空の青 11月(3)

軽くノックをするとすぐに返事があった。ドアを開けて一礼すると、平野は窓際のソファにふんぞり返って足を組んでいた。
「まぁ、座りたまえ」
逆光になった平野は顎で脇のソファを指し示したが、夕実はその言葉を無視して彼の前に進み出た。スカートの前で組んだ手が僅かに緊張した。
「なんでしょう?」
長居をしたくなかったから物腰が性急になったが、平野は逆にそんな状況を愉しんでいるように見えた。頭の天辺から爪先までを粘っこい視線が舐めるように往復して、影になった顔に薄笑いが浮かんだ。
「ちょっと相談したいことがあるんだよ。是非とも君にね」
ねちっこい喋り方がいっそう夕実のじれったさを煽った。
「どういうことでしょう?」
「ん? 父兄からクレームがついてね……」
思いもかけない言葉に夕実は一瞬唖然として、すぐに身を引き締めた。
「あ、あの…わたしが何か……」
平野の目が夕実の表情を探るようにすっと細くなった。
「君と…えーと、佐々川君だったかな。彼は…今日は“出”じゃないようだが…思い当たることはないかね?」
夕実の頭は瞬時にめまぐるしく回転しはじめた。
すぐにいくつかの可能性に行き当たる。クレームという結果と平野に呼び出されたことを考え合わせると、もっとも蓋然性の高い一つの記憶が正確に再現された。折りしも、その再現された場所は“ここ”、つまり6階のラウンジの奥の普段はあまり人気がない講師控室だった。
まさか……。他の可能性をもう一度走査したが、どれも条件には合わなかった。
「え、あ、あの……」
自然と顔が赤らんで、夕実は完全に言葉に詰まった。

「君の授業、一人の女生徒が数日前から休んでいるだろう?」
すぐに頭の中に数人の名前がリストアップされた。
「火曜日のことかな? 授業の後でね……。その子はどうしても君に相談したいことがあったそうだ。あちこち探してね、ようやくここじゃないかとやって来た。外から呼べば良かったのになぁ。でも、その子はちょっと大人っぽく、遠慮して小さく軽くノックしたそうだ。君が今入ってきたその扉をね……」
まさか…、そんな……。
フル回転していた頭は記憶の底から崩れ落ちそうな快感と共に、その微かな物音を抽出していた。
「返事がないから、ドアを押したそうだが、その子は身体が小さくてね。ここのドアは…一応、スチールだから…重くてなかなか開かなかった。体重を掛けたら、やっとのことで細く隙間が開いた」
夕実の頭にそのときの光景が焼け付くような感覚と共に正確に再現されて……、思わず唇を噛んで嫌味たっぷりににやついた平野から顔を背けた。

「す、すいません」
「ずいぶん物分りがいいじゃないか。さすがだな」
夕実は身を固くしてふんぞり返った平野に頭を下げた。
「何か謝らなければいけないようなことをしていたのかね?」
「そ、それは……」
「ちゃんと答えなさい」

「わたしたちだけ……ちょうど一コマ空きで…6階の他の先生達はみんな授業に出ていて……、そうしたら、佐々川君が…ちょっとだけだから…大丈夫だって」
「全然、説明になってないじゃないか。頭脳明晰な君らしくないな」
夕実は顔を覆いたくなるのを必死に耐えた。
「す、すいません……あの、その…」
無言の威圧が続きを促した。
「セックスしました……」
最後は消え入りそうな小さな声になった。

「ショックだったそうだ……。憧れの久野先生が裸にされて、立ったまま後ろから尻を佐々川先生に抱えられて、彼が動くたびに大きなおっぱいがプルプル揺れていたらしいな」
夕実は逃げ出したくなる気持ちを必死に堪え、唇を強く噛んだ。
「彼女だって今時の中学生だ。最初は呆然としてたらしいが、もちろん、二人が何をしているのかすぐにわかったらしい。扉を閉めるときに音がしたら…悪いんじゃないかって、必死に押えていたそうだ。君が彼のズボンの前に顔を埋めて、頭を両手で抱えられて、フィニッシュのときは思わず目を瞑ったそうだ……」
平野は俯いている夕実に顔を寄せ、まるで業務報告を求めるかのように軽く淡々と問い掛けた。
「フェラチオもしたのかね?」
「そ、それは……」
前で組み合わせた指先に力が入って筋が白く浮き出た。
「ちゃんと答えなさい」
「……はい」
畳み掛けるように質問が降り注いだ。
「君のその、可愛らしい口に射精させたのかな?」
「飲んだのか?」
「そ、そんなこと…言えません」
「久野先生は、どうして佐々川先生のおちんちん……を口に入れるんですか? おしっこするところでしょ? 汚くないんですか? 訊かれたぞ? 正直困ったよ。君ならどう答える?」
平野のえげつない質問に、夕実は俯いて、見開いた目で馬鹿みたいにカーペットの織り目をたどり続けた。

「付き合っているのかね? 佐々川君と」
質問の矛先が変わった。
「えっ? あ、いえ、あの…そういうわけじゃ……」
「ふむ、なるほど。久野先生は嫌がっていたように見えたと聞いたが、なんだ? 恋人っていうわけじゃないのか?」
「あの、うまく言えないですけど……そういうわけじゃないと…思います」
「そうなると、それはそれで問題だな。無理やり乱暴されたのかね?」
「あ、いえ……」
「どっちなんだ?」
「あの…、駄目って言ったのに…止めてくれなくて……」
羞恥心が夕実の答えを曖昧にぼかした。
平野の顔に残忍な笑みが薄く張り付いて、畳み掛けるように言葉が続いた。

