空の青 10月(1)

寛の手が太腿から更に奥へすべりはじめても、夕実はもう抗わなかった。
その目的を持った動きを自ら誘い、協力するように足が広がって、ムードもへったくれもない明るい蛍光灯の下で真っ白な下着の突端に恥骨が鋭角的に突き出していた。
「見かけないパンツだね。紐パンだし」
耳元でくすぐるように囁かれると躰の中心部がピクリと反応して、慌てて一ヶ所に集中しそうになる感覚を押さえつけた。
「このあいだ買ったばっかり……」
更に短いスカートの裾が軽く押し上げられると、むっちりと肉がついた下半身がすっかり露わになって、その生白い丸みの中心だけをほんの申し訳程度の小さな三角形が覆っていた。
「最近はこういうパンツ穿いて出掛けるの?」
「まさか! さっき、帰ってきてすぐ穿き代えた……」
――嘘じゃない、嘘じゃない。自分でそのことに気づいて驚いた。
「か、寛が……喜んでくれるんじゃないかと思って……」
「普通の人だったら半分くらい毛がはみ出して無様に、卑猥に見えそうだけど……、夕実だとこんなに大胆なパンツでも品があって清楚に見えちゃうから不思議だよね」
寛の滑り降りた指先が期待通りに盛り上がった恥骨を布地の上から丁寧に撫で回した。
布地の下にあるはずの僅かな陰毛の感触を探るように指と手の平が固さと柔らかさの境を慎重に移動しはじめて、目が半分閉じかかり蕩けそうな感覚が押し寄せた。

敏感な部分はぎりぎりの巾の布で細く覆われていたが、その内側は既に熱を孕んで匂い立つほど息づいていた。湯気が立ちそうに色が変わった部分に三本の指を添えられて軽く押すように圧力が掛かり、ぬるりと横すべりした布地の奥で恥ずかしい分泌液がぬちゃっと湿った音を立てた。
「裸の夕実もきれいだけど…、下着姿もいいよね。なんか気が狂いそうになるよ。……昔、写真くれたじゃない…誕生日にあげたやつ。ちょっとボケ気味だったけど、オレが撮るよりずっと情感が豊かで…滅茶苦茶そそった……」
――だめ、だめ…今日はダメって言わなくちゃ……、でも、もうすぐ生理なのに…断ったら変に思われる……かな? 下着の写真って…図書室のか……ああ、あの後、裸になって貰ったペンダントをアソコに押し込んだ……。
夕実は蕩けかけている意識を懸命に引き戻して言葉を探した。
「めくっていくうちにヌードにならないかなって期待したんだけど……」
「なるわけない……もう、恥ずかしい。あれだって撮るの、凄い勇気が要ったんだから……」
「そう? あの日の図書館で夕実に会いたかったな。最近、いつもあの写真を見ちゃう」
――うそ!? そんな昔の…わたしの写真を?
「嘘つき…。先生やあけみのもっと凄い写真たくさん持ってるくせに」
――そんなこと…今更……。でも、でも、心ははっきりと嬉しがっている。本当にあんな…古い写真を見てくれてるの?
寛の鼻先が軽く首筋に触れて、息を吸う音がはっきりと聞こえた。
匂いを嗅がれてる……。照れくささと嬉しさに求めてはいけないはずの期待を求めて鼓動がどんどん跳ね上がる。
「嘘じゃないよ。肝心なところはなんにも見えないけれど想像するのが愉しいのかな。頭の中で少しずつ服脱がして、夕実を裸にするのが愉しいんだ」
――そんな…。そんなこと言わないで……。だったら…もっとかまってよ!
囁かれた言葉が染み入るように伝わって、狂おしくも熱い感情が全身に染み渡るように広がった。
「ほんとだったら…すごく嬉しいけど……」
首筋から耳へ、耳から肩へ、寛の頭が息を吸いながら移動する。
「くすぐったいよ…。わたしの…匂いを嗅いでるの?」
期待が腋を強く締めさせて、口から出る言葉までが震えてしまった。
「甘くて…透明でいい匂い。夕実の匂いがする」

寛の指先が焦らすように下半身に伸びて、腰の肉に食い込んだ白く細い紐の結び目をつんと引くのを夕実はただうっとりと眺めていた。
「脱げちゃうよ……」
――なんて間抜けな言葉なんだろう。
もう片方の紐が引かれると、小さなショーツは四隅に紐が伸びて蝶の形をした一枚の布切れになった。
白く盛り上がった恥骨の頂をほんの僅かな細く縮れた陰毛が煙るように飾っていた。

