空の青 8月(3)

最初に微かな違和感を感じ取ったのは、週中の水曜日だった。夏休みの予定を訊こうと智美に出したメールがエラーになって返送されてきたからだ。
「User Unknown」
メールサーバーの自動返信メールが極めて端的に理由を告げていた。
大方、プロバイダの認証サーバーが落ちているのだろうと大して気にも留めず、同じメールを再送してその日は寝た。
翌日、バイトから戻って昨夜の再送メールが再びエラーで返送されているのを見つけ、さすがにおかしいと感じた。
時刻は既に深夜。取敢えず携帯にメールを入れる。
「エラー」
かたちのつかめないもどかしさを感じつつ、躊躇いなく自宅に電話を入れた。
「お掛けになった電話番号は現在使われておりません。もう一度……」
人を小馬鹿にしたような人工音声が聞こえたとき、木南寛は初めて狼狽した。
「……」
いてもたってもいられなくなって車を走らせた。
ほんの10分。
いつもなら明かりが灯っているはずの最上階の片隅が真っ暗なことは、乏しい情報から予想した最悪のケースであることを裏付けていた。エントランス前に車を乗り捨てて、オートロックのインターホンを叩く。無情にも反応はない。
住人が訝しげな表情で通り過ぎていく。メールボックスのあるべき場所に、ついこの間まで“松崎”と素っ気無く書かれていたはずのプレートがない。目の前が真っ暗になって頭を振った。駐車場に廻って彼女の車が置かれているはずの場所を探す。彼女の黒い小型車が停められているはずの区画に、巷に溢れる白いワンボックス・カーを見出して、わかっているはずなのに膝が抜けそうになった。
ちょうど駐車場に出てきた住民が開けたドアが閉まりきる前にドアノブを掴んだ。閉まってしまえば外からは開かない。廊下をエレベーターホールに戻って14階のボタンを押す。いつもの3倍くらいの時間が掛かった気がするエレベーターを降りて、廊下を走る。いちばん奥の突き当たり。何も書かれていない表札を前にして、無駄なあがきと知りつつも寛はインターホンをいつまでも鳴らし続けた。

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推測と反芻。
週末に彼女の示した一つ一つの行動が初めて明解な意味を持って寛の頭に甦った。
何故気がつかなかったのか! 自分の愚かさを呪う以外に底無しの後悔から逃れる術はなかった。過去の記憶を正確に再トレースし、ありとあらゆるケーススタディを繰り返し、ほとんど眠れないまま白々と夜が明けた。
無駄だとは思ったが、智美の勤務先であるかつての母校へ向かった。あの日、佐竹の家の門を出たときと同じ夏の陽が青白く道路に照りつけていた。高校は当然夏休みだが補習をやっているかもしれないし、運動部は活動しているだろうから誰かいるはずだ。知っている顧問の先生の一人くらいはいるだろう。地下鉄で市内を縦断しエアコンの効いた穴倉から地上に出ると圧倒的なまでの光量に視神経が焼き付いた。追っても追っても追いつけない逃げ水が空を映して青く輝く。堪らなくなって逃げるように近道をとった。

商店街の中ほどにある小さな寂れた公園に入り込む。木立の奥に時間にして5,6分の短縮効果が見込めるショートカットの抜け道がある。高校の正門はお世辞にも通学者の利便を考えたという位置にはない。おまけに砂塵対策を兼ねた高さ10mはある防球ネットでぐるりと囲まれていたから、道路からちょいと塀を乗り越えるというわけにもいかないが、公園に面した部分だけは校舎の裏手に当たり背の低いフェンスで仕切られているだけだった。おまけに県が造った学校のフェンスと市立公園の柵が微妙にずれていて身体を横にすれば通り抜けられる隙間がある。更に境界に植えられた樹木がちょうどよい目隠しになっていて公園側からは見えないし、学校側もプールの裏手にあたり普段人が来るような場所ではない。おかげで在学中には散々お世話になったが、知っている者も極めて限られていたから、価値ある秘密の抜け道が大っぴらに広まることもなかった。

木立の中に入ると日差しが遮られて気温が一、二度、確実に下がった。身体を横にしてするりと隙間を抜ける。人気がないことを確認して、多少の後ろめたさと伴にプールのスタンドの陰を歩き出した。水泳部だろう。飛沫をあげる水音と掛け声が聞こえる。かつて、智美は水泳部の副顧問だったが、今年からはお役御免と話していたからプールを覗いても仕方がないだろう。1年半ぶりの母校の何も変わらない佇まいを確かめるように本校舎に向かった。

