春から夏へ 4

カタンと外から鍵が掛けられて、二人の足音が廊下を遠く離れてやがて消えた。
取り残されたわたし。
覗き見していたわたし。
どうしようもない寂寞と自分に対する嫌悪感が同時に躰を蝕み始めた。
怖いくらい静まり返った部屋。
窓が閉められているから外の音も聞こえなかった。
ぽっかりと壁に切り取られた開口の向こう側、雑然と物が置かれた教材室。明るい午後の光と松崎のか細い押し殺した喘ぎ。さっきまでそこで繰り広げられていた寛と松崎の愛欲の儀式が残像のように瞼にちらついた。

わたしは無理やり頭に湧き上がってくるものを押しのけて、手に丸めて持った紙をカウンターに広げてみた。
全部で三枚あった。
一枚目は胸。押しつけられても潰れきらない乳房。中心に原寸大の乳首が首をもたげて影を作っている。その廻りを縁取る乳暈。見事な薄いグレーのバランス。
二枚目はうつ伏せの下半身。優美な縦線の臍と滑らかに翳った腹部。その先端の細くて煙のように縮れた薄い陰毛。ふわっと持ち上がって眠るような生え際の柔らかさ。
三枚目は広げられた性器。鮮明過ぎて思わず目を瞑ってしまった。内側の構造が露わで生々しい。う〜ん、男の人は何でこんなものを見たがるのだろう。

再び意識にさっきの光景が浮かび上がりわたしを囚えた。
言われるがまま、されるがままの松崎もショックだった。恥かしいと思わないのだろうか。
お尻の穴に舌を入れる寛、腰が抜ける松崎。泣き出すほど気持ちいいのだろうか。
躰を拭いてあげて服を着せてやる寛。うっとりとそれを受け入れている松崎。
たまに掠めてきて研究している兄のエロ本やビデオ、友人たちから吹き込まれる噂話からはわからない世界、まったく別のことみたいだ。
二人の間にあるものはセックスではなくて、もっと透明な意識の相互作用みたいなものだ。松崎は服を脱ぐ前から濡れて震えて、指一本触れられなくても寛に愛撫されているようだった。そのまま登りつめることだってできるように思える。
寛だって同じ。その目と意識だけで松崎を抱き求め、脱がし犯していた。
わたしの知らない世界は増えこそすれ、ちっとも減らない。

ふと、目を上げるとコピー機のパネルが一瞬光った気がした。注意深く耳を澄ますと、微かな唸りがカウンターの向こうから聞こえているような気がした。
電源が入れっぱなしなのだ。
一瞬の妄想。
否定。
否定。否定。
瞬間的に打ち消す。
でも消えない。
わたしの頭の片隅に小さな妄想が芽生えて、黒い雲が首をもたげるようにどんどん大きくなりつつあった。
否定。
もう消えない。もう消せない。
思い付いてしまった悪魔の囁き。
最初は気の迷いだと一笑に付したが、電源を切り忘れたコピー機と、しんと静まりかえった校舎がわたしを唆すようにチャンスを告げていた。

今なら大丈夫だ。
比べるのも遥かに簡単だ。大丈夫。裸にならなくても下着だけ脱げばいい。
そう、ブラジャーだって今日はフロントホックだ。ブラウスを脱がなくても平気。
誰も来ない。鍵も掛かっている。来てもこれだけ静かだから足音ですぐわかる。
こんなこと、他のどこでもできない。今しかできない。チャンスだ。
頭のなかでせわしなく論争が繰り広げられ、評価と決断が下された。
もちろんそんなのはただの言い訳。
わたしは多分、松崎がされていたことをしてみたかったのだ。寛が求めたことを同じように受け入れたかったのだ。たとえそれが空しい擬似体験だったとしても。

裸の胸をガラスに押し付けながら、スタートボタンを探る。
びっくりするほど大きな音が立って心臓が縮み上がる。耳を澄ませて廊下に神経を集中する。
大丈夫だ。何も聞こえない。

安心すると、寛に背中を押さえつけられていた松崎の白い背がまた脳裏に甦った。
一瞬、わたしも着ているものすべてを脱ぎ捨てて、羞恥に染まった松崎のように晒しものにされたいという感情が突き上げた。全裸に剥かれて脇机の上で痴態を晒すことに抗いようのない魅惑を感じてしまう。

