりとした風が意識を引き締めた。
ちょうど駐車場に入ってきた車。小さく二度、クラクション。
夕実はわき目も振らずその脇を駆け抜けようとして……、
「夕実!」
その声を聞いて、躰が凍りつくように硬直し顔から血の気が引いた。
――寛だ。
どうしよう……。
真横で止まった車のウィンドウがするすると下がって日焼けした顔が現れた。
「あ、の…借りた本を…か、返しに来て、…でも…留守みたいで」
聞かれてもいないのに勝手に言葉が口をついた。
「あちゃー、もうバイト出ちゃったか」
寛の瞳がゆっくりと夕実を見上げた。
「まぁ、乗りなよ」

助手席に座り、さり気なく俯きながらも夕実の頭はフル回転していた。
髪も…躰もきれいに洗ったから…脱がされても…大丈夫なはず。念のためにって、中もきちんと洗ったから…残ったものが出てきたりはしない……かな?……。ちょっと不安…。
大丈夫、大丈夫。落ち着け、落ち着け。
下着…はちゃんとつけている……。パンツは汚れているが、もう一度濡れたらわからなくなるはずだし…。服も…服は天辺に貰ったお金で買ったばかり……。寛は見たことがないはずだけど…いつものわたしの好みだからおかしくはないはず。…ああ、安っぽいネックレスはともかくとして、普段はつけないイヤリングは拙いかも……でも、それはもう遅い。寛は…、寛なら最初に見つけたはずだ……。見つけて不自然に思っただろうか?……なんで佐々川君のところに本を返しに行くのにイヤリングをつけて行くのかと……。
「時間は大丈夫? メシでも食おうよ。雅明はついででさ、本当は夕実を探してたんだ」
自らの不安を断ち切るように夕実は明るく答えた。
「わたしを? でも、ご飯食べるなら母に電話しないと」

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母が寛を掴まえたのを見計らって、夕実は一目散に二階に駆け上がった。
イヤリングを引き出しに放り込んで手早く服を脱いだ。真っ先に下着を穿き替えて、ちょっと考えていつも通りブラは外した。手近にあった普段着にしている白い丸首のだぶだぶのプルオーヴァーを被り、スカートは……地味なものにしようか迷ったが、ベッド脇の棚に飾ったこけしが目に入り、急に寛に申し訳ない気が募ってインナーにしているミニの黒とグレーのチェックにした。長めのレッグウォーマーはシンプルなグレー、最後に髪を撫で付けて鏡で顔を見直した。
いつもの顔だ。
二回深呼吸をして数時間前の出来事はすべて頭の片隅に押し込めてロックを掛けた。夕実は一歩一歩踏みしめるように階段を下りた。

食卓にはどう見ても作り過ぎの100個の餃子が待っていた。
先刻電話したとき、タイミング悪く夕食の準備は既に整っていた。直前に父からも帰りが遅くなると電話があったばかりの母は不機嫌の極みだった。
おかげで結局、思いつきのような母の提案に乗って夕実は寛を引っ張って来た。
その母は寛にあれもこれもここぞとばかりに勧めまくって楽しそうにはしゃいでいた。
普段と目付きが全然違う。
佐々川君の医学部という将来性に惹かれているものの、寛の容姿にも捨てがたい魅力があって、イケメンの孫が期待できると平然と言ってのける母は娘の目から見てなんとも浅ましくも恥ずかしい。
寛は……純粋にお腹が減っていたのだろう。母の勧めに応えて、目が回りそうな勢いで食べていた。
みるみるうちに餃子の山が低くなっていく。
夕実は…そんな寛の、直線的で長い首筋と艶めかしく動くちょっと骨っぽい喉仏の動きに見蕩れ、一向に食欲が湧かなかった。

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きちんと整って浅葱色のカバーの掛かったベッドに寄り掛かかりながら床に足を投げ出すと、目の前の小さなガラステーブルにお茶が載ったお盆が置かれた。
急須を取り上げて、湯飲みに茶を注ぐ夕実の手付きは相変わらず危なっかしい。夜になってかなり冷え始めた部屋の空気に暖かい湯気が視界を暈すように立ち上った。
どこにどう座ろうか迷った夕実の腕を軽く引くと、素直に寄り添ってきた。

「あの……、ありがとうね。たくさん食べてくれて助かった」
「いえいえ。ご馳走様でした。こんなことならいつでも呼んでくれると助かるな」
夕実の顔が少し曇った。
「普段…ちゃんと食べてないの? ちゃんと、バランスよく食べないとダメだよ?」
「…ん?」
黒いスカートからすんなりと伸びた剥き出しの太腿に目をやると、その視線に気付いた夕実はしきりにスカートの裾を引っ張り始めた。
「母が言ったこと……気にしないでね…」
夕実は申し訳なさそうに小さく笑った。
「“まったく愚図で気が利かない子だけど、ちゃんと卒業までには仕込んでおきますから”…ってやつ?」
夕実は下を向いてこくりと頷いた。
「寛があけみと付き合っていて、わたしの旗色が悪いって知ってるから、いろいろ気を廻しているみたいなの」
「ふ〜ん…。オレはどっちかというと、さっきからちらちら、チラチラ、誘うように覗いてる白いパンツと、ゆさゆさ揺れてどう見てもノーブラのおっぱいの方に気を廻したいな」
滑らかに直線で合わさった腿の先端で白く小さな膝がぴちりと閉じられた。
「おまけに今から2時間TVタイムだから邪魔しないでって? 手塩にかけて育てた大事な娘をどこの馬の骨かわからないような男と二人きりにして、娘が押し倒されて、裸に剥かれて、犯されちゃってもいいってことかな?」
「さ、さぁ……」
夕実の躰に緊張が走って剥き出しの足を隠すように両腕が伸びた。