日陰を縫うように歩き、機械室の脇を通り過ぎたとき、出し抜けに背後から呼び止められて飛び上がった。
「困りますなぁ。無断で校内に入ってきちゃ。おまけに近道までして、不法侵入ですよ」
振り返るまでもなく声の主はわかった。
「もう……ビックリさせないでくださいよー。心臓止まるかと思った」
草色のトレーニングウェアに濃いグレーのシャツの品田は相変わらず引き締まった顔で半分笑っていた。
「ご無沙汰してます」
言う事がころころ変わる迎合的な教師の中にあって、一本芯が通って、無意味なことを無理強いしない品田は比較的生徒の信頼が厚かった体育教官だった。あの頃も3つ4つのクラブを掛け持ちで面倒見ていたから、今日も出勤だったのだろう。
「暑いすね、今日も」
「なんだ、お中元でも持ってきたか?」
「いや、あの……」
母校へ行って誰にどう切り出すべきか、まるで考えてもいなかったことに気づいた。
「松崎先生のことだろ?」
品田の顔が引き締まって、探るような視線が注がれた。
「まぁ、いい。こっち来い」
どう答えるべきか考えているうちに、品田が先にたって歩き出したのでその後に従った。
片手に下げたオレンジ色のバケツに抜き取られた雑草が束になっていた。
「草取りですか? 先生がわざわざ」
「おうよ」
品田は教官室の裏手に置かれたゴミ集積場に雑草を放り出すと、日陰になったコンクリートのたたきを目で指し示し、彼等の根城である教官室に入っていった。
たたきに座り込んで、手をつくとコンクリートの冷たい感触が伝わった。白茶けたグラウンドに散らばる色とりどりのユニフォームが俊敏に跳ねた。
「ここがいちばん涼しいんだ」
目の前に差し出されたスポーツドリンクをありがたく受け取った。
冷えた甘酸っぱさに人心地がついた。

「今年、校長が変わってな。まぁ、他にもいろいろ上の方から言ってきて随分変わったよ」
「黒田さんでしたっけ? 校長。転任?」
「定年。叩き上げで、話のわかる人だったんだけどな」
「あ〜、まぁ、変に偉ぶらない人でしたね」
「今度の校長は文科省の出向キャリアでさ……」
吹き抜ける風が心地良かった。品田がテニスコートで舞う女子の白いウェアを目で追った。
「テニス、やってんのか?」
寛はゆっくりと首を振った。
「仕送りだけじゃ食っていけないから、腹が減る要素はしばらく厳禁」
「あぁ、そうか。引っ越したんだっけか。あの子はどうした? 同じ大学だろ。秀才の子」
夕実のことを指していることはすぐにわかったが、話の転がり方に戸惑った。
「上手に隠してるつもりでも、俺の目は誤魔化せないよ」
ラケットが振り抜かれると濃いヴァーミリオンのボールが二次曲線を描いた。
「もうずいぶん前になるな。夏休みか? 夜中にプールで泳いでただろ。二人して素っ裸で。よっぽどとっ捕まえて絞ってやろうと思ったけど、どうせお前が強引に誘ったんだろ? 真面目な彼女が恥ずかしい思いをするんじゃ可哀想だからな」
目が点になった。
「げ」
「背中にも眼つけとけよ」
品田が乾いた笑い声をあげた。

「松崎さんは辞めたよ、先月いっぱいで。もっとも最後の一月は有給消化してたから挨拶したのはもう一月前かな。俺も知ったの直前だったから驚いた。上には春先には話をしていたようだけど」
あまりにも予想通りの答え。寛は可能な限り事務的な口調で訊いた。
「理由はなんだったんですか?」
「結婚」
一瞬目の前が暗くなったが、すぐにそんなはずはないと思い直す。いくらなんでもそういう話なら何らかの兆候があったはずだ。それを見落とすほど間抜けではないつもりだ。
「休職じゃなくて退職。今時一度手に入れた教職を手放す人間なんて普通いないけどな」
「相手は?」
「さぁ。そこまで訊けるかよ。そういえば、結婚式がいつとか、そういう話は一切出なかったな」
「連絡先とか……」
品田は申し訳なさそうに首を振った。
「悪いな。そこまで気が廻らなかった。退職じゃ住所教えてとも言えないだろ。……う〜ん、手当ての関係があるから県庁とかならわかるかもな」
「俺が訊きにいって教えてくれます?」
「そりゃ、オレが行っても無理だ」
「谷内さんとか、香川さんとか…女の先生だったら知らないですかね? 式に呼ばれてるとか……」
「う〜ん。みんなビックリしてたからなぁ。強いて言えば佐竹先生ぐらいじゃないか? そういう意味で松崎さんと近かったの……。佐竹さんも退職したけどな、今年の春で」
それは知っている……というか、やはり佐竹が一枚噛んでいると考えるのが妥当だろう。
あの日のことがまざまざと脳裏に甦った。