どうしよう。だめだって。こんなところで裸になったりしたら、それこそ変態じゃないか。理性が必死に欲望を押さえつける。
だめだめ。そう思いながらも両手が動いてブラウスが肩から落ちる。
あっという間に堅く絞った裸の腕の間で乳房が震えていた。
邪念を振り切って、トレイに出て来た紙を眺め手早く位置を調整する。
急ごう。
後ろ髪を引かれる思いでブラジャーを留めてブラウスのボタンも元通りに留め直す。迷わずスカートをたくし上げて両手でショーツを引き下ろす。足首から抜いてしまってポケットに丸めて入れる。手で掴んだ感触が濡れていて気持ち悪いが仕方がない。
コピー機の上に乗るのは少し大変だった。
支えてくれる人がいないから隣りの机に一旦乗ってから、何とか座り込んだ。
スカートを捲り上げるのには少し勇気が必要だった。思わず廻りを見回してしまう。
勇気をもって最初に寝そべって下腹を押し当てた。
取敢えず一枚。
どんぴしゃ。臍から下腹までちょうどぴったりだ。
自分では今まで考えたこともなかったが、松崎に比べると少し陰毛が濃い気がした。
そういえば夕実はもっと薄い、透けてその下が見えるくらいなことを思い出して不安に駆られる。
最後はガラスに性器を押し当てて座った。ひやっとした感触がお尻に広がる。
失敗。
思いっきり照れながら松崎と同じように写るように陰唇を指で左右に広げた。
敏感な部分がガラスに直接触れて、思わず声が出そうになる。
今度はうまくいった。
続けて数枚取って床に飛び降りる。ハンカチでガラスの汚れを拭き取って蓋を下ろす。
濡れた下着をもう一度着けてトレイを確認した。
忘れたりしたら大変なことになる。
一時の興奮と熱気が収まると、濡れたショーツが冷たくて歩くのが気持ち悪かった。
わたしも寛を真似て要らない紙を漁って丸めたコピー紙を包装した。コピー機の電源を落すと機械のノイズが消えて部屋から本当に物音が消えた。少し怖くなってカウンターを乗り越えて集会室に戻る。ドアからそっと首だけ出して廊下を窺がう。誰もいないことを確認して、わたしは少し不機嫌になって廊下に出た。

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店を覗くと奥に母がいたので階段を上がる前に裏から一声掛けた。何かを頼まれる前にさっさと逃げる。鉄骨の階段を登る足が重かった。
わたしの部屋は三階にある。一階が叔父が経営する水産加工会社の販売店。父はそこの専務だけど、平たくいえば蒲鉾屋の番頭だ。
二階は住居。父母とわたし、二人の兄がかつては住んでいた。三階は元は従業員用の宿舎だった。といっても普通の1LDKのアパートが二つあるようなものだ。
母が店に出るようになって、従業員は工場に通うようになった。工場の方がずっと忙しかったからだ。そのうちに、二階が手狭になって二人の兄が空いた三階に移った。
その兄たちも、いちばん上は東京の大学に進学してそのまま就職した。下の兄も二年前、同じく東京の大学に進学して、今は盆と正月に帰って来るだけだった。

今年の春、引っ越して行った上の兄の部屋に入れ替わりにわたしが潜り込んだ。父も母もわたしが勉強するには静かなほうが良いというと、それ以上は何も言わなかった。
食事は下に降りるが、ユニットバスもトイレもあるから、わたしにとってはタダで食事付の一人暮らしをしているようなものだ。思ったよりも掃除が大変なのは堪えたが、友達が来ても親に気兼ねしなくて良いし、泊まりがけで騒ぐこともできた。

玄関を入ると締め切った空気がむっと淀んでいた。
バッグを床に放り出して、早速手にした紙を机に広げる。丸まってしまって上手くいかないのに苛立って、汗をかいていることに気付いた。
無理やり広げた紙に重しを乗せて、先にシャワーを浴びることにした。スカートが染みになっていないか念入りにチェックしてハンガーに吊るす。
エアコンを軽くいれておく。シャワー浴びた頃には適温になっているはずだ。
服を脱ぎ捨ててショーツを下ろす。
周囲に溢れた液体が陰毛を濡らして粘っていた。
股間の部分はまだ乾かずにべっとりと濡れていた。さすがにこの下着を下の洗濯籠に放り込むのは気が引けた。

勢い良くお湯を当てて、身体の隅々まで汗を洗い流す。おかしな気分に陥らないように胸と股間に当てるシャワーは控え目にして、髪を洗った。
最後に汚れた下着を洗剤で洗って水気を絞った。
身体にタオルを巻きつけてユニットバスから出ると、冷えた空気が気持ち良い。
先にショーツを干して、髪を乾かした。

窓から断末魔の西陽が差し込んで、鏡の中のわたしを赤く染めていた。
ドライヤーを止めると表通りを車が走り抜ける音だけが赤く燃えた部屋の中で存在を主張していた。
首を傾げてにっこり笑う。髪が流れて首筋にかかる。
背筋を伸ばした真面目な顔。
色白の肌は滑らかだし、首も細いし肩も華奢だ。地味だけど悪くはないと思う。
どうして寛はもっと見てくれないのだろう。
意識はすぐにそこに跳ぶ。

躰に巻きつけたタオルを緩める。手を離すとすとんと床に落ちて白い裸身が現れた。
なで肩過ぎて少し情け無い。
つるんとした胸はちゃんと陰ができるくらい盛り上がっている。全体の大きさと乳暈のバランスもちょうど良いと思う。乳首ははっきりとした形を持って乳暈に埋もれていた。
悔しいけど、松崎よりは小さい。
横向きになってみる。少し上向きになるくらい弾力もある。
背丈はあまり変わらないけれど躰はずっと細い。でもそれは腰が小さいからそう見えるだけかもしれない。お腹に贅肉はないしすっきりと下腹に収束しているけれど、松崎より硬い。
臍の形も縦長で格好良いと自分では思う。
あまり考えたこともなかったが、陰毛の生え際はかなり下で、濃くもなく薄くもなく普通だと思っていた。でも何度か見た松崎のそれは一番上で横に広がる部分がなかった。修学旅行で見た夕実のように奥がほとんど透けて見えるということはなかったけれど、わたしよりは疎らで面積も小さいように思えた。
寛は薄い子が好きなんだろうか。自信がぐらつく。
でも、予め見てから付き合い始めるわけじゃないんだから、そんなことはないはずと必死に思い直す。
馬鹿みたい。
背を向ける。お尻は幅は小さいけれど思ったよりは盛り上がっていて白さも負けない。
足はすらりと伸びて足首も締まっている。だから自分の躰でいちばん自信があるところだ。