細長い指が数えられるほど少ない陰毛を絡めるようにすくい上げ、つんと引かれる感覚と共に恥骨の肌が僅かに持ち上がったような気がした。その奥の自分からは見えない角度で、とろりと熱さが流れた。
「だ、だめ……、待って。もう、ぐちゃぐちゃだから…拭かなくちゃ。そ、それに…」
――何か…、頭を冷やすようなことを言わなくちゃ……。
まだ消え切っていない余韻から、つい数時間前の感触が生々しく甦った。
「……あけみはいいの?」
「せっかくだから拭かなくていいよ。それに…ん? あけみちゃん?」
「このあいだ……文系食堂のロータリーのところで二人して見かけた…。あけみ…、見るたびにきれいになっていくね。花やかで、女らしくて、可憐って言葉がいちばん似合って、凄い羨ましい」
不自然なほどの早口で一気にまくし立てた。
「あけみちゃんは……、夕実のことを気にしてるよ。半分尊敬して、半分恐れてる。あとね…、おっぱいは…夕実みたいにもっと大きいといいのにって、いつも羨ましがってる」
「そ、そう? そんなに大きくないのに…」
「オレは大きさよりも…形というか硬さというか、仰向けに寝ても全然ペタって潰れないのがすごいと思う。生まれてこのかた、今まで見たなかで夕実のおっぱいがいちばんきれいだよ」
寛の手がまだ布地に覆われた乳房に触れて、その頂の突起を寸分の狂いもなく正確に摘みあげた。生地が厚いからわからないはずなのに……。
「…ど、どうして、そこだって…わかるの?」
ぴんと背筋を走った快感に息を呑み、言葉が切れ切れになった。
「夕実の頭の中身はとうてい理解が及ばないけど、夕実の躰のことはけっこう知ってる。入れて欲しくなると腰が痙攣するとか、おしっこしたくなるとお尻の穴がきゅきゅっと締まるとか」

夕実の目元が羞恥に薔薇色に染まった。
「わたしだって知ってるよ……? 旅行は楽しかった? お彼岸の連休に…あけみと奥入瀬と八甲田に行ったんでしょ? 紅葉きれいだった?」
上ずった鼻声。
恥ずかしい部分を見せまいと腿を強く閉じると、擦れ合わさった部分がぬるりと熱くすべった。
「紅葉にはちょっと早かったけど……。でも、そんなことまで…よく知ってるね?」
「寛のことなら何でも知ってる。温泉に泊まったの? 一緒にお風呂とか入るの? 敷かれた布団に寝るときってどんな気分? わたしも行きたい。泊りがけで寛と出掛けたこと一度もないよ。あけみとたくさんエッチした? ねぇ、あけみのこと、どんな風に抱くの? どんなことするの?」
「珍しいね。夕実がそんなこと訊くなんて」
目の前で寛の細められた目がぱちぱちと小さく瞬いた。
「本当は質問攻めにしたいんだけど…普段は、わたしにだってプライドあるし……余計辛くなりそうだし」
「あけみちゃんだって同じ人間なんだから、できることとできないことはそんなに変わらないと思うけど……」
「あけみのおしっこも飲んだりするの?」
「飲まないよ。おしっこ飲むのは夕実のだけだよ。それに…残念ながらあけみちゃんは、今のところおしっこするとこすら見せてくれないな」
「そ、そうなの? でも、それじゃ、わたしが変態みたい……」