「学校よりも楽しいはずの塾に行きたがらなくなった娘を不審に思って母親は問い詰めた。あとはわかるだろう? 中学生ってのは微妙な時期なんだ。父兄が怒るのも無理はないだろう。事実なんだな?」
「す、すいません」
「困ったことをしてくれたな」
百合ちゃんという中学二年の、小柄な少女のいつも真剣な目つきが夕実の脳裏に鮮明に甦った。
「申し訳ありません」
夕実は平身低頭、平野に頭を下げて謝った。

「君のことは昔から良く知っているし、ここでの実績もあるし、生徒や父兄の受けも非常に良いんだよ。その期待を裏切るようなことをされてはなぁ……」
目が潤んで焦点がぼけはじめた。
「一応受けたクレームは上に報告しなければいけないし、こちらに問題があるのだから、当然、君たちには何らかの処分を課さねばならないだろう」
「はい。それは覚悟しています」
驚きと恥ずかしさがない交ぜになって夕実を翻弄し、意識が遊離したように目が霞み、耳から入る言葉が遠く聞こえた。
「まぁ、君は無理やりされたということでなんとか話してみるが……、彼のほうは最悪のケースを覚悟してもらわないといけなくなるかもしれないな」
自分がしでかした行為に、夕実は強く慄いて震えていた。いつかこんなことになるかもしれないという恐れは事有るたびに感じてはいたが、ひとたび刺激を受けると快感を制御できなくなる自分が情けなくもあり、恐ろしくもあった。
「あとは百合ちゃんへのアフター・ケアをどうするかだな。母親はすぐにでも辞めさせたい意向だったんだが、百合ちゃんは君を慕っているし、父親のほうも君を気に入っているようだ。…最初の……オリエンテーリングのときの印象が非常に良かったらしいな。うちとしても来年の実績を考えれば、成績優秀な百合ちゃんをみすみす他の塾に獲られるのは惜しい。学費を全額免除するって条件で何とか退塾は留まってもらったよ」
「す、すいません」
「まぁ、君もある意味被害者だからな。今後は期待に背かないようしっかりやってくれたまえ。佐々川には損失の穴埋めを含めてきっちり責任を取ってもらうことになるだろうがね」
真面目で威厳を込めた口調は崩さなかったが、平野は生真面目に打ち萎れている夕実の美貌を改めてゆっくりと眺めていた。一方で、滅多に経験がない叱責に我を失った夕実は平野の舐めるような視線に気付くこともなく、消え入りたくなりそうな羞恥心と自責の念にどっぷりと浸かっていた。

挿絵85

『空の青 11月(3)』

平野の体に似合わぬ小さな溜息のあと、長い沈黙が続いた。
夕実は放心したように硬直していた。痛いほどの緊張に気が遠くなりそうになったとき、ようやく平野が沈黙を破った。
「それと、今日の君の服装なんだがね……」
平野がもったいをつけるように再び沈黙を挟んだ。
「そのブラウス、背中にピンクの下着が透けて見えるよ。それに、ストッキングはナチュラル色以外は駄目だろう?」
――ブラは白やベージュが洗濯中だったから、いちばん無難な淡いピンクを選んで着た。授業では上着を羽織るから問題ないだろうと考えたが、来てみると暖房が効きすぎで上着を脱いでロッカーに放り込んでいた。ストッキングは…うっかりしていた。薄いグレーならナチュラルと同じくらい地味だし……。
そう言い訳をしようと平野の顔を見上げたが、教務課長は冷たい顔を崩さなかった。
「困るね。勝手なことをしてもらっては。ただでさえ問題を起こしているというのに」
押し被せるような有無を言わせぬ口調に一瞬反発が湧いたが、発覚した失態のダメージが大き過ぎた。規約を勝手に拡大解釈したことを率直に認める意識が自分自身を諌めた。
「す、すいません」
「そう。わかってるならいいが」
「ス、ストッキングはすぐ脱ぎます……」
べつに…生足だって、室内は暑いくらいだし、おかしくはない……。
「で、でも……、下着のほうは許していただけないでしょうか。すぐに…上に上着を羽織ります。下のロッカーに置いてあるんです」
平野の顔が逆光にいやらしく歪んだが、夕実は眩しくてその微妙な表情の変化を捉えることができなかった。
「その格好で1階のロッカーまでいけば当然途中で生徒たちに遭うじゃないか。自習室にもラウンジにも生徒がたくさんいるだろう? 何のために規則が決められてるんだ?」
「そ、それは……」
夕実は苦渋の表情を一瞬見せたが、結局は自分が悪かったのだという原点に立ち戻るざるを得なかった。
「問題を起こしておいて、その上、更に規則違反を容認しろというのかね?」
すっかり気落ちした夕実には平野の強引な押しに逆らえる気概はなかった。
「あ、いえ。とんでもない……でも、……今、こ、ここで? ですか」
「それは君が決めることだ。ただ、教務課長としては…ちゃんと確認する義務があるからな」
椅子にふんぞり返った平野の顔がにったりと歪み、勝ち誇った笑いを薄く浮かべた。

長椅子ののっぺりした安手の生地を夕陽がじりじりと移動しながら角度を変えた。平野からなるべく離れた位置に立った夕実の足元を斜めに差し込んだ赤い光が彩った。
夕実は平野の視線から前を隠すように横を向いて、素早くスカートの中に両手を入れた。
スカートそのものが捲くれ上がらないように、パンストだけに手を掛けて引き降ろす。サンダルを脱いで片足ずつ足首をくぐらせたパンストを平野の目から隠すように小さくまとめた。
平野の視線が夕実の躰に痛いほど突き刺さっていた。
その不躾なまでの視線の前で、夕実は屈辱感に苛まれながら平野に背を向けて、背中に廻した手でブラのホックを摘みあげた。ブラウスの前を少し開け指先を差し入れて両肩のストラップを落とした。器用に腕を折り畳んで片側ずつ細紐を手首から抜いた。最後に広げた胸元からカップを取り出して手早く二つに折り畳んだ。
そのとき丁度、授業の終了を告げるチャイムが虚ろに響いた。
「次は授業があるのだろう? それは預かっておこう。帰りに取りに来なさい」
有無を言わせぬ口調と屈辱感に打ちのめされて、もはや抵抗する気力は残っていなかった。
差し出されたごつい手の上に、夕実は震えながら握り締めていたものを放した。