手を伸ばしてコピー紙を床に並べた。比較しやすいように角度を合わせてみた。
松崎のほうがずっと乳首が大きいけれど、これは寛に触られてキスされたからだと思い立つ。
腰も松崎のほうが一回り大きくて紙に入りきらない。でも、陰毛は生え際が下がっていて薄い。縮れた毛は細くて柔らかそうで本数が数えられそうだ。範囲もわたしより狭い。
原寸大の性器は恥ずかしさが募った。大きさは同じくらいだ。襞の両岸の陰毛はわたしも松崎も少なくて範囲も似ていると思った。広がってガラスに押し付けられた襞は松崎のほうがぷっくりと膨れているように見えた。わたしのはもっと細くて薄い。色は白黒でよくわからないが、濃さは同じくらいのように見えた。これも触られると膨れるのだろうか。自分ではよくわからない。
会陰の幅はわたしの方が少し短いけれど色は同じくらい白かった。それに続く肛門の襞は全体的にわたしの方が小さくまとまっている。
なんて恥ずかしいかたちなんだろう。これをいずれ寛の目の前に晒すのだろうか。

動物のように屈辱的な姿勢をとらされていた松崎。
松崎のこの襞が大きく歪んでその周囲にまとわりつくように広がって寛を迎え入れていた。綺麗に広がったピンク色の襞は桃の花が咲いたように見えた。寛のものと一体になって濡れて光っていた。目を瞑ると教材室の記憶が鮮明に甦る。
今まで、遊びに来た友達はわたしが兄の部屋から調達してきたその手のビデオに必ず登場するそんなシーンを眺めながら、必ずといっていいほど罵った。
恥知らず、淫乱、売女、犯されてるみたい、雌犬みたい。
そう言いながらもみんな、始めて見るわけでもないのに目はくぎ付けになっていた。男の征服欲を満足させられるから、レイプしてる雰囲気なんじゃない? としたり顔でけらけら笑いながら解説する子もいた。

でも、わたしがそうであるように、みんなも本当はそう思っているわけではないような気がする。
建前なのだ。高慢と思ったことは一度もないが、決して自らを貶めるようなことはしないプライドを持っているはずの夕実や松崎がちっともそんなことを思っていないように、女の子たちもそうは思っていない。多分、求められ、あるいは自ら進んで同じことをするのだ。いや、そう扱ってほしいのだ。ただ、そんな風に扱われ、なぶられることを心の奥底では望み願っているということを相手に知られるのが死ぬほど恥ずかしいだけなのだ。

姿見に背を向けて肘を床についた。前傾して体重の半分を腕にかけると自然に尻が持ち上がった。無理やり首を捻って背後の姿見を覗き込む。白い尻の中心の複雑な形状を一生懸命眺める。膝を少し広げて更に尻を突き上げた。松崎に比べて遜色はないだろうか? 色が汚くないだろうか? かたちが崩れていないだろうか?
眺めれば眺めるほど不安と恥ずかしさが募る。腹から手を廻して襞を左右に広げた。溢れた粘液が指を熱く濡らした。この光景を寛の目の前に晒すことを夢見て、尻を掴まれ突き立てられることを想像して、わたしのつまらない痩せ我慢が限界を超えた。

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わたしは半分惚けた頭で考えていた。
勉強を教えてといえば、寛は断らないだろう。時間の都合をつけてくれるだろう。今までがそうであったように。

7月に入った週末、わたしは思いきって寛に話した。
「あの、いくつか教えて欲しいことがあるの。土曜日、時間ない?」
段々トーンダウンして、最後は消え入りそうな声になってしまった。言ってしまってから一気に背筋が凍りそうな悔恨と緊張が押し寄せてきた。
「えっと。夕方までだったら大丈夫だけど」
あまりにも予想通りの答えに嬉しいのか悔しいのか自分でもよくわからない。
「ん?」
いけない。
「あ、うん。ありがとう。お昼ご馳走するから食べないで来て」

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準備したランチを自分の冷蔵庫に入れて部屋を見廻した。馬鹿みたいに早起きして掃除は完璧なはずだ。
11時。
シャワーを浴びて髪を洗う。
新品の下着。首筋にほんの少しだけコロン。
着るものは散々考えて昨晩決めた。皺にならないようクローゼットに吊るしてある。
ノースリーブの素っ気無いシャツ。コットンのリバーシブルで胸元が少し開いている。色は薄いベージュで裏地が黄緑。襟の部分に少しだけ黄緑が覗く。
下は持っているなかでいちばん短いミニの黒。短すぎて一度も履いたことがないけれど、エッジがシャープに見えて本当は気に入っている。
階段を登るときに見えそうだけど、勇気をもって、それは気にしないことにした。

鏡の前で首尾を確認。振り向いて背中とお尻をチェック。
悪くはない、と自分では思う。
寛はどう思うだろう? そう考えたとき携帯が鳴った。

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母には友達と勉強するから邪魔しないでと言ってある。もちろん今までと同じように女友達が来るはずだと思っているに違いない。別に騙したわけではない。少なくとも寛にとってのわたしは、ただの友達でしかないのだから。