挿絵71

『空の青 10月(1)』

抱き寄せられた夕実はくるりと向きを替えられて、寛の足に跨るように座わらされた。真正面から射抜くような眼差しを浴びて、昼間、自分がしてきたことを見透かされたような気がして夕実は酷く慌てた。寛の視線を誘うように、何も着けていない裸の下半身が自然に広がった。この角度なら、濡れそぼった性器が剥き出しになっているはずだった。
――なんていう淫乱なスタイル。まるで場末の娼婦のように下品で猥褻だ。
寛の視線が目的を見せ付けるように下へすべる。
その動きに合わせて夕実は太腿をさらに押し広げた。
開ききった陰唇から溢れた分泌液がはらりと会陰を伝い、暖かい感触を残して肛門を濡らした。
「……わたしの、可愛くないでしょ? あんまり見ないで……、大きいし、はみ出してるし、淫らだから、あけみと比べないで」
「でも、はみ出してるから出し入れするとき廻りにまとわりついて擦れて気持ちいい。包まれてるような気がするし」
陰毛を透かして包皮から剥き出しになった陰核がてらてらと妖しく輝いていた。
「そ、そう? 本当に? そう言われるとすごく嬉しいけど……」
最初の思惑とは裏腹に、触って欲しくて腰が自然ににじり寄った。
「へぇ……。こけし?…」
不意を突かれて、言葉の意味を理解するのに戸惑った。
いつの間にか反れていた寛の視線の先を振り向いて初めて狼狽した。
頭の背後。棚に飾った三体のこけしにすっと手を伸ばした寛を慌てて遮ろうとして思い留まった。
「集めてるの?」
寛は並べてあった手前側、民芸店で買ったこけしと“夕実花蜜”を交互に手に取って眺めた。
「う、うん。か、かわいいでしょ?」
半分顔が引き攣りながらも何とかいつもの笑顔を捻り出した。
「こっちはともかくとして、これはけっこう凄いな。顔の表情が生きているというか……顔が夕実に似てるかな」
「そ、そう?」
嘘と欺瞞を見透かすような視線が“花蜜”に注がれて、夕実は慌てふためいた。
「こっち…も…いいでしょ」
“花蜜”を覆い隠すように寛の手から掠め取った。
もう一つの……荒く大雑把にだが滑らかに優美な曲線に削られた生木。木の地肌が見えて黒光りしているかたち……。いちばん太くて、いちばん新しく、そして逞しい。
「ふ〜ん。でも…これは、絵がなくて削っただけ?」
封じ込めていたはずの別の記憶がパンドラの箱を開くように甦った。
――図書館に出かけた夏の日の朝……。身動きできない地下鉄の混雑の中で、スカートを捲くり上げられて背後の愛撫に身を委ね……、いきなりぬるりと挿入されて、指だと思ったら…予想外の太さと固さに思わず声が出そうなるのを、唇を噛んで必死に耐えた……。膣を抉るように掻き混ぜられて、降車駅で…最深部に押し込まれ、そのまま置き去りにされたもの。まともに歩けなくて、抜け落ちそうになるのを必死に締め付けて……人の流れをやり過ごし、ようやく隣に並んでくれた天辺の腕にすがりついた……。
“大きさはどうだ”と問われ、“丁度いい…けど…歩けない”と答えたことが羞恥と共に脳裏に甦った。
それなのに……、それなのに、天辺は“そうか。それはよかった。では、進呈しよう”と、あまりにも素っ気なく踵を返し、協会への横道へ逸れていこうとした……。
頭に一気に血が上り、人目もはばからず、歩道の真ん中でその背中にしがみついた。
“ひ、酷い……。こんなにされて…、こんなにされたら学校に行けない”
口から洩れる言葉が震えて、わなないていた。涙腺が緩みそうになって、顔を手で覆うと天辺の腕で引き寄せられた。
“どうしたい?”
薄く笑った笑顔の奥で精悍な眼差しが真っ黒に光り……、まさか朝からホテルに行こうとも言えず、背後に見えたスクエアビルに行きたいと答えた……。
“行ってどうする?”
街路樹の影になった天辺は皮肉な笑いを口の端に浮かべ、突き放すような口調で問い掛けた。
“前みたいに…裸にして……”
“あの時は…入れさせない上に、口でするのも嫌がったぞ?”
“今日は…なんでもする。わたしの躰、自由にして。だから…お願い。ちゃんと、最後までして!”

――結局、あの日、わたしは大学行きのバスに乗ることはなかった。
薄暗く黴臭い澱んだ空気と無残に剥がされた内装の前で、わたしは全裸に剥かれ、剥き出しの配管を握り締めて、天辺の前に尻を突き出した。背後から犬のように貫かれ、乳房を揉みくちゃにされて、わたしは気が遠くなりそうな歓喜に打ち震えた。
二匹の獣のように、ありとあらゆる愛欲の限りを尽くしても、尚まだ飽き足らず、午後いっぱいを近くのシティ・ホテルで過ごした。シェードを下ろした薄明るい密室で、わたしは声が嗄れるまで絶叫を繰り返し、強烈で濃密な悦楽と心地良いまどろみと疲労が交互に訪れて、最後には立ち上がることも、寝返りを打つこともできなくなっていた……。

「これ、歯型がある」
ハッと我に返り、寛の視線の先を見て、血が一気に逆流した。
「え、あ、ちょ、ちょっと…やだ…」
無我夢中で彼の手から削り出しのこけしを奪い取った。
驚いたような寛の表情を見て、慌てて言い訳を考えるが、言葉が出なかった。
足の間に落ちた“花蜜”を寛が拾い上げて、顔に近づけた。
「だめーー。臭いを嗅がないで!」
奪い取ろうとした手の動きをあっさりかわされて、肩を抱きすくめられた。
握り締めた指を一本ずつ剥がされて、隠そうと必死になったものが逆に奪い取られた。

「今日はいつもより反応が早いし、全体的にピンクが少し濃くて…充血してるような気がする……」
――えっ!? なんのこと? ひぇっ! うそ!
慌てて閉じた足の合わせ目を両手で覆い隠して、寛のあまりにも的確な観察に縮み上がった。
「そ、そう?」
動転した表情を読まれまいと、夕実は慌てて寛の胸に顔を埋めた。
「で、出掛ける前に…それ使ったから」
とっさに言い訳が口をついて出た。
「これがお尻用で、これが下の口? で、これが上の口?」
指の隙間から寛が指し示す三本の木偶を盗み見た。頭にかっと血が上り、布団被って丸まりたいような恥ずかしさに両手で顔をきつく覆った。
「そうよ…。親がびっくりするといけないから、それを咥えて声を殺すの。しかたないじゃない! わたしをこんな女にしたのは寛だよ」
夕実は寛に抱きついたまま、その広く暖かな背中をぼこぼこ拳で殴った。
「どうしたの? 今日は著しく情緒不安定だね」
夕実の殴打を平然と受け流しながら、寛は夕実の裸の腰をぎゅっと引き寄せた。
「だって、だって……最近全然かまってくれないのに、昔のこととか…突然話すから……」