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結局、たいした情報は得られずに引き下がるより他になかった。帰途、佐竹邸を再訪した。電話番号すらわからないからいきなりの訪問だったが、幸いなことに、先日、昼時になってようやく起きだした寛に食事の準備をしてくれた香津子さんという佐竹の妹に当たる人とばったり行き合った。智美との関係を大っぴらに話すことは躊躇われたので、佐竹に会いたい旨を告げたが、佐竹は現在旅行中で月末にならないと戻らないと言われ、率直に落胆した。おまけに行き先が不明で連絡も取れないと聞き、何らかの意図まで感じたが、消沈ぶりを見かねた彼女は親切にもわかったら連絡しましょうと言ってくれた。

取敢えず、今すぐできることは何もなくなった。市役所に行って住民票を取ったところで転居先が記載されている訳ではないし、ましてや既に移動していれば住民票そのものがないはずだ。もちろんただの未成年者である寛が公的には赤の他人の転出届を見れるわけはないから、公開情報から彼女を追う術はない。後は彼女の実家をあたるしかないか……。住所はわからないが、生まれ? 育った町は県南の県境に近い小さな町だ。通っていた町で唯一の県立高校は聞いて知っているし、彼女ほどの人ならば目立っただろうし、憶えている人間も多いに違いない。

他に彼女が行くところは思いつかない。そう思うと、実家に身を寄せたことが確実に思えてきた。今から行くか? まだ陽は明るいが、時刻は6時を廻っていた。この時間じゃ、2時間くらいはかかるかもしれない。夜の8時に訪ねてもお出迎えはセコムのセキュリティだろうと思い直した。車にガソリン入れなくちゃなと思い、持ち合わせがないことに気づいた。ATMを探しに歩き出して、その日初めて空腹を感じた。

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あの日から久野夕実は不思議な余韻に浸っていた。二年と半年ぶりに寛に抱かれ、押さえ込んでいた精神的な渇望と肉体的な欲望に一気に火がついたように燃え上がった。その火が熾火のようにいつまでも鎮まらなかった。単なる余韻ではなくて、躰の奥深い層がいつまでも奮え慄いて、微妙な快感がふとした拍子に小刻みに浮き上がり、気がつくと、細波のような悦びにいつの間にか放心している自分に気がついた。
おかげで、課題のレポートは一向に進まないし、バイトではつまらないミスを連発する有様だった。排卵期だからかな? 体の周期が頭を掠めたが、こんなことは寛と付き合って毎日のように触れ、抱かれていたころには一度もなかったことだった。

挿絵53-2

『空の青 8月(3)』

「今月いっぱいで行くことにしたから」
彼女から連絡があったとき、あぁ、決まったのだな、という予感はあったが、いざ、面と向かってそう言われると深い悲しみが伴った。松崎智美は小さく笑って「泣きたいのはわたし」と茶々を入れたが、夕実は笑えなかった。寛に再び受け入れられたことを正直に話すと彼女は自分のことのように喜んでくれた。盛んに聞きたがったから微に入り細に入り、顔から火が出そうなことまで話してしまったが、彼女は大きな目を見開いて、羨ましそうな表情を最後まで浮かべていた。
「来週末はわたしの番ね。これで最後だから我慢して」
夕実は素直に頷いた。
寛に会ったら喋ってしまいそうで、とてもじゃないが顔を合わせられない。
「いろいろごめんなさいね。あなたには負担をかけた。行き先を教えたらもっと負担になるから教えない」
夜風ががらんとしたルーフテラスを吹き抜けた。
「そうだ、これ。展覧会のチケット。あなたも出てるよ。よかったらどうぞ」
水色の封筒が白いテーブルの上に置かれた。言いたいことも訊きたいこともたくさんあるのに言葉が出てこなかった。
「そんな顔しないで……」
肩に暖かい感触がそっと触れたとき、夕実は松崎の胸に飛び込んだ。

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残りの週末を全部潰して、無理やり期末のレポートを仕上げた。寛が残した不思議な余韻に加え、松崎との余情が躰にひっそりと沈殿していた。感情の重みが耐え難く圧し掛かってきたから、せめて身軽な装いにしたかった。クローゼットを開けて、何も考えずに水色のワンピースを選ぶ。いつになく素直に決まった。胸元が開き気味だから、いつもはしないアクセサリなどもしてみる。鏡に向かって薄く口紅を塗る。髪を撫で付けると自然で爽やかな笑顔が目に入った。

慣れないことをするものだから、時間がぎりぎりだ。汗をかかない程度に早足で駅に歩く。ひんやりとエアコンが効いた地下に降りると、すっと感覚が鋭利に尖った。中心街まで4駅。12分ほどだが電車は朝のラッシュだ。自動放送の音声が終わると、轟音とともに電車が入線してきた。放っておいても後ろから押され開いた扉に身体が飲み込まれていく。バッグを胸の前で抱え前後左右を人の壁に囲まれて、レールから伝わる振動が身体を小刻みに揺すり始めた。不意に押し込めていた感覚が表層に浮き上がった。まぁ、いいか。誰も見ていないはず。夕実は目を瞑りしっとりと押し寄せてくる余韻に身を任せた。