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質問にやって来た生徒達の相手を終え、夕実が担当するその日の全ての授業が終わった。すぐに講師室に戻って業務報告と勤務表を書き上げねばならなかった。ロッカーに寄って上着を羽織り、胸の前にしっかりとノートと出欠簿を抱えて講師室に戻ると、いちばん奥の窓際で平野はそ知らぬ顔で書類をチェックしていた。
他人がいなくなったときを見計らって、夕実は平野の前に立った。上着を羽織っていてもブラジャーをしていない胸を見透かされているようで、自然と肩が寄って背が丸まった。
勤務表を差し出すと顔を上げた平野が眩しいものを見るように目を細めた。
「あの……」
「もう終わりか? 今日は。ご苦労さん」
業務報告を傍らの書類箱に放り込むと、差し出した勤務表に目もくれず平野は盲判を押した。

「あの…」
消え入りそうになる夕実の声を掻き消すように、廊下のドアが大きな音を立て数人の講師が入って来た。
「さっきの話ですが……」
夕実がその方向を振り返って先を言い澱んでいると、状況を察した平野は我が意を得たりとばかりにほくそえんだ。いつになく素早く立ち上がった平野は、傍らの会議室のドアを開け、扉の札を“使用中”に裏返した。

「なんだ? どうした?」
背後でドアが乾いた音を立てて閉まると、平野の腕が軽く夕実の肩を抱くように廻されて、一見ぞんざいだが、異様に親身な口調が夕実にねっとりと絡みついた。
「さっきの…話ですけれど……。実は…正確でないところがあって、それを訂正させてください……」
「どういうことだ?」
夕実は平野の胸に倒れこむように深々と頭を下げた。
「すいません。…本当は佐々川君に無理やりされたんじゃなくて……、わたしが誘ったんです……」
わざとらしく平野は大仰に驚いた。
「…彼はここじゃ拙いよって言ったのに、わたしが……頼んだんです。だから…彼に責任はないんです」

「だから…、だから彼に対する処分は…わたしが受けるべきものだと…思います」
平野はじっくりと遠慮なく間近から夕実を眺めた。
ブラジャーをしていなくてもブラウスの膨らみははっきりと量感があった。その頂点、胸飾りの狭間に薄っすらと透けて見える夕実の乳首に平野の目は釘付けになった。
「ほう。誘ったのは君だから、佐々川を罰する必要はないということか?」
「はい。そうです」
やけに潔い口調が二人の間に不自然さを際立たせた。
「とても信じられないな。君のような子が自分からそんなことをするなんて」
自分でもわざとらしいと思うほど真面目な口調に平野は笑いを抑えるのに一苦労した。
「本当なんです!」
「ははは。いいんだよ。佐々川を庇わなくても。君はとても魅力的だからな。無理やり強引にされたんだろう?」
夕実は首を左右に振り、大きな黒目を見開いて真正面から平野に訴えかけた。
「信じてください。本当なんです」

「そこまで言うなら訊くが……じゃあ、どうやって誘ったんだね?」
平野は内心ほくそえみながら軽い調子で夕実をそそのかした。
「そ、それは……」
「口ではなんとでも言えるからな……」
ここで怯んでは信じてもらえないとばかりに、生真面目な夕実はむきになって自らの行為を説明し始めた。
「ブラウスのボタンを外して……胸が…見えるようにして……」
「ブラジャーしてたら見えないだろ」
「そ、それは……彼と一緒に帰る日は、た、たいてい下着は着けていないから……」
話しているそばから夕実の顔が赤らんで言葉に詰まった。
「ほぉ。下着ってブラジャーだけかね?」
「せ、生理じゃないときは……下もです…」
「ほう。ノーブラにノーパンなのかね?」
視線を合わせようとしない夕実の目元は朱が差したように夕陽よりも赤く染まっていた。
「で? それからどうした?」
夕実はこくりと頷いた。
畳み掛けるように平野が先を促した。
「彼が…胸を触りやすいように…ボタンを全部外して、前を広げて…肩が剥き出しになるように……。そうすると犯してるみたいで彼がそそるって言うから……」
「それで?」
「……」
先を促すように平野は夕実の背に手を伸ばし、芳しく匂う躰を僅かに引き寄せた。
「彼の手首を掴んで……胸に押し当てた。それから…お乳を吸ってって言いました」
「乳首を吸わせたのか?」
小さく頷いた夕実の目の縁が薄っすらと滲んだ。
「それから?」
夕実が首を振って哀願した。
「も、もう……あとは想像の通りです。…許してください」
俯いた夕実を、平野は気持ち悪くなるほどの猫撫で声で諌めた。
「おいおい。君から申し出た話だぞ。途中で説明を放棄してどうする?」
夕実は唇を噛んだ。
「す、すいません」

「自分で…ス、スカートを捲り上げて……」
「どこまで?」
「お臍のあたり……」
「パンティは穿いていなかったのかね?」
「は、はい……」
平野は夕実の両手で掴めそうなウエストと、地味なスカートに包まれてはいるが張り切った腰に視線を這わせ目を細めた。
「彼はどうした?」
「わたしを…滅茶苦茶に犯したくなったって…スカートを…落とそうとするから、それはだめって……」
「素直に聞いてくれたのか?」
夕実は小刻みに首を振った。
「いえ…裸にされて…だから……他人が来たら困るから早くしてって……もう……わたしドロドロだったから……机に手を突いて、後からしてって……」
「自分から尻を突き出したのか?」
羞恥に苛まれながらも、諦めたように夕実は頷き続けた。
頷くたびに髪がふわりと輪になって、馨しい若い女の匂いが平野の鼻腔をくすぐった。
「尻を抱えられて、立ちバックで挿入されたのかな?」
夕実はとうとう両手で顔を覆ってしまった。
「はっはは。なんかエロ小説から抜書きしたようだぞ。即興でそこまで考えたのかい? 君、そっちほうも才能あるよ」