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――目をきつく瞑り、口をきっちりと合わせたまま、両手で握り締めたものの上に腰をずらす。
脈づいた硬い先端を待ち焦がれた場所にあてがうと、小刻みに腰が震えて狂おしいまでの期待に全身が慄いた。
根元に指を添えたまま、重力に任せてゆっくりと腰を沈める。
膣壁を擦りながら突き進む硬さ。
女であることの悦びと、好きな男を受け入れているという至福。
なんという女なのだろう。
ほんの数時間しか経っていないのに、三人の違った男のもので貫かれて尚、躰は際限もなく溶けてしまいそうに蕩けている。
絡み合う舌。絡み合う腕。
わたしの躰を隅々まで知り尽くした丁寧で正確な愛撫。
先端がとんと音を立てたように行き止まりにぶつかった。
息のできない快感が喉を震わせて、躰の最深部から突き上げた。
膣をそっと締め付けて男のかたちを貪ると、硬さが一段と膨らんだ。
「うわっ!」
外れた口から我を忘れた声がこぼれ出た。
「きもちいい…よ。きもちいいよ、きもちいい、きもちいい……」
耐え切れない快感に言葉が溢れ、口をついた。
「そんなに声を出すと下に聞こえちゃうよ?」
わたしは既に、寛の忠告を聞く耳など持たず……。
腰を僅かに揺するだけで意識が途切れ、宙に舞い上がる。
乳房を押し付け、陰核をこすり、壊れんばかりに腰を打ち付ける。
止まらない、止まらない。
溢れた液が二人の接合部を濡らし、音と匂いを立ち上らせ……。

微かに突き上げる動きに、堰を洪水が乗り越えるように、堪え切れなくなったものが溢れ散った。
3回目。
もう……もう…息がで・き・な・い。
「あ、また…いきそう…。寛も…いって。一緒にいって」
「夕実は何度でもいっていいよ」
「そん…なにしたら…死…んじゃう…よ」
「じゃあ、夕実が死ぬ一回前に一緒にいこう」
再び塞がれた口から舌が差し込まれ、わたしの舌とねっとりと回りながら絡み合う。
滑り降りた指先が濡れそぼる会陰をぬるりと滑り、ゆっくりとお尻の穴に捩じ込まれた。
わたしの三つの穴が全部寛で、生身の寛で塞がれていた。
わたしの意志は真っ白な虚空に弾け飛んだ。
躰ががくがくと痙攣して、四度目の大波が来た。

・・・・・・・・・

気が付くと、わたしは寛の人差し指の根元、二度と消えることがない傷痕に噛み付いていた。

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一日に三人の男と交わったという破廉恥な記憶は直後にはじまった生理の間中、夕実を苛んだ。それでも、まるで背徳の代償のような、いつになく重く辛い生理が峠を越して暦が10月に変わると、忘れたかったはずの過去は忘れがたい追憶にいつの間にかすり替わりはじめていた。
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、寛の傷跡に噛み付いた硬く苦い感触も遠く乾いた記憶に埋没しはじめて、ときおりちろちろと熾火のように燻った火種から黒い炎が吹き上がるようになると、焼け付くような焦燥感に煽られて躰が疼いた。
迷ったといえば嘘になるかもしれない。
刹那と期待がない交ぜになって、いつの間にか浮ついた足は蜜に集まる蝶のように駅裏の路地に向かっていた。

どういう顔をしていけばいいのかわからなかったから、どう言い訳をしようか考えあぐねていたから、夕実はあの日から天辺に会うことを一日伸ばしにしていたが、一方では彼から与えられる逞しさと濃厚さが一体となったような野性的なまでの悦楽を渇望しはじめていた。そのバランスは徐々に後者に傾いて、夕実の情感を躰の奥底から抉り出すように煽りはじめた。
とうとう週末まで我慢ができず、夕方、大学の帰りにこっそりと余香庵の前まで行ってみたが店は閉められたままだった。
まだ、弘前にいるのだろうか……。
行き場のない情感が明るすぎる秋の景色と透き通る空の青を不透明な澱で汚した。
不意に林真理子の美しく整った理知的な顔が脳裏に浮かび、不安が灰色の雲のように膨れ上がった。
夜、思い切ってメールを入れてみたが、いつまで待っても返事はなかった。
あの日から2週間が経ったとき、さすがに待ち切れなくなって携帯に電話を入れてみたが、電波が届かないか、電源が切れているとつれない人工音声が応対した。