隣の駅で更に人が乗ってきて、車両の奥に押し込まれた。密着度がずっと高まって身動きもできない。ドアが閉まったときの一瞬の静寂。意識が再び溶けていく。モーターが唸り加速度の反力で身体が後方に押し付けられる。尻に押し付けられたものが微妙な力を加え始めたことに気づくのにずいぶんと時間が掛かった。痴漢……? 動きが止む。偶然? 普段は着ないワンピースで生地が薄いから……。別のところから小刻みな快感が湧き上がる。寛に撫でられた感触を必死に思い出そうと集中する。外から内へ。すべるような感触が尻の割れ目に集中すると思わず足が広がってしまう。
下着が濡れてる……ハッと気づくと動きが止まった。触られてる? 自分の感覚が信用できなくなった。寄せては返す繰り返される動きの中で悦楽が浮遊し曖昧に溶け出した。胸を守っていた自分の腕が下着を通して乳首に当たった。
「あっ」
微かな声が喉から漏れてしまった。
後ろを振り向こうとしたとき、ドアが開いて怒涛のような流れとともにホームに押し出された。

火曜日。今期ラストの中国語が朝の一講目。これが終われば前期の語学は試験を残すのみ。ほっと一息だが、ちょっと格好良い中国人講師の脱線気味の教え方が好みだったので贔屓にしていただけに残念だった。他の講義もやっているなら後期も取ってみようかと考えていた。30人ほどの受講生のうち女性は一人だけ。あまり人気がない。
窓の外には青空が広がって、今日も暑くなりそうだ。ジーンズだと暑苦しいから今日もスカート。膝上の柔らかな黒か、鮮やかなレモンイエローにしようか迷ったが、浅葱色のノースリーブに合う黒にした。スリットが入ってちょっと大人っぽい。口紅だけ昨日よりも鮮やかなピンクにした。
昨日と同じ時間。
肌の露出部分が多いせいか、すれ違う人の視線が突き刺さる。ホームに並ぶと背後に強い視線を感じて思わず俯いてしまう。見られているという意識が気恥ずかしさと悦びを呼び起こす。
同じ電車の同じ位置。
頭の片隅が警報を鳴らしていたが、夕実の無意識はもはや寛にもたらされた余韻を封じ込める術を喪っていた。

昨日よりも確実に混んでいる。
エアコンは効いているが、濃密な人いきれが充満して気が遠くなりそうだ。その親密さが寛に抱かれている濃密さと温かさを思い起こさせた。周期的に頬を撫でる扇風機の涼風が夕実を夢見心地に誘った。汗ばんだ腕がすぐ隣の高級そうなスーツにべったりと触れてしまって申し訳ない。扉を閉めた圧搾空気が余った圧力を放出すると車内が完璧な静寂に包まれる。足元でモーターが唸り始めるとうなじに息がかかり、同時に背後に圧力を感じた。
ぴったりと密着した体温。
あぁ――。
昨日と同じ。触られている。
昨日よりははっきりと、意思を持った動き。
逃れようと動こうとしても加速度が逆方向に躰を押し付ける。それをまるで了解の印と誤解したかのように動きに大胆さが加わった。スカートのスリットを手先がくぐる。スリットの中央を留めるボタンを外されたら手を内側へ入れられてしまう。
行為を止めさせようと空いている左手を後ろに廻し、その手首を掴もうと勇気を奮ったが、逆に手首を強く掴まれて、背筋が反って顎が上がった。躊躇なくもうひとつの手がスリットをくぐり、剥き出しの太腿に生暖かい体温が触れて撫で上げた。
手の平が一通り素肌を撫で回すと次の目的地に向けて進み始める。あっさりとスリットのボタンが外されて動きの自由度が一気に増した。いつの間にか手首を掴まれた感触がなくなって、まるで恋人同士のように指が交互に合わさっている。指先が下着の上から尻を撫で、やがて股間に目標を定めた。
指先が熱く濡れた布地に気がついて狂喜してこすり始めた。
違う! 待ち望んでいたわけじゃない。誤解されまいと腰をねじるが身動きすらできない。
足を閉じ尻に力を込めてもこじ開けられる。いちばん敏感な部分を正確にトレースされて、屈辱と嫌悪、快楽と刹那が同時に湧き上がり、互いにゆるりと溶け合った。
予期できない動きが夕実の頑なさを突き崩した。
合わさった左手の指先に微妙な抑揚をつけて挟み込むように力が加わった。その周期が夕実の内底から湧き上がるさざ波とぴったり同期すると、抗う力が徐々に抜け背筋の緊張が緩んでしまう。
それを待ち構えていたように指先が更に持ち上がり、張り切った尻を覆うゴムの内側にもぐりこんだ。手の甲で下着を押し下げながら、尻の割れ目を辿る指先が更なる奥地を目指した。