寛が店に入ってしまわないように頃合を見計らって下に降りた。
晴れた空が眩しい。自分の影が小さく階段に跳ねた。
歩道に出ようとするところで彼に出くわした。タイミング、ぴったり。
何か言おうとするのだけど言葉が出ない。
「こっち…」
なんて芸がないんだろう。
先に立って階段を登り始める。露出した足が気になって、緊張と恥ずかしさに足が竦む。俯いた顔に血が上るのがわかって、慌ててその考えを振り払った。
「へぇ〜、三階かぁ」
寛の間延びした声が背中に聞こえてやっと落ち着いた。

「いいなぁ。快適そうだね」
彼を部屋に引き入れて、床マットに置いたテーブルにお茶を用意する。
わたしを見て何も言ってくれない。引かれちゃったかな? と一瞬不安がもたげる。
「隣、空いてるから貸そうか?」
屈託のない笑い声が聞こえて、いつも通りの彼がそこにいた。

サンドイッチのランチを広げると彼の目が輝いた。
純粋に嬉しい。
彼が好きだと小耳に挟んで、前から研究しておいたのが良かった。ありきたりが嫌いだからバリエーションにも工夫を凝らした。ローストビーフをメインにチーズ、ベーコン、トマト、きゅうり。ナッツを練りこんだバター。
もちろん、マヨネーズはご法度だ。
「お茶で食べるのはもったいないな」
「え? どうしよう」
「ワインじゃ勉強にならんからビール買ってこよう」「なんだ、言ってくれれば来る途中で買ってきたのに……」
「あ、わたし買ってくる。すぐそこにコンビニあるから」

立ち上がろうとすると、剥き出しの両腕をがっしりと掴まれて引き戻された。
うわっ、来たぁ。
びっくりするほど強い感触にうろたえて慌てまくる。目の前に彼の顔があってどうしていいのかわからない。
「一人でそんな格好で出歩くとそのうち痛い目に会うよ」
頭が暴走し始めて、言われたことを理解するのに馬鹿みたいに時間がかかる。何か言わなきゃ、答えなきゃと気ばかり焦るが頭は麻痺して回らない。
怒られた? 軽蔑された? 不安が同時にもたげはじめて、すぐにそれが絶対の真理のように思え始めた。目の奥がつんとして目が潤む。
あれ、困った、せっかく考えて選んだのに逆効果だった?
自分のしたことが途方もなく馬鹿に思えて悲しさが突き上げる。
「だ、大丈夫…。似…合わない…かな…」
ようやく出た声は掠れて、しんと静まり返った部屋の空気に消えていった。
目の前に彼のトレーナーが見えて喉仏が尖って動いた。それを見て頭がふらふらっと前傾して彼の胸元に倒れこんでしまう。僅かな汗の匂いと彼の匂いが広がった。
腕を離れた彼の片手がわたしの肩を抱いて、もう片方の手が髪をすくように後頭部を流れた。

彼の首筋に触れているおでこが震えた。
「似合うよ。とっても魅力的だと思う」
しゅんとしていた気持ちが一気に逆転して舞い上がる。
「他の人には見せたくないくらい」
頭が真っ白になって思わず彼に縋り付いてしまう。
その先はもうよく憶えていない。
目を閉じたまま上を向いたわたしは、多分抱きかかえられるように彼とキスしていた。
「せっかくのサンドイッチ、暖まっちゃうから」
そう言って、彼が茫然としているわたしの肩をしゃんとさせるまで。
立ち上がろうとした彼が、ちょっとだけ困った顔をして剥き出しになっている太腿の裾を整えてくれた。

挿絵4

『鏡のなか』

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わたしの食欲はすっかりどこかに忘れてきたかのように霧散した。せっかくのランチだというのに彼の唇の感触を忘れたくなくて困り果ててしまう。何もなかったように、美味しそうにサンドイッチを頬張る彼を眺めていると、嬉しいのか、恨めしいのか目が回りそうに感情が揺れ動いた。

結局、勉強になんか成りはしないのは最初から自明というか、予想通りだった。
あっという間に夕方がやって来て、わたしは焦りながら消沈する。淡々と教えながらも少し困った寛の顔を傾いた陽が斜めに照らした。
「ごめんなさい。あの……あんまり集中できなくて……」
せっかく教えてもらいながら教わるほうがこれでは彼だって嫌気が差すだろう。
ノートをバッグに仕舞う寛の手の動きに見とれながら、本当に申し訳ない気持ちになってわたしは謝った。

「また、都合が良ければ来るよ」
最後にそう言われてわたしは再び舞い上がった。
「送っていく。駅まで」
寛の困った顔が振り向いて、わたしの姿を一瞥した。
「送れないからだめ」
「本当は本屋に行きたいの。ならいいでしょ」
「じゃぁ、着替えなよ」
「うん」

クローゼットから着替えを引っ張り出す。黒のジーンズに明るい紺のノースリーブ。寛は背中を向けて座っている。安心してわたしはスカートとシャツを脱ぐ。下着も脱いで背中から彼に抱きついたら彼は行かないでくれるだろうか。妄想が頭を掠めたけれど、そんな勇気はない。自分の臆病さとつまらなさに呆れる。
気配を感じて振り返った彼が立ち上がってやって来た。
「う〜ん、50点」
見回した彼がハンガーから麻のサマージャケットを取り出した。腕を通して背中にふわっと生地が乗った。