罪悪感と焦燥感が二度と解けないほど複雑に絡み合って、じっとりと寝汗をかいた眠れない夜が続いたとき、思いもかけぬ人からメールが入った。
発信者は不安の種の張本人である伝統こけし民芸協会の林真理子。いくつか打合せしたいことがあるという、極めて事務的で素っ気ないメールだった。湯浅氏に調子に乗せられて引き受けてしまったモデルの件なのだろうということは想像がついた。
数日に渡って第三希望まで書かれているところをみると、ハードスケジュールで彼女は忙しいのだろう。指定された日時に特に不都合はなかったので了解のメールを返信した。
天辺はまだ弘前にいるのだろう。取敢えず、林がこの街にいて忙しく仕事をしているらしいことに、夕実はほっと一安心した。

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翌々日の午後3時、街中のカフェが指定の待ち合わせ場所だった。時間が中途半端だったから店は空いていた。暖かく心地良い日和に誘われて夕実は屋外に並べられたテーブルの一つを選んだ。
林真理子は予定の時間に5分ほど遅れて颯爽と現れた。黒い地味なジャケットにラヴェンダーのシャツ。地味だが繊細なシルバーのアクセサリ。きれいに盛り上がった胸。裾折りしたベージュのワークパンツ…だけがだぶだぶで…サイズが合ってない?
一瞬感じた違和感は彼女の透き通るような微笑に掻き消された。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって……。林です。よろしく」
初対面でもないのに丁寧な挨拶とともに、夕実の前に優雅な手付きで名刺が差し出された。
「あ、いえ。今日はもうこの後空きだから気にしないで下さい」
林は如才なく飲み物をオーダーして向かいの椅子を引いた。

「さっそくだけど……」
正面に座った林は満面の笑みを浮かべ、ごついショルダーバッグからファイルを一冊取り出して、夕実の前に置いた。
「湯浅のほうからお願いした撮影の日取りなんだけど、24日の土曜日でどうかな? 午前中から3時くらいまではかかるかも。あ、もちろん、天辺先生も立ち会ってくれるよう手配済み」
天辺の名前が出てどくんと心臓が鳴った。
「…はい」
予想していた通りだから依存はなかった。
「一応、契約書とこれが企画書。湯浅も承認済み。本当は湯浅本人が説明するはずだったのだけど、カメラマンの人、下条律子っていう女流なんだけど、ちょっと売れっ子でなかなかアポが取れなくて、今日、急遽、打合せに東京に行ってるの」
「は、はぁ……」
淡々と林の説明は続いていた。無駄なく端的で明解な説明は林の聡明さを十分裏付けていたが、夕実は林の可憐なまでに魅力的な容貌に半分見蕩れていた。
「OK?」
慌てて夕実は頷いた。

「まぁ、あなたなら読めばわかるでしょ。サインして撮影の日でいいから持って来て。契約書だからごちゃごちゃ書いてあるけれど、あまり気にしないで。わたしと湯浅がきちんと取り計らうから安心して。何かあったらそれこそ天辺先生にも怒られちゃうし。もし、疑問や不明な点があったらメールして。あ、そうだ……重かったのはこれだ」
林がバッグから大型の封筒を取り出した。
「これ、そのカメラマンの作品集。取敢えずいちばん有名そうなやつなんだけど、進呈するから興味があったら見てみて」
封筒から硬い表紙で装丁された大判の写真集が滑り出た。
燃え盛る緑に『夏の庭』と白抜きになったタイトルが表紙を縦にぶち抜いていた。
「あの……、いいんですか…貰っちゃって……」
手にした写真集はずしりと重いハードカバーの豪華版だった。
「いいの、いいの。中身も…けっこういいよ」
上品に笑った林の柔らかそうな髪が逆光に金色に輝いて見えた。

「そうそう、身長とスリーサイズを教えて。あと、ちょっといい? 写真を撮りたいの」
林はバッグから小さなシルバーに光るデジカメを取り出した。
「え? 今ですか?」
夕実は慌ててぼさぼさの髪を手櫛で梳いた。
「いいの、いいの。気にしないで。自然なほうがいい。スナップだから。カメラマンに予めイメージしてもらって、あとは衣装とか準備もいるでしょ?」
座ったまま正面から一枚、二枚。
立ちポーズで正面、背後、真横を数枚づつ。
「さて…。仕事はこれで終わり。ケーキでもどう? ここ、結構おいしいの」

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目の前に凝りに凝ったフルーツケーキが置かれ、甘酸っぱい香りがお代わりした紅茶の湯気にしっとりと絡み合った。派手な模様が入ったブランド皿の大きさのわりにケーキは小さかったが、フルーツとキャラメル味のバランスが咽そうなほど濃厚で溜息が出た。銀のフォークを置くと、ポッドがつくる影がテーブルの木目に斜めに延びていた。
訊きたいことが山ほどあるのに、夕実の思考は堂々巡りを続け、躊躇っていた。
「なぁに? 何か言いたそうだけど?」
林から振られて、ようやく意を決した。

「あの……。弘前は…どうでした?」
林の切れ長の目が一瞬すっと薄く細められて、すぐに口元に微笑が浮かんだ。
「こけしの話かな?」
怖いほど澄み切った目に真正面から見詰められて、夕実は曖昧に視線を逸らせた。
「えっと、その……。……」
顔が熱かった。たぶん、赤くなっているはずだ。
夕実は俯いて、空になったカップを馬鹿みたいに凝視した。