挿絵62

『空の青 9月(6)』

「ま、松崎先生は…どう? 手掛かりは掴めた?」
膝頭からミルクのように白く滑らかな太腿に滑り落ちていこうとする寛の指にブレーキがかかった。
「進展は……ないな。すべては佐竹が張り巡らせた鉄のカーテンの向こう側かな……」
「佐竹…先生?」
寛は足を隠そうと組まれた夕実の腕を解き、そのひんやりと冷えた柔らかな肉に手を添えた。
「そう……。あいつが黒幕だよ。全ての痕跡を消した……」
寛は首を傾げた夕実の大きな黒目を覗き込んだ。
「最後の日、あいつの個展を見に行った……。松崎さんに連れられて……わかる?」
「あ、うん。わたしも先生にチケット貰ったから…見に行った」
「まぁ、オレは驚いたというか、ショックだったけど……」
「先生、凄いきれいだったよね。でも、あれって……その…先生の表情が…まるで蕩けそうで、セックスしてるときみたいだった……」
「あ、うん、オレも一瞬疑ったけど、オレのことを考えると、考えるだけでああなるんだって言われて、信じた」
「ああ、それはわかる気がする……。わたしも…同じ」
夕実はちょっと恥ずかしそうに笑って、寛の肩に顔を埋めた。
「その後ね……つまりね、本当は誰にも話していないことがあるわけ。あの日…、……。オレと先生は、別に佐竹の豪邸にメシ食いに行ったわけじゃなくて、実はちゃんと目的があったわけさ。今思えば……先生と佐竹が予め計画して、オレだけが知らなかった……。日が暮れて、二人は満月が煌々と照る庭に出た。オレもついて来いと言われた。庭の奥…母屋から離れて築山の陰になった芝の上に、あいつは持って来た白絹の布を広げた。…それから、松崎さんに服を脱げと言った。松崎さんはあっさり浴衣を脱いで素っ裸になって…オレはそんな彼女を呆然と見ていた。…敷物の真ん中で……智美は大きく足を広げて…、それからオレを見て、“来て”って言った……。爺さんはオレにも服を脱げって言って、オレはもう気が狂いそうで、裸になって智美に飛び掛って……、交わっているところを佐竹が絵に描いた……。あいつが描いている前に見せ付けるようにして…松崎さんを抱いた……」
目を見張って聞いていた夕実が頬を寛の肩に強く押し付けた。
「そうなんだ……。でも、なんか凄く羨ましい……」
寛の首に手を掛けた夕実がぶら下がるように躰を伸ばして二人の口が軽く合わさった。
「今でも、先生が好き?」
しっとりと濡れた夕実の目を見て寛は軽く頷いた。
「先生とセックスしたい?」
「ああ…。たくさんしたい」
夕実の指先が寛の唇を軽く撫でた。
「…怒った?」
目を合わせたまま夕実は首を振った。
「いいな…。わたしもそう言われたい」

「今度……、一緒に行ってくれない? あの爺さん、普段はいい人なんだけどさ、肝心のところは鋭いというか、隙がないというか、何でもお見通しというか……。手の内全部見られてるようでさ……」
「正直に頼んでみれば?」
「頼んで教えてくれることなら、あの爺さんは最初から隠したりしないと思う」
「そうね…」
「だから…夕実を出汁にしようかと思って……」
「出汁って?」
「爺さんもモデルがいなくなって困ってるだろうから…夕実なら最適じゃない? それを口実に爺さんの家に頻繁に出入できれば、そのうち電話がかかってくるかもしれないし、郵便物を目にすることもあるかもしれない」
「わ、わたしを? 最適って……」
「爺さんが一度は止めた人物画を再び描きはじめたのは夕実を描いたからだよ。憶えてるでしょ? 高校のとき」
夕実は頬を微かに染めて視線を逸らし、長い睫毛を半分伏せた。
「う、うん……で、でも、わたし先生みたいにきれいじゃないし、子供っぽいし…」
「そんなことはないさ」
「それに……ヌードは自信ないよ…」
寛はひっそりと寄り添ってきた夕実の反対側の肩に手を廻し、軽く抱き寄せた。髪が流れて甘くしっとりとした匂いが寛の鼻をくすぐった。
「…あのときの佐竹の目、あれは教師の目じゃなくて男の目だったよ。あいつの目が夕実を裸にして、犯してた。オレはそれを見ていて、叫びだしたいような、夕実に飛び掛って滅茶苦茶にして、それをあいつに見せ付けたくて……後から後から衝動が突き上げて 抑えるのに苦労した」
「そ、そうだっけ? あの頃のわたしは…なんにもわかってなくて」
「あの頃から夕実はときどき凄い表情をするんだ。ぞくっとするほど…すべての男を狂わせる」
「そ、そうなの? 自分じゃわからない」
夕実の目元が薔薇色に染まった。
「その頻度がだんだん、どんどん高まっているような気がする…。特にこの夏以降……の夕実はフェロモンが滴っているような感じで、匂うんだ。ぞくぞくするほどいい女だよ。みんなに見せつけてやりたいような、誰にも見せたくないような」
吸い込まれそうな闇をたっぷりと湛えた夕実の大きな黒目がしっとりと潤んで見えた。すっきりと伸びた鼻の下で薔薇色の小さな唇が微かに開いていた。
「みんな、夕実を見て目を瞠ってる。おっぱいもまたちょっと大きくなったし、こういう格好で外へ出掛けたらダメだよ? 変な奴多いから、最近」
「出掛けるわけない。寛の前でしかこんな格好しないよ……」
微かに自嘲を込めたように夕実が首を傾げて微笑んだ。

『空の青 6−6』(続く)

作成日:2008/06/14 最終更新日:2008/10/24

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