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彼は改札であっさりと別れて地下に下りるエスカレーターに消えていった。
迷うことなく取り出した定期を改札機に差し込んだ。
エスカレーターとは反対側の階段を駆け下りる。松崎のところへ行くならば、彼は前寄りの車両に乗るはずだ。ちょうど反対方向の電車が到着してホームには人が適度にいて身を隠すにはちょうど良かった。階段の陰で電車の到着を待って、ほぼ中央の車両に乗り込んだ。3両ほど前の車両に乗る寛がちらっと視界を掠めた。

空いた電車の座席に座りながら、わたしはこの先の展開を予想して自問自答していた。二人が会うことを確かめてどうするのか、もしかしたら会わないで彼がまっすぐに帰るかもしれない。意味もなく堂々巡りが続いて、虚しさが湧き上がるようにきつい冷房に体が冷えた。中心街で混み始めた。松崎の住む南町まで行って、見失ったら素直に帰ってこよう、そう決めた。

南町駅のエスカレーターを上っていく寛を後ろから眺めながら、わたしは落胆も失望もしていなかった。間に他人を挟んで、そのあとをわたしも地上へ向かった。改札を出た彼は迷いもせずに駅前の繁華街を進んでいく。ほんの数十メートル、通りに面したレストランのドアを押して中に消えた。
慌てて周囲を見回すと向かいにファストフードのコーヒー店がある。そこに飛び込んで、目に止まった二階席に上がった。窓際の席にトレイを置くと、ちょうど真向かいのレストランの席がガラス越しによく見えた。窓際にウェイターらしき人影が現れて、続いて女が現れた。松崎だ。水色の涼しげなワンピースと切り揃えた髪。間違えようのない整った顔。すらりと伸びた剥き出しの腕。
続いて現れた寛を見て、わたしは再び寛に会えた喜びと他の女と会っている絶望に引き裂かれた。

仲良く笑いながら食事をする二人が羨ましかった。何を話しているのだろう。何を食べているのだろう。通りを眺めながらときどき顔を近づけている二人。気付かれないか心配になったが、窓の外の看板の照明が眩しいせいか、こちらを見上げることはなかった。食事が終わると二人はいっそう親密に身体を寄せ合っていた。そのうち松崎が席を立ったので、帰るのかなとわたしもすぐに出られるように準備する。
寛は相変わらず椅子に座って外を眺めていた。
トイレか。
このまま松崎が戻って来なければいいのに。わたしの願望は妄想と一緒になって祈るような気持ちで寛を眺めていた。

期待も虚しく戻ってきた松崎が席に座ると彼女が寛に何か手渡した。白っぽい。なんだ、ハンカチか。
女の癖に借りるなよ。ちょっとだけ馬鹿にする。
寛が手触りを確かめるようにそれをポケットにしまう。
松崎が俯いているように見えた。
更にもう一度同じ動作が繰り返された。今度はもっと小さいもの。ちいさく握った松崎の手が寛の広げた手の上でぐずぐずと躊躇った。
受け取った寛が両手で隠すように顔に近づけた。祈るように両手を合わせると松崎が寛の手首を掴んで顔から手を引き剥がそうとしている。いったい何をいちゃついているのだろう。わたしの不審は頂点に達した。

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店を出た二人は当たり前のように腕を組んで歩き始めた。反対側の歩道を少し遅れてわたしも歩き出す。寛の腕が松崎の肩をやさしく抱いて、ときどき見上げる松崎と見下ろす寛の視線が絡み合う。ワンピースの裾から出た足がかたち良く滑らかに動いて、いつになくかかとの高いサンダルが輔石に当たる乾いた音が小気味良く夜気に響いた。

繁華街から外れて道が少しづつ暗くなり、すれ違う人が減りだすと、下着のラインを確かめるように腰に当てられていた寛の右手が撫で回すようにときおり腋に上り始めた。段々と松崎が寛を見上げる頻度が高くなって、ときおり足元がもつれて乱れる。松崎は乳房の側面を撫でられているのだろう。俯いたり、戸惑ったり困ったような顔を寛に向け始めた。

寛の腕がなめらかに光る松崎のうなじから肩を強く抱くと、松崎の足が大きくもつれ、ついにはときどき立ち止まるようになった。背筋が硬直して空いた右手が困ったように宙をもがく。斜め後ろから見ているわたしにはさっぱり状況が呑み込めなかった。しかたなく、少し大胆になって二人を少し追い越す位置まで出てさり気なく二人に目を流した。

寛の腕が襟から松崎の胸元に差し込まれていた。薄水色の布地の下で寛の手が大胆に動いていた。歩きながら松崎は自分の乳房を寛に掴ませているのだ。寛の手が乱暴に動くと布地の下で大きな乳房が暴れるように揺れている。
そのとき、さっきの光景が意味を成して甦り、わたしはすべてを理解した。
さっきレストランで松崎が寛に手渡したのは自分が身に着けていた下着だ。あの女はトイレで自ら下着を脱いで寛に手渡したのだ。さすがに目の前で匂いを嗅がれて恥ずかしかったのだろう。寛の手を掴んで怒ったような素振りはそういう意味だったのだ。
なんて恥知らずなのだろう。なんていやらしいんだろう。
そう罵倒しながらも、わたしは頭がくらくらするような興奮に包まれていた。
心の奥底では、わたしだって寛に望まれたら同じことをするだろうとわかっていた。ただその対象がわたしではなく、松崎であることに苛立っていた。