「先生は…山よ」
林の口調が勝ち誇ったようでもなく、憐れみを滲ませたものでもないのが、かえって夕実を苛立たせた。
「や…ま?」
「あら? ご存じない? 先生方、真面目な作家ほど、秋になると来年使う材料の木取りで、あっちこっちの山を見に行くの」
「木? ですか…」
「そう。こけしの材料になる木。伝統的にはミズキを使うのだけど、モノが少ないから最近はイタヤカエデやエンジュ、ナシなんかも使っているみたい。ところが、今どき、そういう木は産業としては植林されていないのよ。工芸品以外の用途は限定されるし、使えたとしても国産材じゃコストが高過ぎて競争力がないわけ。だから、自然に生えているものを見つけなくちゃいけないの。もちろん、自分で探すことはできないから、林業関係の組合とか、原木の製材所や国有林だったら森林管理署…昔は営林署って言ったっけ?…あたりに話をつけて目ぼしいものをピックアップしておいてもらうの。でも実際使えるかどうかは、現物を見ないとわからないから、山に入って見に行くわけ。見て使うものは切ってもらう。今年切るのか、来年にとって置くのかの判断も必要なの。切った木は雪が降るまでその場で乾燥させて、冬がやってくる頃製材所に入れて春まで寝かして更に乾燥させるの。その木をこけしに加工するわけ」
夕実は天辺と深い関係を結んでいるはずなのに、彼の仕事に対する自らの無知さ加減に恥じ入った。
「……全部先生の受け売りだけどね」
林は小さく自嘲気味に笑ってカップに口をつけた。
林の鮮やか過ぎるピンクの唇とカップの地肌の白さの対比に、惨めな気分がいっそう押し寄せてきた。
「だから、天辺先生は秋はほとんどこの街にいない。紅葉を追いかけるように青森から奥羽山脈を南下して福島か、場合によっては新潟辺りまで里山を走り回ってる。……実はさ、偉そうに語ってるけど、今回、弘前の仕事が散々難航してね……。骨休めってことで休みを一日貰って、温泉に泊まって、先生はそのまま山に廻るっておっしゃったから、丁度いい機会だと思って無理言って連れて行ってもらったの。以前から話には聞いていたけれど、わたしも実際に同行させてもらったのは今回が初めて。もっとも、慣れないことするからとんでもないご迷惑お掛けしちゃって、散々だったのだけどね」
林が微かに目元を染めて視線を逸らしたのを見て夕実の心はざわめいたが、“温泉”という不穏な予感を漂わせた言葉が頭の中で堂々巡りしていて反応が遅れた。
「迷惑って……?」
訊いてはいけない、訊かないほうがよい気もしたが、湧き上がる不安が口を滑らせた。
「う〜ん……。あなたなら…まぁ、いいか」
目元を染めた林は勝手に頷いて、コーヒーのお代わりをオーダーした。

挿絵72

『空の青 10月(1)』

「遅い朝というか朝昼兼用でおいしい蕎麦を食べて、先生は車だから飲まないのに、わたしは調子に乗って勧められるままにビール飲んで、いい気持ちだったの。宿から車で1時間くらいかな。もう秋田との県境で、国道を外れて林道を登って行き止まりまで行く。車はそこまでであとは歩き。たいした勾配じゃない里道。登ったり、下ったり、沢を越えて尾根を越えて30分か40分くらいだったかな。天気は最高。雲一つない快晴で、空の青さが目に染みるくらいだった。山はすっかり紅葉で、下草は枯れて虫もいないし、空気は最高においしいし気分は爽快だった。いろんな話をしてくれて、勾配がきつくなったりすると手も貸してくれるし、普段のちょっとおっかない先生にはこんな面もあったのかって驚いたり、喜んだり。目線がさ、強いじゃない? 先生に見据えられると、わたし動けなくなっちゃう…のね。で、目的地に辿り着いて、これがミズキだよって教えてもらったのだけど……何の知識もないわたしにはちょっと枝振りが面白い“ただの木”だった。先生はわたしの表情を読んで、“だから言ったろう”って苦笑してた。でも、わたしは…嬉しかったのね、純粋に。それから、倒木をベンチ代わりに少し休憩して、ちょっといいムードで……、そろそろかなって思ったりしてたんだけど……。でも、わたしはそれどころじゃなくなりはじめていたわけ。最悪の生理的欲求ってやつね。浮かれて調子乗りまくりの自分の愚かさ加減を心底呪いたくなった……」
林の声が一段と低くなった。
「……せっかくのチャンスを断ち切るように、戻りましょうって言わざるを得なかった。先生はちょっと訝しそうにわたしの顔を眺めたけれど、吹っ切れたような感じで立ち上がった……。返りは長かった。歩いても歩いても進まない。そのうち歩けなくなって、とうとう……、笑わないでね…、小さな段で足を滑らせて、尻餅ついた拍子に…我慢の限界で……。止めようと思っても止まらなくて……頭がカーッとなって、もうどうしていいのかわからなくて…、子供みたいに声を上げて泣き出しちゃった」
気まずそうに視線を逸らした林は自嘲気味に唇を歪めビルの狭間に覗く秋の空を眺めた。
「先生は……絶対びっくりしたよね……。どうしたんだ! って、すぐ振り向いて来てくれたんだけど、次の言葉が出なかったからすぐわかったんだと思う。ジーンズはぐしょぐしょで、お尻の下に水溜りができてたし、臭いも……」
林の顔がくしゃくしゃに歪んで、唖然としている夕実に気付いて、慌てて照れ隠しの笑みを浮かべた。
「誰にも言わないでね」
林の顔が少女のように幼く見えて、弱々しい笑みを浮かべていた。
夕実は惹き込まれるようにこくりと肯いていた。