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完全に夏休みムードが支配する厚生会館で昼食を摂り、午後の講義の前に図書館に本を返却しなければならなかった。信号は赤。ちらほらと人影はあるが、普段通学のバイクや車がひっきりなしに行きかう通りは閑散としていた。木陰に入ると朝の記憶が甦った。持て余していた余韻を更に煽られて、一時的とはいえ自分を見失ったことが何よりも屈辱的だった。予期できない手の動きに慄きながらも奮えた自分が恥ずかしかった。完全に誤解されたかもしれない……。

交差点の停止線で街から上ってきた車が停まった。人影が陽炎のように揺らめいて動き出した。
青だ。つられて横断歩道を渡る。
図書館の欅の大木の陰で何気に振り返って驚いた。
寛だ。
停まった車のフロントガラス……。あけみ。真っ赤な服。白い胸元。ゆるく流れた黒い髪。見覚えのある白い車。何度か乗せてもらったこともある。助手席の扉が開いて、降りようとする寛。腕を取って引き戻すあけみ。笑い合った二人の唇がきっちりと正確に合わさって、あけみの白い喉が艶めかしく動き……ドアが閉まる音とともに棒立ちになった夕実の前を走り去っていった。山道を教育大に登っていくあけみ。照りつける日差しをいっぱいに浴びて見送っている寛。彼は木陰で暗い眼差しを燃やす女に気づくことなく、車がカーブに消えるとくるりと踵を返し厚生会館のほうに歩き去った。

本を返却し、エアコンの効き過ぎたロビーで携帯メールをチェックする。
何もない。寛に会いたい。会って抱かれたい。
躰の奥底から熱いうねりが突き上げる。目を瞑ると再びゆるりとした温かい波がひたひたと押し寄せる。あけみへの嫉妬、先生への尊敬と同情がない交ぜになって夕実を執拗に責め立てた。

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捲くりあがったスカート。自分には見えない。目を閉じているから。
むしろ、他の人に見えてしまわないか気が気ではない。
三日連続。半分は予想通りだったが、半分は今でも信じられなかった。
電車が動き出すと同時に遠慮も躊躇もなく、当たり前のように尻全体を撫で回される。まるで寛がそうするように。
すぐに気づくだろう。
白い麻のミニのフレア。普通に穿いてもお尻が半分剥き出しになっている、浅くてサイドを紐で結んだショーツ。白にオレンジの細いストライプが入ったお気に入り。
まるでその手を待ち望んだかのようなスタイル。
完全に湿って布地が吸いきれなくなった液が滲み出ている股間を散々嬲った後、昨日のように手が尻を登り始めた。下着のラインを指先が丁寧になぞる。ゴムの内側に僅かにもぐりこんだ感触が弧を描くように左右に滑り、腰骨の上で静止した。
夕実は小さな安物のバッグを胸元に強く抱きかかえた。下半身が奮え、得体の知れない底無し沼が口を開いた。
つん、と後ろに引かれるような軽い感触。
右、左。
僅かな締め付けがあっさりと消え、布地が肌を滑り落ちた。
その落下速度を少しでも長引かせようと足を強く閉じて重力に抗うが、あっけなく後ろから布地を引かれ、股間を擦りながらショーツが剥ぎ取られた。時間が止まったような短い間。すぐに腰全体を引き寄せられて躰が密着した。片手を後ろに廻して抵抗のかたちを示すが、手首は力で拘束された。
秘めやかな動きが剥き出しの太腿から尻へ、尻から股間を目指す。性器には直接触れられていないのに、既に周囲の肌は溢れた粘液でぬるぬるに潤っているのがはっきりわかった。悔しいが自らの性欲を、男のものを受け入れたいという欲望を認めざるを得なかった。夕実は恥辱に打ち震え、新たに予測される動きを前に歯を噛み締めた。

肩に強い衝撃を感じて目を開いた。
もう一度。舌打ちと振り返りながら睨みつける目。明るく無機的なホームの照明の下で足が機械的に進んでいる。エスカレーターに追い込まれてようやく自分がどこにいるのか理解した。慌てて後ろを振り向く。苦虫を噛み潰したような中年女性と目が合った。スカートの尻をさりげなく触る。素肌に空気が当たるいつもとは違う感触は今までの痴態が夢ではなかったことを告げていた。
コンコースのトイレに駆け込んでブースにこもった。どろどろに濡れた股間を丁寧に拭い、バッグから予備の下着を取り出して身に着けた。