正面に見えるマンションに向かうのだろうと思ったら、突然二人の姿がかき消すように消えた。慌てて道路の反対側に渡って、消えたと思しき位置まで走る。大きな木が照明に照らされて左に折れる遊歩道の舗石が鈍く輝いていた。暗く闇に溶けていくその先で、一瞬水色が揺れて光った。
広大な公園に入って、わたしは二人の真後ろを街灯の影になったなるべく暗い側を歩いていた。
さつきの艶かしい匂いと石楠花の甘い匂いが夜気の底に沈殿していた。前を歩く松崎の髪が歩を進めるたびに水色の肩に軽やかに触れて左右に揺れた。薄い布地に包まれた豊かな尻が揺れて、ときおり寛の開いた手が張り付くようにその量感を確かめていた。尻の割れ目に指が食い込むと歩けなくなった松崎が寛にしがみついた。もちろんあの布地の下には裸の尻があるはずだ。
青葉が萌える高い樹木に遮られて街灯の近くを通るときだけ二人の姿が浮かび上がった。
奥に進むにつれて、寛の手が少しづつ動いて大胆にも松崎のワンピースの裾を捲り上げていく。
膝上が見えて、次の街灯の下を通ったときには太腿が白く光った。次の光の輪の中には豊かに膨らんだ白い尻があった。
松崎はくびれて細く締まったウエスト、背中まで晒してよろけるように歩いていた。

二人の行く手の照明の色が少し青味がかった色に変わった。ぼんやりと明るい光に黒々とした骨組みが横たわっていた。どうやら子供用の遊具らしいとわかってわたしは安心した。
公園のいちばん奥まった端にあるようで、すぐ先には新幹線の高架だろうか。巨大な橋脚が一定の間隔で規則正しく立ち並んでいた。薄ら寂れて人気はまったくなかった。
下半身を露出した松崎を抱えて二人は児童遊園の中心に立っていた。中空にかかった満月が真っ白な光を二人に投げかけていた。

その夜の松崎はそれまでのいつよりも美しく、まるで水底に棲む人魚のように光り輝いていた。青白い月の光がそうさせたのかもしれない。微かに聞こえる喘ぎと衣擦れ。剥き出しの下腹部を寛の手が這い始めると僅かに残って躰を被うワンピースのボタンを自ら外し始めた。肩から袖が落ちて華奢な白い肌が露わになった。寛が手に取ったワンピースを傍らのジャングルジムに掛けた。
振り向いた松崎はサンダル以外に何も身に付けていなかった。躰を隠そうともせずに均整のとれた裸体を月に晒し、大きく見開いた目が凄惨なまでに黒く艶やかに夜に匂った。

その背後で、月明かりに崩れた恐竜のような遊具が影絵のようにひっそりと蹲っていた。しんとした水の底のような夜。見上げる空は雲もなく濃い藍色一色に染め上げられていた。
色味を失った世界の底で全裸に剥かれた松崎の白い肌が柔らかく息づいていた。黒い髪だけが影絵のように微風にそよいだ。

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足音を殺しながらわたしは二人に近づいた。身を隠すものに不自由はしない。コンクリートのトンネルのような巨大な管に潜り込む。管には直径15cmくらいの穴が所々空けられて、外の薄光が差し込んでいた。複雑に交差した管を勘を頼りに進んでいく。苦労せずにいちばん近い穴にたどり着いた。影になっている側から顔を覗かせると、ほんの2、3m前に松崎の裸身が見えた。

奇怪なかたちの骨組みを晒すジャングルジムの前でひとしきり抱擁とキスが繰り返されていた。ときおり、寛が周囲に鋭い視線を放った。一度だけ寛の視線がわたしが隠れている穴に止まったような気がした。
見つかった?
わたしは不安に慄いた。凍りついたように身体が固まる。
一秒。二秒。三秒……。時間の屍骸が累積していく。
ゴーっと高架を走る列車の音が聞こえて、再び時間が流れ始めた。
寛はもうこちらを見ていなかった。

代わりに、ジャングルジムに登らされて、四肢を伸ばし、上半身を水平にして下を向いた松崎が真下からぷるぷる震える乳房をまさぐられていた。
「揺すって」
寛の顔に乳房が当たってぴたぴた音を立てた。
「もっと」
眉間にしわを寄せながらも謂われた通りに松崎が躰を奮わせた。
「恥ずかしい…」
ちっとも声は恥ずかしそうではない。悦んでいるようにしか聞こえない。
「握って…、強く」
掌をあてがった寛が松崎の乳房を持ち上げては離し、握っては揺らし始めた。
その度にぷるぷると柔らかな肉が震えて青白い月光を吸収して、甘酸っぱい匂いまでが漂ってくるように思えた。
わたしは瞬きもせずに食い入るように見詰めていた。
美しいシュルエットが孤を描いて垂れ下がり、その最下端の突起に寛が食いついた。喘ぎが一気に高まって悩ましくも甲高い声が漏れ始める。
乳首を指で摘んだ寛がそのまま下に引くように乳房を揺すり始めると、松崎の口から悲鳴のような声が押し殺せずに溢れ出た。
「先生のおっぱい、しっとりしてて手がくっつきそう」
「うん。そう? わかんない。でも、もっと、もっとして…」
「もっと強く掴んで、ねぇ、叩いて…」
乳首を掴んだ寛の手が左右に動くと、胸の中央で二つの乳房が音を立ててぶつかった。
更に、逆さまにぶら下がって肩に向かって盛り上がった乳房を寛に与え、揉ませ、弄らせていた。寛の手から溢れた乳房が零れ落ちそうにわなないていた。
「おっぱいだけじゃなくて、あの…、お尻も触って…」
困り果てた松崎が懇願した。
今度は蛙のようにぶら下がって尻を寛の前に晒しだした。
寛が陰になった割れ目に顔を埋めるとぴちゃぴちゃと音がして松崎の尻が大きく煽動した。月の光に淡く白く艶かしく律動を続ける軟体動物のようにおぞましく厭らしい。
そう。あの女は寛の顔でオナニーしている。寛の口を鼻を額を顎を、溢れた淫液を塗りたくりながら犯しているのだ。