「すまなかった。気付かなくてって、まるで自分が悪いかのように先生はおっしゃってくれた。粗相をしたわたしを気遣って、肩に手を回してくれて……余計大泣きしちゃった。トイレに行きたいって言えば、先生のことだからなんとかしてくれたと思うんだけど、わたし…恥ずかしくて、どうしても言えなかったのね」
同性としてその気持ちはとてもよくわかる気がするが、林がそういうタイプだとは思いもしなかった。夕実は率直に驚いていたが、そんな林を同時に羨ましくも思い始めていた。
わたしが寛や佐々川君の前でしていることを知ったら、この人は卒倒するのじゃないだろうか? そして、そんなわたしの痴態を天辺に知られてしまったことが痛恨の極みのように思えて、再び不安がむくむくと湧き上がりはじめた。

「それからが大変だったの」
肝心の部分を喋ってしまったせいか、林の顔が心なしか明るく見えた。
「濡れたままじゃ拙いって……ジーンズ脱がされて、わたしは為すがままだった。下着をとられて…あそこをハンカチで拭かれたときは恥ずかしくて気が遠くなったけど」
――なにそれ? 裸になって性器を拭いてもらったってこと??
「代わりに先生が穿いていたズボンを脱いで、穿きなさいって貸してくれたの。けもの道で足に傷がついたら困るからって。だぶだぶだし裾は長いしで合うわけないんだけど温かかった。先生は下着だけで僕の足は頑丈だからって笑って、その後ずっと手を繋いで歩いてくれた」
――なにそれ! なんで…そんなことまで……しなくちゃいけないの……。
「街へ下る前に山間の湯治場に寄ってくれて、汚れた躰を洗ったの。季節外れの平日だったせいか誰もいなくてほっとした。ズボンは洗って返すって、そのまま借りちゃった。後は、角館まで送ってもらって新幹線に乗せられておしまい。いろいろ考えていたのにさ、結果的には大恥かいただけで嫌になっちゃって……新幹線のなかで自棄酒飲んだわ」
林は夕実の目を探るように見て小さく笑ったが、夕実はインプットされた情報を整理し切れずに、半分唖然とし、半分落ち込んでいた。

「そうそう、ごめんなさい。渡すの忘れるところだった。これ、先生から」
ショックから立ち直れない夕実は手元に渡されたものをぼんやりと眺めた。
20cmほどの細長い木箱。黄色味がかった木目に黒い紐が掛けられて、不思議な曲線を描いていた。
「ねぇねぇ、良かったら開けてみてよ。羨ましいなぁ、すごく興味があるの」
林の言葉は半分以上耳に入らなかったが、夕実の指先は躊躇せずきつく結ばれた紐を解いていた。

蓋を開けるとおがくずがいっぱいに詰まっていた。
掻き分けるように指を埋めるとすぐに硬いものが指先に触れた。
無彩色の荒削りなかたち。こけし? 白木の柔らかさと温かさが手に伝わった。
箱の底で白い紙がかさりと音を立てた。
手紙?
夕実は夢中で小さく折りたたまれた紙を開いた。
適度に崩れてはいるが達筆の天辺の字だった。

しばらく会えない。
おまえの真っ白な尻を抱えている夢ばかり見ている。
辛くなったら、代わりにこれで慰めておけ。
おまえの中に射精するときの、いつもの大きさだ。

天辺

夕実の顔が真っ赤に染まり、慌てて紙片を元通りに折り畳んだ。
「あの…、ごめんなさいね…。余計なことしちゃったみたいで……」
林の目元までがほんのり染まっていた。
「じゃ。また。今日はありがとう」
軽く手を上げて林は伝票を掴んだ。