「嘘じゃないです…どうすれば…信じてもらえますか…」
情感や力に訴えるよりも、論理で押した方がこの子は動かしやすいと平野は見抜いていた。
答えを促すように平野の無骨な手が地味なベージュのジャケットに包まれた夕実の華奢な肩を軽く掴むと、その行為に初めて気付いたように夕実は視線を逸らし俯いた。
「そんなに……苛めないで下さい」
「苛めているわけじゃない。僕は君に、できるだけのことをしたいと考えている。実際今回の件には目を瞑るつもりだよ」
夕実は目を合わせないまま小さく頷いた。
「でも今の君の話は、昔の、非の打ち所のない君を知っている人間から見れば、ずいぶんと誇張があるように感ずるな。君にはできないよ。自分から脱いだり、スカート捲くったりなんて」
噴出しそうになるのを堪えながら、平野は誠実で信頼に溢れた声色で夕実を諭した。
――もう一押しだ。
「心配しなくていい。君のことは最大限配慮するよ。彼に対する思い遣りもある程度、考慮には入れておこう。それでいいかな?」
駄目押しは――。
「さぁ、今日はもう帰りなさい」
平野はどうしていいかわからない夕実を置いて、入ってきたドアへ身体を向けた。
話は全て終わったとばかりに、勿体をつけてゆっくりと最初の一歩を踏み出す――。

「待って…下さい……」
平野の腕にすがりつくように夕実がその動きを押し留めた。
殊更ゆっくりと振り返ると、夕実が腕から引き抜いたジャケットを丁度そばの椅子の背に置いたところだった。
直立した夕実のこわばった顔。ほっそりとした躰つき。訴えかけるような大きな目。
唇が震えたままブラウスの胸飾りが投げ遣りにほどかれた。
白いブラウスの胸元に置かれた指先が滑り降りるにつれて真っ白な肌が平野の眼前に晒された。襟を広げ、ブラウスが肩から半分落ちると、見事に張り切った二つの乳房が平野の正面で震えていた。
動きはそれで留まらなかった。
両手がすっと腰に伸びると、きれいに揃えた足元に紺色のスカートが輪になって落ち、流れるような動作で白い小さなパンティが手早く膝まで引き下ろされた。
平野の目の前に、すらりと伸びた久野夕実の生白い肢体が匂い立つように息づいていた。
「こ、これでも…信じてくれませんか?」
たっぷりと量感を湛えたまま水平に突き出た乳房の先端で、肌の色に融けそうな乳暈がふっくらと膨らんで薄いピンク色の乳首を縁取っていた。
潤んだ黒目が真正面から平野を見詰め、訴えかける口調の語尾が震えた。

確率的には低いだろうが、あわよくばと心のどこかで期待していた光景が目の前に晒されて、平野は思わず我を失いそうになる衝動に突き上げられた。
抜けるような白と乳暈の僅かに赤みが差した淡い色彩の対比は目を捕らえて離さなかった。
平野は目の前に晒された乳房に、丸みを帯びた腰に思わず伸びそうになる手を必死に押し留めた。唇を噛んで恨みがましい目を向けながらも、久野夕実は律儀に乳房を晒し、びっくりするほど淡い陰毛が疎らに生えた下腹を晒し続けた。
「これなら…わたしが誘ったって、信じてくれるでしょう?」
平野はゆっくりと首を振った。
「そんな…泣きそうな顔をして誘ったのか?」

――このまま衝動のままに抱き寄せて押し倒したら……この子はどういう反応を示すだろう?
処女ではないから抵抗はそれほどではないだろう……。押し倒してちょっと因果を含めれば、頭のいい子だから抗いはしないだろう……。
だが……。
力で屈服させることは簡単だが……後々発覚したら今度こそ終わりかもしれない……し、彼女に今辞められても困る。彼女は今や業績を左右する優秀な駒の一つだから、まだまだ務めてもらわねばならない……し、それにしてもこの躰…、いい女だ…一度だけで済ますのは勿体なさ過ぎる……。

「君の裸はとても魅力的だが、さっきの説明だと脱いだだけじゃなくて、誘惑したんだろ?」
平野は震え慄く夕実の裸身を勤めて冷静に、かつ威圧的に真正面から見据えた。
「だって…ここじゃ…。他人が来たら…誰かに見られたら…困ります」
その言葉が終わりきらないうちに、背後のドアがノックされた。
平野が慌てて返事をするのとドアノブが軽く軋みながら回転し始めたのが同時だった。
「あのう…」
平野はつま先でドアが開かないように押さえ、僅かな隙間に巨大な身体を被せるようにして、いつもと同じ苛立った不機嫌な口調で応えた。
「なんだね? 使用中って文字が読めないのか? 君は」

扉の隙間には死んだ魚のような目をしたアルバイト講師がぼぉっと突っ立っていた。
あまりの反応の鈍さに苛立った。
「なんだね?」
あまりのタイミングの悪さ、忌々しさに度突いてやりたくなるが口調だけに押し留めた。
「あ、す、すいません…勤務表に…判子……」
「ああ、今行く」
叩きつけるようにドアを閉めると、ドアの向こう側でアルバイトが飛び上がった。
振り返ると久野夕実は、ほんの数十秒前の情態が嘘のようにきっちりと上着まで着込んで直立していた。
落胆の素振りを見せぬように、心の中で大きく舌打ちした。
「出ようか。すぐ終わる」
一瞬合った目線がすぐに逸れた。
目元を赤く染めた夕実は無言のまま微かに頷いた。