「シャ…、シャワー浴びて中まで洗ったから、ね、ね…」
意味がわからなかった。
「なに? どこを?」
寛の低い声が松崎を真下から見上げながら囁いた。
「言えない。そんなこと…」「ね、お願い。寛ので…、寛ので犯して…」
松崎の四肢が闇にうごめいて少しづつ躰を下ろし始めた。寛の両手が白くたわわな尻を掴み上げて固定した。

松崎の小さくすぼまった肛門に寛の猛り狂ったものがゆっくりと感触を楽しむように挿入されていった。
わたしはあまりのショックに目を瞑ってしまった。見間違いだろう。慌てて目を凝らす。
先端しか挿入されていないのに、松崎の乱れぶりは酷かった。位置も普段とは少し違った気がして、わたしは現実を受け入れざるを得なかった。
寛が押し込んだまま前に廻した手で松崎の性器を荒々しく愛撫すると、松崎はときおり手を離して落ちそうになるほど暴れた。声を上げ始めた松崎に慌てて寛がその口を左手で塞いだ。くぐもった呻き声が地を這ってわたしの耳元にも届き、辺りにこだました。

ジャングルジムは危ないと思ったらしい。寛が松崎を抱きかかえ、コンクリートの山でできた、なんとも形容しがたい動物のような遊具に近寄った。色はよくわからないが、けばけばしい色に塗られているのだろう。月の光が撫でたコンクリートの肌がねっとりと光った。わたしもそっと穴を這い出して、今度は一枚の壁の裏側に身を隠した。おあつらえ向きにここにも窓状に四角い開口が空いている。

遊具の上に全裸で立った松崎の背後に寛が回った。まるでわたしに見せつけるように躰がわたしの正面を向いた。座り込もうとする松崎の膝裏に寛の手が差し込まれ、後ろから抱えられた松崎が二歳の子供がするように足を大きく広げられた。
駄々をこねるように首を振る松崎。肩先で髪が黒く波を打った。
困ったような黒目が寛を見つめて口が合わさると、月明かりに晒された白いMの字の中心から微かな音と共に銀色の流れが完璧な放物線を描いて砂地に着地した。

わたしはその光景に唖然として見蕩れていた。
破廉恥とも汚いともまったく思わなかった。全然違う。美しく艶かしい、そう、エロティックなまでの恍惚感にすっかり惹きこまれ、取り込まれて、生暖かい感触が一気に頭を侵蝕し始めた。
松崎がおしっこをしている。子供のように後ろから寛に抱えられて。
銀色の流れは音を立てて砂地に吸い込まれている。勢いはまったく弱まらず、恥ずかしがった松崎が両手で自らの顔を覆った。普通なら、物心ついてから先、寝たきり老人にでもならないかぎりそんな姿を晒すことは考えもしないだろう。ビデオや話では聞いた経験がないわけではない。でも現実にそれを目の当たりにするのは衝撃だった。
それをこともあろうに寛が、いや、松崎が寛の目の前でしているのだ。

私はもう限界だった。壁一枚隔てた向こうで行われている声と音、匂いまでが流れて来てわたしの思考を麻痺させた。
裾から手を入れて自らの胸をまさぐった。ブラジャーが邪魔だ。
片手を強引に背中に廻してホックを指先で摘み上げる。
誰か人に見られたら、変な人に襲われたらどうするの? 理性が最後の抵抗を試みる。でも、寛が助けてくれるはず。すぐそこにいるから平気。わけのわからない理屈をつけるまでもなく、わたしの手はもう止まらなかった。

当然のようにジーンズのボタンを外してジッパーを下ろした。前から手をショーツのなかに送り込んで指先で陰毛を掻き分けた。そこは既に熱くぬめって海のようだった。
こうなることは当然わかりきっていたことだった。朝、シャワーを浴びた後はなるべく彼のことを考えないように、無理やり冷静に感情を押さえつけてきたけれど、やっぱり声を聞いただけで、身近で顔を見ただけでわたしの躰は感じてしまうようになっていた。

指が自由に動くように下着ごとジーンズを押し下げた。するすると膝まで落ちてしまうのに合わせて胸元を捲り上げた。胸の膨らみを左手で掴みあげて、指先で乳首を摘んだ。
わたしにだって同じものがあるんだよ……頭の中で寛を呼ぶ。
硬くて弾力があって、誰も触ったことがない。寛のためにずっと大事にとってあるのに……。
性器に潜り込ませた中指を前後に揺すってクリトリスを強く刺激した。突き上げる快感と晒されている羞恥心が相乗して狂おしいまでの情念が押し寄せた。
わたしのお尻だって白くて柔らかいよ。寛にだったら、寛が望むなら松崎と同じにしていいよ……。わたしもちゃんと洗っておくようにする!
頭の中で叫んで、無理やり目を開けて二人を覗き見た。
遊具から降りた二人がわたしの目の前で絡んでいた。
突然水の音がして、わたしは自分が隠れている壁の反対側に流しがあることに気付いた。水道の蛇口が捻られたのだ。