――ああ。そういうことか。
颯爽と歩き去っていく林の後姿を眺めながら、唐突に最初に感じた違和感の正体に気付いて夕実は唇を噛んだ。
――他人に聞かせるようなことじゃないことまで話したのもそういう裏があったのか……。
林のすらっとした足と膨らんだ尻を覆うだぶだぶのパンツは、天辺がいつも穿いているズボンだった。何度か…見た記憶……、ざっくりとした生地に触れ、ジッパーを下ろして彼のものを取り出したことすらあったのに……、気付かなかった……。
夕実はグレーの背景に溶け込んでいく淡いベージュ色を呆然と見送った。

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――わたしって…、からかわれてるんだろうか? それとも、挑発されたんだろうか?
サイズが合わないのに、天辺のズボンを穿いて、うきうきと楽しそうに、わざわざ見せつけに来た?
改札を出ると自然に余香庵に足が向いた。
すっかり陽が短くなって、暗灰色のシャッターに暗い影が落ちていた。
夕暮れの冷たい風が吹き抜けていったが、夕実の情念は不自然に煽られて高ぶっっていた。
踵を返して裏に回り、細い路地を入った。

鍵の場所は教えてもらっていたし、いつでも入ってよいといわれていたが、天辺が不在とわかっていて来たのは初めてだった。
ひっそりとした裏路地にカラカラと引き戸の音が響いた。
戸を閉めて鍵を下ろすと微かに聞こえていた街の喧騒が完全に消えた。
古い木造家屋の湿った木の匂いに天辺の匂いが一瞬立ち上り、すぐに消えた。
玄関を上がり、主のいない部屋を見て回った。
風呂、トイレ、台所、座敷……。
出掛ける前にきれいに片付けたと見えて、どこにも手を入れる隙はなかった。
最後に廊下の突き当たり、白檀の残り香に誘われていちばん広い店を覗いた。
スイッチを入れると青白い闇にオレンジ色の鮮烈な光が柔らかく満ちて、壁一面に並べられた木偶たちに、一斉に生命が宿った。

天辺がいつも座っている小上がりに脱ぎ捨てられた黒い着流しを見つけて、夕実はようやく目的のものを見つけたように胸が高鳴った。
――もう、だらしないんだから。
板の間に座り、磨かれた床に蛇のようにのたくった着流しを足の上に引き寄せた。
広げた布地のほこりを払い、生地をぴんと張りながら襟を合わせ、折り目をつけて丁寧にたたんだ。
正座した足の上に黒い方形がきっちりと整った。
生地の手触り、微かに立ち上る男の匂い。それを身に着けていた男の精悍な眼差しがありありとよみがえり、夕実の内に瑞々しさが溢れ、熱いものが流れはじめた。
優しく微笑むこけしたちに見守られながら、夕実は無意識のうちに、その黒い影を胸に抱きしめていた。

目を瞑ると、静まり返った余香庵に自分の心臓の音だけが上ずって響いていた。
胸に抱えた影をそっと引き上げて、顔に押し付けた。
忘れもしない天辺の匂いが胸いっぱいに広がった。
――ちゃんと洗っておきますから……ちょっとだけわたしにも貸して。

セーターを首から抜いて、ジーンズを剥くように下ろし、ソックスを脱いだ。
下着をどうするか一瞬迷ったが、天辺のズボンを穿いた林の尻が目の奥にちらついて、ショーツも脱いだ。
広げた黒い着流しに袖を通し、羽織った。肩がだぶだぶで落ちそうなので襟を無理やり絞って帯を締め、どうにか格好がついた。
傍らの文机に置かれた香炉に火を灯すと透き通るような白檀の香りが漂いはじめた。
温かさが躰全体を包み、男の匂いをまとっている感覚に慄きながら、自分で自分を抱きしめた。

木箱の黒紐を解く。
もう一度手紙を開き、おがくずに埋もれた白木をじっくりと眺めた。
手に柔らかく馴染んだかたちは首の部分が胴と一体で、こけしというよりは……まるで天辺のものそのものに思えた。目を瞑り、両手で握るように掴むと、まるで生き物のように脈づいて動き出しそうな気すらした。
先端を顔に寄せて、そっと頬擦りする。
滑らかなカーブとくびれ、縦にすっと入った木目は亀頭の小さな割れ目にしか見えなかった。微かな青臭さ……精液の匂いを感じてはっと息を呑む。。
舐めるように先端を口に含む。
歯があたらないように口中を抉り出すと、本物のような大きさと感触に腰が小刻みに震えはじめた。
苦しくなって正座していた足を崩すと溢れ出た淫液で尻がべったりと濡れた。
――ごめんなさい…汚しちゃった……みたい。
店の中央、何も置かれていない展示台。
明るくライトアップされた方形の褥に黒々とした影が横たえられて……。
……一度は締めた兵児帯を解き放つ。
白と黒がのたうちながら淫らに絡み合う。
「入れて」
数え切れない木偶たちが見守る静寂に、夕実のしなやかな声がくっきりと響いた。
その響きが消えぬ間に、逆手に持った白木が花唇を割って、まるで生き物のようにぬるりともぐりこんだ。

『空の青 10−1』(続く)

作成日:2008/10/23 最終更新日:2008/10/25

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