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北風がアスファルトに落ちた枯れ葉をからからと舞い上げていた。
久野夕実の腕を引くと、一瞬咎めるような目を向けたが素直に寄り添ってきた。
小声で囁くように耳元に語り掛けた。
「さぁ、続きはどこでしようか?」
夕実は無言のまま下を向いて歩いていた。
「どこか…部屋を取ろうか?」
街灯に浮かび上がった整った横顔に話しかけると、夕実はそこに平野がいることに初めて気付いたように驚きの表情を浮かべ、小さく首を振った。
「ホテルは…いやです」
すぐ脇を市営バスが冷たい空気を攪拌しながら轟音と共に走り抜けた。
「うちに来るか?」
立ち止まった夕実が怒ったようなきつい目を向けた。
「奥さん…いらっしゃるんでしょう?」
平野は自嘲を込めて薄く笑った。
「いろいろ訳ありでね。今は一人身なんだ」
夕実の顔がはっと緊張し、自戒の念が浮き出るように広がった。
「す、すいません。余計なこと聞いちゃって」
馬鹿馬鹿しいほど生真面目な夕実の感情の流れが手に取るようにわかった気がした。
「外じゃ寒いぞ」
すかさず腰に手を廻し、きついカーブを描くウエストと肉の付いた腰の落差を愉しんだ。
夕実はうなだれたまま、諦めたように再び歩きはじめた。

地下鉄の駅の手前にひときわ明るく照明とネオンの群れが輝いていた。
見上げた夜空に高層ビルの灯りが滝のように連なって青闇に映えていた。
腰に廻した腕を持ち替えるように夕実が腕を絡めてきた。その接合部に圧力が掛り身体を引かれた。
「こっち……」
二人は雪崩れ落ちる滝壺の真昼のような光の渦に向かっていった。
背後で自動ドアが閉まると、聴覚が復活したかのように艶やかな模様を描く緑色の大理石を踏む靴音が虚ろに響いた。

週始めの平日のせいか人は少なかった。エレベーターのボタンを押すとすぐに空っぽの箱が不釣合いな二人を迎い入れた。夕実の指先が30Fのボタンに軽く触れると方形の密室は最上階に向けて急加速を始めた。シャフトを駆け上がる箱が巻き起こす風が唸りを上げて、無言の二人を圧した。3段階で制動がかかり、いつの間にか唸りは止んでいた。
軽やかな電子音と共に扉が開いた。

夕実は正面に広がるレストラン街には目もくれず、訝しげに目で問いかける平野を完璧に無視して反対側の窓側に歩いた。正面の壁一面のガラスから、手の届きそうな距離に隣のビルの照明がいっぱいに迫っていた。そんな光景に目もくれず、夕実は傍らの30と大きな数字が描かれた鉄のドアを押し開いた。
平野はおとなしく先に立って鉄製の階段を降りはじめた夕実の後に従った。
澱んだ空気の中に真新しいビニールの臭いに混じって夕実の甘酸っぱい匂いが芳しく香り、カンカンと規則的に鳴る靴音に平野の意識の一点が熱く尖りはじめた。

29と描かれた扉を抜けるとその先は薄暗く静まり返っていた。エレベーターホールの部分に当たる左側はすぐに壁で塞がれていて、隙間から光とBGMが漏れていた。光は遮られていたが、空調は効いているようで汗ばむほどに暖かだった。正面は……平野は慣れない闇に目を凝らした。……改装中のレストランか……壁や天井の下地が剥き出しになって、あたり一面にボードや角材などの資材が山積みになっていた。その間を縫うように夕実は窓側に歩いた。30階と同じ光景がそこにあった。光の背景にサッシが十字架のように影になっていた。

その十字架を背にして、久野夕実がゆっくりと振り向いた。
回り込んだ隣のビルの照明に全身がほのかに染まり、真正面に大きな黒目が潤んで見えた。
「ここで…いいですか?」
消え入りそうな声とともに、夕実は額にかかった髪を無造作にかき上げた。
「続きをすれば……わたしから誘ったって信じてくれますね?」
薄っすらと涙を浮かべたように見える顔に半ば見蕩れ、半ば強要しながら、平野は重々しく威厳を持って頷いた。
「ああ。約束しよう」

傍らの手摺に、脱いだ衣服が少しずつ積み重ねられて、夕実の裸身が露わになった。
白い肌自体が柔らかに発光しているような滑らかさと、醸し出される瑞々しい女の匂いに平野は釘付けになっていた。
生まれたままの姿になった夕実が誘うように少し足を広げると、背後から差し込んだ光がさっきは陰になっていた陰裂の細やかな複雑さを精緻に描き出した。
早鐘を打つように鳴る心臓と、喉から突き上げる衝動を無理やり押さえつけて平野は先を促した。
「さぁ、さっきの続きだ。どう誘ったんだ?」
「わたしから誘ったんだから、佐々川君に責任はないですよね?」
「君が彼を誘惑して、思い通りにしたというならそう考えてもいいだろう……」
夕実のか細い手が無骨な平野の手首を掴み、ゆっくりと自らの胸にあてがった。
手の平に吸い付くような温かさと、柔らかな乳暈と豆のような乳首の感触が伝わった。強い弾力を持った固い乳房だった。
夕実の顔が苦渋に歪んで、切ない声が小さく開いた唇から殺風景な静寂に零れ落ちた。
「お乳を…お乳を吸って……」