翌日はさすがに怖くなって時間を大幅にずらした。二講目も自主休講にして午後出。暑さと燻り続ける余韻は変わらなかったが、電車はガラガラに空いていた。

週末が近づいていた。先生は寛とどう愛し合うのだろう? 寛は先生にどんなことをするのだろう? どこへ行って、何を食べて……? 寛のアパートで盗み見た写真が頭いっぱいに広がった。先生の白い尻を寛の手が這い、陰にもぐりこむ。夕実はうつぶせになって裸の尻に自らの手で触れた。外から内へ。円を描くように熱く湿った部分へ指を這わせる。二本の指先が濡れた皮膚で滑る。あの指。あの手。記憶の底に刻み付けられた強烈な奮えが躰を貫いた。見ず知らずの男に尻を与え、自由に弄らせた屈辱的な背徳が背筋を弓なりに反らせた。敏感な突起を指が突き、溢れる蜜を指に滴らせ、中指と薬指がぬるりと膣にもぐりこんだ。尻を突き上げたまま膣を掻き混ぜて、余った親指で濡れそぼる肛門を探る。夕実は初めて寛以外の男を思い描いて自らを慰めた。

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もう終わりにしなくては。
夕実の躰は潤ったまま疼いていたが、もうあと数日の辛抱だった。8月になれば、寛はすべてを知る。それまでは口を噤んでいる。それが松崎との暗黙の了解だった。
黒のぴっちりとしたスリム・ジーンズにベルトを通す。Tシャツに白の普通のシャツをざっくりと羽織り、アクセサリもなし。口紅も透明色に引き締めた。
抜かりがないか鏡の前でざっと点検し、あんまり可愛くない普段の自分に満足した。
電車は相変わらず混んでいたが、もう目は瞑らない。それなりの緊張感を保ったまま、あっという間に目的地に到着した。怒涛のようにホームに押し出され、夕実は誰にもわからないようにそっと息をついた。
一歩を踏み出したとき、ふと、違和感を感じてジーンズの尻ポケットに指を差し入れた。
小さな破り取られたメモ紙? 折れて皺が寄っている。
エスカレーターに乗って手の中で紙を広げた。
暗い照明にワープロの掠れた文字が浮き上がった。

美しい女よ。
もう一度だけ、愉しまないか。
日曜、
1:00pm、
スクエアタワー30Fのエレベーターホール。

夕実は誰にも見られぬように慌ててメモを手の平で握りつぶした。
馬鹿馬鹿しい。こんなことをして……引っ掛かる女がいるのだろうか。

夜、しわくちゃになったメモ紙を丁寧に広げ伸ばした。
なぜ、捨ててしまわなかったのだろう。夕実はすっかり憶えてしまった文字に目を落とした。
あさって? 真昼間? スクエアタワーは数年前に中心街の駅北にできた超高層ビルだ。地下と下層はショッピングモールになっていて、高層部は事務所、最上層はレストラン街になっている。何度か友人たちや家族で食事に行ったことがある。周囲には似たような高層タワーが立ち並び賑わっている。
日曜日――。寛は先生との最後のデートの真っ最中だろう。昼下がりの交差点であからさまにキスをしていたあけみの白い喉が脳裏に再生された。花やかでぞっとするほど魅力的なあけみの笑顔。あけみの家に泊まったのだろうか。寛の腕に抱きしめられるあけみの細い躰が目に浮かんだ。
日曜の昼食時だ。人並みが途切れることはないだろう。素っ気はないが文言に脅しも暴力的な匂いも感じられなかった。身動きできない電車の中とは違う。嫌ならいつでも帰って来れる。そして何よりも文頭の文句に目が止まった。そんなことを言われたことは生まれてこのかた、ただの一度もない。
いつの間にか正反対の結論に辿り着いてしまう感情の危うさに、夕実は自ら呆れ、溺れた。

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直通エレベーターで一気に30階まで上がった。インジケーターが目まぐるしく変わり、身体が浮き上がりそうな感覚に押さえつけたさざ波が揺らめいた。扉が開くと派手な照明とざわめきが周囲を満たす。家族連れやカップルがあちこちのレストランの前に固まってメニューを眺める平凡で幸福な光景に乾いた疎外感を抱いた。
堪らない感覚が押し寄せて、夕実は一人、レストランの人ごみから外れ、ホールの窓際に向かった。
少し青味がかった床から天井までの巨大なガラスから真昼の光が降り注いでいたが、エアコンが効いているので暑さは感じない。ちょっと薬品臭いような空調の無機的な臭いが空気をよりいっそう青く見せていた。ガラス際の手摺に手を突いて外を眺める。足元にミニチュアのように見える道路と車。向かいの高層ホテルの巨大な看板が真正面に見えた。
一時にはまだ5分ある。
見渡す周囲に近づいてくる人影はなかった。
帰ろうか……。
夕実は青く染まった夏空を眩しそうに見上げた。

「そのまま。ずっと後ろを向くな。そのほうがいい」
喧騒に紛れてしまいそうな密やかな声。それでも夕実は自分向かって掛けられた言葉であることをまったく疑わなかった。
手摺に突いた両手に、後ろから別の手が覆いかぶさった。
夕実は凍りついたように躰を動かせなかった。背中と尻に僅かな圧力を感じて躰が密着した。
「さぁ、行こうか」
指の間に男の指がもぐりこみ、緩やかな周期で締め付けられた。電車の中でされたように。気が遠くなりそうな刹那感が夕実を取り込んだ。
「右手にグリーンのドアがあるだろう。避難階段だ。扉を開けて29階に降りるんだ」
夕実はそれが意味することを図りかねて躊躇した。
「嫌ならエレベーターに乗れ。無理にとは言わない」
囁き声が素っ気無く冷たい言葉を浴びせかけた。
「な、何をするの?」
「愉しいことさ」
「嫌なことはしない?」
「ああ。約束しよう」
約束を完全に信じたわけではなかったが、行動するためのきっかけが欲しかった。夕実は階段のドアを開けてガランと静まり返った避難階段を降り始めた。鉄の扉がカチリと小さな音を立てて閉まると喧騒が完全にシャットアウトされた。背後の気配を意識しながら踏み段を降りた。上の階と同じ位置の扉には大きく29という数字が描かれていた。ドアノブを掴んで手前に引いた。

休業中のレストラン? 夕実の前に現れた光景は30階とは似ても似つかない。壁やガラスに張られた紙切れ、消えた照明。奥のほうには白く安っぽいパーティションが立てられて、エレベーターホールと仕切られていた。
「親会社が倒産してな…あおりを食らってここも逝っちゃったわけ。債権者やら裁判所が押しかけてべたべた紙張っていくもんだから、見栄えを気にしたビル管理会社が仕切ったんだよ」
夕実は瞬時に理解した。パーティションの向こうは営業しているレストラン街なのだろう。人のざわめきに混じって子供の泣き声までが筒抜けだった。
「大声をあげるなよ。向こうに丸聞こえだから」
肩を軽く押され、パーティションとは逆側の外が見えるガラス際に歩いた。
「今日はまた最高にきれいじゃないか」
耳元に息が降りかかった。
散々悩んで、夕実は真っ白なミニのサマードレスを着込んで、剥き出しの肩に濃紺のシャツを軽く羽織り、ボタンは留めずに前で結んだ。父に買ってもらったシルバーのネックレスとお揃いのイアリング。数少ない口紅からいちばん鮮やかなピンクを選び、いつもよりずっと踵が高いダークブルーのサンダルを素足につっかけて来た。
同じように手摺に手を突かされて、大きな手が手を覆い、指の間に指が絡められた。
「いい匂いだ」
柔らかいリズム。背中と尻に密着した圧力を感じながら目の焦点が呆けていく。
ガラス壁に十字に切られたアルミの桟が光を背にした十字架のように輝いた。

大きな手が尻を撫で始めた。目を瞑ると夕実の中でゆっくりと電車が動き始めた。
痴漢に触られるのは不可抗力だ。逃げられないのだから仕方がない。
頭の中で他愛のない言い訳を組み上げる。
遠慮のない手の動きに合わせて、夕実は加速を始めた。
左右の尻を交互に嬲られて指先はやがて中央の割れ目に集中する。押し寄せる快楽の波に揉まれ、固く閉じていたはずの足が徐々に開いてしまう。ドレスの裾が捲り上げられるにつれ、刺激が一気に強まった。腰が抜けそうな奮えが全身を貫いて、背筋が弓なりに反り返り手摺を強く握り締めた。