平野は片手で右の乳房を揉みしだきながら、目の前に突き出されたもう片方の乳首をたっぷりと口に含んだ。胸の谷間から立ち上る甘酸っぱいヴァニラの香りが広がった。口の中で膨れ上がる固さを思う存分に愉しみながら、背後に廻した手で夕実の豊かに張り切った尻を撫で上げた。
唇を噛んだ夕実の喉から微かな嗚咽が漏れた。
背を仰け反らせて逃れようとする夕実を押えつけて、更に乳首に歯を立てる。
「も、もう……許して…。それ以上は……」
口では抗いながらも夕実の躰は十分に反応していた。
乳首は完璧な硬さをもって鋭く尖り、股に伸ばした指先は既に熱く潤った陰裂を確かめていた。陰唇に指先を埋め、溢れ出す愛液を掻き出すように前後に動かすと、屈辱に顔を歪めた夕実は両手で顔を覆い隠した。
「よく濡れるマンコじゃないか。どうだ? 気持ちいいか?」
追い討ちをかけるように平野はこりこりに勃起したクリトリスを擦り続けた。
「はい…気持ちいいけど…気持ちいいけど…」
がくがくと腰を震わせながらも夕実は平野の愛撫から逃れようと必死に身を捩った。

もちろん、稚拙で、か弱い女の抵抗なんか許しはしない。
手の平でクリトリスを抉りながら人差し指、中指、薬指を一つにまとめて熱く濡れた女の膣に押し込んだ。きつく顔を覆った指の隙間から嗚咽を漏らしながら夕実は狂ったように首を振り続けた。
「おねがい…やめて……。もう…許して……」
その哀願を無視して、滑らかな太腿を押し開き、ざらついた膣壁を抉りながら指先を猛烈な勢いで突き捲くる。
「いやぁああああ」
か細い喉を震わせて、冷たい人工光に照らし出された虚空に悲鳴のような声が迸った。

折れそうに細いウエストに手を廻し、夕実の躰を引き寄せながら、平野はゆっくりと顎に手を伸ばして夕実の顔を正面に向けさせた。
「どうした? もうおしまいか?」
「……佐々川君を助けてくれる?」
たっぷりと湛えた涙が今にも目尻を乗り越えそうに、安っぽい照明の光にきらきらと輝いた。
「それはおまえ次第だ」
今時の女子大生にしてはあまりにも初心な反応に、平野は既にはち切れんばかりにいきり立っていた。
「望み通りにするから……先生も約束して」
すがるような視線に、平野は小さく肯いた。

するりと腕からすり抜けた夕実が手摺を抱え込むようにして背を向けた。
振り向いた目が挑戦的に光り、豊満な尻が平野の目の前に突き出された。釘付けになった視線を煽り立てるように太股が徐々に広がって、染みひとつない真っ白な尻の中心に小さく窄まった肛門が優しく色づいていた。
肌の色と変わらない会陰の白さに目を見張った。その白さは陰毛一つない陰唇に続いて、夜目にも淡く染まってはみ出した小陰唇がたっぷりと蜜を含んで濡れていた。
「お尻あげるから……後ろからして」
夕実の声が屈辱に震えた。
平野はひときわ持ち上がった尻に無我夢中でむしゃぶりついた。

平野は先端を夕実の陰唇にめり込ませ、もてあそぶようにクリトリスから肛門までを往復させた。とろとろの分泌液をまとった先端が道を隔てた照明の光にてらてらと輝いた。
動かすにつれ、窄まったり広がったりする肛門を眺め、熱さに蕩ける先端の感触を存分に楽しんだ。
「ほら…次はどうするんだ」
手を伸ばして、たわんだ乳房を真下から掴み上げた。
「…入…れて……ください」
嗚咽に混じって細い声が夜の静寂に染み込んだ。
夕実の喘ぎがひときわ高くなった瞬間を逃さずに、いきり立ったものを水平に突き刺した。くびれたウエストが反り返って長い悲鳴が虚空に音を引いた。跳ね上がる尻を両腕でがっしりと抱え、根元までねじ込んだもので夕実の内部をじっくりと味わいはじめた。
「よく締まるマンコじゃないか」
柔軟に包まれる熱さと小刻みな律動に我を忘れそうになるのを必死に押しとどめねばならなかった。
「気持ち良いか? こうするとどうだ?」
太股を抱え上げ、尻の重みすべてをいきり立った男根に落とし込む。
殺しても殺しても漏れる悲鳴のような喘ぎが接合部から湧き上がるグチャグチャと卑猥な音に入り混じり、先端が熱く溶けはじめた。
「…も、もう……」
締め付ける力に、ピストンとは違う動きが加わって、ねじるように尻が突き上げられた。
「ああ…もう出しそうだ。中出してもいいか?」
切なそうな喘ぎの隙間にかろうじて言葉が漏れた。
「…そ、それは…許して…下さい」
聞こえなかったように更に深奥を抉り、抱えた尻を締め付けた。
「ちゃんと…く、口でします。だから、それだけは許して」
逃れようとした尻が左右に振られたが、平野の締め付けはびくともしなかった。
「いや、いや。やめて…。許して。口で…飲むから…顔に…掛けてもいいから、それは……」

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挿絵86

『空の青 11月(3)』

未練がたっぷりと残っていた。
舌と口全体を使った生真面目で誠実な愛撫のあまりの快感に、あっけなく放出してしまった自分が滑稽に思えた。目元から頬に掛かった精液がどろりと流れ、唇を白く濡らしながら、女はあまりの早さに驚いたように笑みさえ浮かべていた。
使い古したモニターのようにあの夜の光景が脳裏にこびりついて消えなかった。
勤務表を書いているのだろう。
遠く離れた席で背を向けて、一心不乱にものを書いている久野夕実のほっそりとした背中が目立って仕方がなかった。
滑らかな白い肌。細いウエスト。その下のびっくりするほど肉の付いた尻。
夕実を見るたびにその裸身を思い返し、その気も狂わんばかりに興奮をそそる肉体を蹂躙した快感が手に取るように甦った。
その感覚が忘れられなくて何度か呼び止めてはみたが、その度に誤謬一つない理由を持ち出されて、平野の目論見はあっけなく、そして巧妙に退けられていた。
だが……。
もう、そろそろいいだろう。昨日の経営会議でクレームの件はすべて処理が終わった。
約束通り、いや、約束以上の成果を得るべく、彼女の望んだかたちに上部を説き伏せたつもりだ。
ちらりとこちらをうかがった夕実が立ち上がった。
勤務表を胸にまっすぐに歩き出したのを見て、平野はメモを引き寄せた。
「クレームの件で結論が出た。土曜日、pm 1:00に来るように」
机の正面に立った彼女に自宅に呼びつけるメモを差し出すと、その大きな黒目は一切の感情を湛えずに黙って書かれた文字を追った。
袖口から出た華奢な指先が机を這って、メモを二つに折り畳んだ。
「判子、お願いします」
メモの代わりに差し出された勤務表に、平野は合意が成立したかのように三文判を押した。