挿絵53

『空の青 8月(3)』

ドレスの裾が腰まで捲り上げられて、抑揚をつけた手の動きが新品のショーツに包まれた丸く豊かな尻を自由奔放に、荒々しくまさぐった。ショーツの上から谷間にもぐりこみ、陰唇を割るように往復する指先が艶めかしい音を立て、別の手が前に回りシャツの結び目をほどく。だらんと泳いだ濃紺のシャツが肩から剥ぎ取られ、当たり前のように固く盛り上がったドレスの胸に手が押し当てられた。息を呑むように夕実の口が声を出さずに喘ぐ。掴み、揉みしだかれて夕実の眉がきつく歪んだ。
腰のくびれを撫で回していた手が、純白のシンプルな下着を一気に膝まで引き下ろして完全に尻が露出した。
「いいケツしてるなぁ」
サンダルのホックが外れ、膝に掛かった下着が抜き取られる。胸を揉みしだいていた手が襟元に掛かり大きなボタンを冗長なほどゆっくり、愉しみながら外し始めた。
「あ、ちょっと…そんな……困ります…」
背中までドレスをたくし上げた指先が器用にストラップレス・ブラジャーのホックを摘み上げた。赤く跡になった下着の跡を残念そうに指が辿る。残りのボタンを外してしまうと夕実の躰に纏わりついたすべての邪魔物がなくなった。十字架の下で、全裸に剥かれた夕実の肌を視線が犯し、手が嬲った。
「たまんねぇな。あんたみたいなきれいな子とこんなことできるなんて……」
腕が夕実の腰を抱えて、大きく尻を突き出させた。
「こんな可愛い顔して、真っ白な躰晒して、おまけに乳もぷりぷりででかいし、乳首はきれいなピンク色だ。毛も生えてねぇ。飾っておきたいくらいだ。なぁ、後ろから犯してもいいか?」
直截的な言葉が夕実の抵抗を蝕んでいく。
手摺にしがみついた夕実の頭が左右に振られ、黒髪が輪のように広がった。
突き出した尻を支える足を更に広げさせると、染み一つない白さに小さく色づいた肛門と割れた陰唇の匂い立つ美しい花が咲いた。
「い、入れるのはだめ。困ります」
「指もだめなの? おまえ、尻の穴までほんとにきれいだな」
尻の肉を掴んだ手が左右に広げると、湧き上がる泉に日光が反射してきらきらと輝いた。
両手の執拗な愛撫が夕実のガードを徐々に突き崩していく。
「だめ、だめ。絶対だめ」
膣口にあてがわれた指を夕実の細い指先が懸命に引き剥がす。
「じゃぁ、こいつならいいだろ」
男が右手に持った青く光る筒が容赦なく夕実の性器に突き立てられて、ずぶずぶともぐりこんだ。細く伸びた線の先で男がスイッチを入れる。微かに唸るモーターの音。
膣全体が強烈に震えて夕実は仰け反った。
「いやぁ……何? 何これ…」
すぐに夕実の腰ががくがくと奮え膝が抜け落ちそうになった。
ポケットから取り出したもう一つが背後に突き上げた尻の中心にあてがわれたが、夕実は膣を抉り小刻みに震える強烈な刺激に我を忘れていた。がっしりと抱えられた尻の中心で、小さく窄まった肛門にゆっくりと円筒が沈み始め、同時に膣に差し入れられたローターを前後左右に激しく揺すられた。短い叫ぶような喘ぎに被さってがくがくと白い尻が跳ね上がった。
「どうだ。最高だろう。細くて長めと短くて太め。あんたにぴったりのサイズだぜ。探すの苦労したんだ。安心しな。買ったばかりの新品だよ」
「いや、止めて。壊れちゃう」
「ぬるぬるのパンツ貰ったからお礼にあげよう。動かなくなったら電池入れ替えるんだよ」
二本の筒を根元まで押し込むと、かくかくと躰が痙攣し汗ばんでいた夕実の肌が急速に冷え始めた。
「汁がだらだら溢れてるぞ。どうだ、気持ちいいか?」
夕実はもう応えることもできなかった。
薄く笑った男が頭を抱えた夕実の首を引き寄せて顔を無理やり横に向けた。
「しゃぶってくれよ」
がくがくとひきつけのような痙攣を繰り返しながらも、夕実は髪を振り回して拒絶の意思を示した。
「だめ。ごめ…んなさい…それは許…して」
「じゃぁ、しごいて」
夕実の手を手摺から引き離した男が怒張した男根を握らせた。
「両手でやってよ」
眼を瞑った夕実の顔の前で男は体勢を整えた。髪を掴んだ手が首を固定して顔に性器を擦りつけた。頬、鼻、唇……、滲んだ透明な液がぬらぬらと光って夕実の顔を汚していく。背ける顔を強引に正面に向けさせて、目、鼻、口とねじり込むように動いた性器から勢いよく精液が噴出した。

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今は各種の研究所がびっしりと立ち並ぶ大学の昔のキャンパスを縦断して、通りを渡ればもうすぐだ。
天気は下り坂で、ときおり突風が欅の枝を重そうに揺すったが、夕実は寛に会える喜びにとっぷりと漬かっていた。一方で、心の片隅に芽生えた暗い情念の炎は微妙にかたちを変えながら未だに鎮まらなかった。
いろいろな条件が重なったとはいえ、転がり始めると止まれない快楽の際限のなさが夕実を悩ませた。男に貰った二本の丸みを帯びた筒は箱に入れて引き出しの奥に封印したが、明日にでもその封印を破って取り出していそうな自分が怖かった。せっかく寛と仲直りできたのに、こんなことを知られたら今度こそ相手にしてもらえなくなることは確実だった。
あのときの顔も知らない男の感触がはっきりと顔にこびりついて残った。ショックを受けたというわけではない。心の底からの喜びと自分を投げ出しているという受容を伴う、寛のものを浴びるときとはまったく別の行為と考えていた。

アパートの鉄骨階段を軽やかに駆け上がる。
3階の奥。まだ寝てるかな?
夕実はインターホンを控えめに叩いた。

『空の青 5−3』(続く)

作成日:2006/10/16 最終更新日:2006/10/17

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