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時間通りにインターホンが鳴って、平野は小さく驚いた。
ゆっくりと立ち上がって玄関のスチールドアを開くと、凍りつきそうな冷気とともに久野夕実の青褪めた顔があった。
濃いグレーのコートから、無造作に柔らかなパステル・オレンジのマフラーがはみ出していた。来ない可能性もあると踏んでいたから、目の前に夕実の顔を見てもまだ平野は半信半疑だった。
夕実の視線が僅かに逸れて、小さく頭を下げた。
開け放しのドアから凍えるような冷気を真正面に浴びて、平野はようやく我に返った。

「お邪魔します」と言って、脱いだ靴を揃えて向きを変えた夕実の一挙一動を新鮮な目で眺めた。それでも、脱いだコートとマフラーを腕に抱えた夕実を部屋に通した頃には、再び、頭が空っぽになっていた。
「ああ…コートはそのへんに……」
傍らの椅子の背を指し示しながらも、平野は夕実に見蕩れていた。
片頬にエアコンの暖気が吹き付けて、その忌々しさに舌打ちした。
「適当に……」
座って…と言おうとしたが、言葉が途中で掠れてしまった。
――何をこんな小娘に…緊張しているのだろうか? 自分で自分が可笑しくてたまらなかったが、心臓の音が聞こえそうなほど早鐘を打っていた。
長椅子にきっちりと膝を揃えて座った夕実が眩しくて正視できなかった。
ぴっちりとしたきつめのズボンから出たマフラーとお揃いの靴下が薄汚い床にやけに映えて見えた。
「お…茶を入れよう」

窓の外を鈍い振動が右から左へ走り抜けていった。
「すぐそこに線路があるんだ。防音サッシらしいけど…こんなもんだよ」
カップを置いた夕実は硬い表情でガラスいっぱいに迫る灰白色のコンクリート橋脚を眺めた。
「クレームの件は昨日の会議で上に…上手く報告しておいた。君と…佐々川への処分も…特にないはずだ。百合ちゃんの方も僕の方から父兄に説明して了承は得ておいた」
「そうですか。ありがとうございます」
膝に手を揃えて、きちんと頭を下げる夕実を珍しいものでも見るように平野は眺めていた。
「百合ちゃんを…特待生に推薦しておいたから……。金の問題も一切心配しなくていいよ」
恩着せがましさが微妙に含まれた会話に深く頭を下げながらも、安堵と緊張が入り混じった夕実の顔は複雑に表情を変えた。
微かに眉をしかめながら逡巡する顔色が、むしゃぶりつきたくなるぐらい魅力的だった。
「そ、それは…たいへんありがたいですけれど……、純粋に好意として受け取るだけではバランスが……とれないですよね……」
ほんの一瞬だけ真意を探るような視線が平野に向けられて、すぐに逃げるように逸れた。心なしか目元が染まって見えた。
「察しがいいな……。今どき、10まで説明しても5までしか理解できない連中ばかりなのに、君は5まで言えば10まで理解してくれるから、とても助かるよ」
困ったような笑顔と泣き出しそうな顔が曖昧に同居していた。
「それは……許してもらえませんか」
膝を掴んだ手先が緊張に震えていた。

「もう一度やらせろよ」
「そ、それは…困ります」
「君だって、あの日はまんざらでもなかったろう? 立ちバックで尻を突き上げながら、いい声で啼いていたじゃないか」
「そ、それは……」
顔を真っ赤に染めて俯いた夕実の姿態に押さえ付けていたものがぷっつりと切れた。
飛び掛るように抱きすくめ、長椅子の背に押し付ける。
顔を背けたせいで剥き出しになった白い首筋に食らい付く。
夕実は躰を捩って逃れようと抗うが、胸元に差し入れた手に力を込めて乱暴にシャツをはだけるとボタンがプチプチと音を立てて弾け飛んだ。
「こんなところまでノコノコやって来たんだ。君のことだから当然、覚悟して来たんだろ?」
力任せにブラジャーをずらし、ぷるんとはみ出した乳房を無遠慮に掴み上げる。
「いい躰してるじゃないか。こんなに乳が大きいとは思わなかった」
抵抗する隙を与えずにシャツの前を引きちぎり、下半身を脱がしに掛かる。尻に手を差し込んで、下着もろともズボンを一気に膝まで引き下ろす。
堅く閉じた膝をこじ開けて、逃れられないように足の間に膝を入れる。腕で膝を抱え上げ、足に絡まった最後の下着をむしりとると、夕実の躰を隠すものはもう何もなかった。
夕実は尚も身を捩ろうと抗うが、四肢を押さえつけられて、もう為すすべがない。
絶望的な表情を浮かべた夕実は強く顔を背けることしかできなかった。
平野は夢にまで現れた夕実の温かく弾む肢体にむしゃぶりついた。

「そうやって…松崎先生を強姦したの?」
燃えるような黒い目が真下から見上げていた。
突き刺さるような視線に平野は柄にもなくたじろいだ。
一瞬、言葉に窮したが、すぐに惚けて態勢を立て直した。
「松崎? 誰だい?」
「惚けたってだめ。同僚の数学の先生。おとなしくて、みんな羨むくらい美人だった……。盛んにちょっかい出して、影響力を行使していたじゃないですか」
「……」
「4人で寄ってたかって、強姦したんですか?」
「ば、馬鹿な…、滅多なことを言うなよ」
夕実の目が挑むようにきらきら輝いて、含むような笑みが漏れた。
「見つけましたよ……」
あまりにも冷ややかな物言いに、気勢がそがれた。
「前から疑問に思っていたんですけど、夏休みでもないのに…学校辞めちゃったのかなって。去年、8月の官報に載ってました……」
口調は凍るように冷たかったが、身体の下に押さえつけた夕実は燃えるような目で見上げていた。
「平野先生以下…取り巻きのグループ3人が懲戒免職で…、教頭と校長まで減給処分っていうのは管理責任を取らされたってことでしょう? おまけに、黒田校長は翼3月に定年なのに、直前に依願退職までしてるし、教頭は県北の高校に飛ばされて……」
真っ白に輝いて釣鐘のように盛り上がった乳房を前に、平野は呆然と固まっていた。
「松崎先生に酷いことしたでしょ?」

畳み掛けるように夕実は饒舌になった。
「松崎先生、そんなに交友範囲が広い人じゃないし、人並み以上に警戒心だって強いし、よっぽどのことがない限り自分から危ないところに近づく人じゃない。それなのにそんな目にあったってことは、やっぱり職場でしょ? その中で、そんな酷いことできるのって課長くらいでしょ? 真面目な人だし、羽目を外すような人じゃないし、もちろん好きでもない人に躰を許すような人でもないし、どうやって誘い出したんですか? 立木先生を囮にしたとか? ……最低ですよね」
氷のように冷たい顔のなかで、大きな目だけがきらきらと輝いて平野の罪状を告発していた。
「クビになって、どうやって今度は塾に潜り込んだんですか? 塾の上の人たち、それを知ってるんですか? そういう前歴あったら今のご時世、怖くて雇えないですよね」
猫が身をかわすように、いつの間にか押さえ付けていたはずの夕実は身体の下にいなかった。しなやかに身を起こした夕実は軽く髪を振り払い、平野の存在を完璧に無視するかのように裸身を隠しもせずに正面に向き直った。
均整のとれた躰の上で、微かに冷たく笑った顔は透き通るように白かった。
「そろそろ受験も本番でわたし達の出番は終わりだし…切りもいいことだし、わたし…今年いっぱいで辞めます。そうだ……佐々川君のタイムテーブル、元に戻してあげてくださいね。ツマラナイ嫌がらせしてないで、彼に頑張ってもらわないと業績落ちますよ?」
唖然として二の句が告げない平野を前に、夕実は淡々とした口調で付け加えながら、躰を伸ばして肌に付いた埃を払い落とすと、散乱した衣服をゆっくりと掻き集めて身に着けはじめた。
輝くような白い裸身が元通りに布地に覆われて、灯りが消えたように部屋が灰色に色褪せた。弾け取れたシャツのボタンを床から拾い上げた夕実はすくっと立ち上がった。
「じゃぁ、これで。失礼します」
来たときと同じように小さく頭を下げ、扉を開けて出て行く夕実を平野は悄然と見送った。

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道は上り坂になり、古い住宅街の板塀が連なって細くくねった。
かかったトルクに呼応して微かにエンジンの音が躰の底から伝わった。
サンルーフから覗く空は晴れと曇りの間で曖昧に悩んでいるように見えた。
フロントガラスの向こうで、ときおり斜めに傾いだ弱々しい日差しが凍てついた空気を霞のように柔らかに暈していた。
「昨日はずいぶん遅かったんだね」
眼鏡の奥の目は目標を精確にトレースして、軽く添えられた片手が最小限の動きでハンドルを捌いていた。
「あ、うん……。終わってから、課長…平野先生に……いろいろ……」
佐々川雅明の眉毛が僅かにしかめられた。
「やっぱり、……辞めちゃうんだ」
「そろそろ潮時かなって。来年…学部にいったらキツイと思うし」

「そっか。夕実ちゃんの授業は評判いいし、人気あるのに勿体ないなぁ。オレには嫌味とお小言しか言わない平野がガックリきて憮然としてるじゃない? 最近」
「そおお?」
「そのせいかどうかは知らないけど、オレの時間割だいぶ動くみたい。後でいいから希望出せって言われたよ。珍しい。いったいどういう風の吹き回しなんだ……」
佐々川の頬がようやく緩んだ。
――そう。それでいい。それしかこの街で生きていく方策はないはず。
平野が約束を守ることを予感して、夕実は佐々川にわからないように心のなかで嘆息した。
「悪役も飽きたか、改心したんじゃない?」
佐々川の表情が曇った。
「あいつは……、そんなに善い人間じゃないよ。むしろ危険といってもいい」
佐々川が平野を快く思っていない理由を正確に理解していたわけではないが、夕実自身はその言葉を実感として率直に受け入れていた。思い返したくもない記憶が脳裏に刻まれてしまったが、それでも、彼のためにはなったはずと自分に言い聞かせた。
――本当にそうだろうか?
賢さの欠片もない自己犠牲であればあるほど、心の奥底に沈殿して、乾いてこびりついていた重み、あるいは残滓みたいな重荷がこそげて剥がれていくような気がした。
それが例え純粋な彼の好意だとしても、バランスがとれていない異質なまでの苛々感が今はすっきりと明瞭に解消したような気がした。夕実は曇りがとれて、気持ち悪いほど透き通った硬質で冷たい空気をひたすら心地良く感じていた。
ゆっくりと滑るように寄せられた車は音もなく停止した。
ドアを開け、アスファルトに降り立つと靴が乾いた音を立てた。
さっきまで薄っすらと灰白色の幕に覆われていた空はすっかり透明な青さを取り戻していた。

『空の青 11−3』(続く)

作成日:2008/11/23 最終更新日:2008/11/24

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