はだけた寛の下半身にしゃがみ込んだ松崎が縋りついていた。
「ちょっと待って」
寛が押し止めるように体の向きを変えると水音が何かに当たって弾けた。
「あたしがやる」
「汚いところに入れてもらって、ごめんなさい…」「でも…嬉しかった…」
「あとはちゃんと口できれいにする」
松崎が寛の硬直した性器を大事そうに両手で包み顔を近づけた。
唇がそっと先端に触れて包み込んだ。舌が滑らかに拭うように全体を這いまわり、頭全体がしなやかに動いて寛を深く呑み込んだ。寛の両手が松崎の頭に添えられて、ほんの僅かに寛の腰が前後した。
松崎の目が寛を見上げて懇願するように訴えた。
「苦しくない?」
なんて、優しいことをいうの! わたしの気持ちは嫉妬に千切れる。
頷くように松崎が再度訴えると寛が前後に動き始めた。
正確に的確にリズムを持って松崎の口に押し込まれる寛のものが、月明かりにぬらぬらと光った。ときどき口を離して寛の陰嚢を咥え愛撫する松崎の美しい横顔。舌先を伸ばしてつぅっと棒を舐め上げ、頬で先端を受け止めて顔を濡らす。

壁一枚隔てたその裏で、わたしは膝上から胸までを月明かりに晒して、自らの躰を自らの手でまさぐって愛撫していた。しっとりと滑らかな月の光に染み渡るように愛撫されて、声が出そうになって慌てて捲り上げたシャツを口に咥えた。
今まで、女の躰は子供を産んで育てるためのものだと思っていた。
でもそのための器官は、見られ、触られ、愛撫され、まさぐられ、吸われ、犯され、快感と狂気をもたらすものでもあった。更におしっこをして見せ、お尻の穴まで寛に与える松崎を見てわたしの常識と理性は粉々に、それもあっさりと砕け散った。

寛が松崎の口の中で暴れている。
最初の一撃はこれ見よがしに口から離れた瞬間、馬鹿みたいに開いた松崎の淫らな口に飛び込んだ。二射目は左眼から鼻頭に当たって音を立てた。長い睫に精液が流れて、三射目は散々なぶられた乳房に当たった。
一滴も逃さぬように自らの躰に精液を塗りたくる松崎。
「かけて! かけて。たくさんかけて!」
松崎の歓喜の声がこだまして、わたしは屈辱に苛まれた。手を伸ばせば届く距離で痴態の限りを尽くす松崎と、精液の強い匂いがわたしを狂わせた。

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「メイク落ちちゃう?」
「ん? 大丈夫。ほとんどなんにもしてないの」
顔を上げた松崎の鼻筋に月光が当たってきれいな孤を描いた。
絞ったハンカチがあてられて優しく皮膚を拭っていく。
わたしはそんな光景を指を咥えるような心境でただ、ぼーっと眺めていた。
「躰は拭かないで。もう乾いたから」
「あとでシャワー浴びるとね、ぬるぬるなんだ」「会えないときはずっーとそのままにしておきたい」
躰全体からオーラを発しているように、目がきらきら輝いて本当に嬉しそうだ。
立ち上がった二人がそっと寄り添って口を合わせる。
「どうしたの? 黙っちゃって」
「……感激しちゃって言葉が出ない…」

松崎の頭からワンピースを被せ、身嗜みを整えた二人はゆっくりと歩き始めた。
その後を少し離れてわたしも再び後を追う。足がよろけて思わず音を立てそうになってひやっとした。ショックと疲れでわたしはもう帰るつもりだった。これ以上の刺激には耐えられそうもなかった。二人は公園の樹木の向こう側、正面に見えるマンションには向かわずに駅に戻るように草地を横切った。

改札の向かいにあるコンビニの明かりに吸い込まれるときに、松崎の腰に廻した寛の手が一瞬、開いて手を振るように動いたような気がした。遠かったし一瞬のことだ。目の錯覚かもしれない。
じゃぁね、寛、また。祈るように踵を返した。
無機的な照明のなかを、前を行く人がシュルエットに暗く翳って、フラッシュバックのようにその光景が再現された。
もしかしたら寛はわたしに気付いていたのかもしれない……。
わたしは水槽の底に下りていくような下りのエスカレーターの微かな振動に揺られながら、疲労と安堵がない混ぜになった余韻に浸っていた。

携帯が震えて、取り留めのない想いが断ち切られた。
母だった。喧しい。思わず耳に当てる角度を調節した。どこにいるの? と訊かれ、答えると案の定買い物だ。ご飯炊くのが面倒だから蕎麦にしようとしたら葱がなくて、葱なしの蕎麦など食えるか! と父から言われたから葱お願いということらしい。寛だったら生山葵もよろしく、ぐらい言いそうだ。そう思ったら、思わず笑いが込み上げた。

ブラのホックが外れたままだから胸の据わりが悪い。身体が動くたびに揺れるから外からわかってしまいそうで少し心配になった。電車は空いていたがなんとなく人の近くに座るのが嫌で、わたしはずっとドアに寄り掛かって立っていた。
サマージャケットの胸元を少し神経質に掻き合わせる。わたしは地下を轟音と共に驀進する暗いガラスに映った自分をぼんやりと見ていた。

葱を籠に放り込んで、山葵を探す。
売り場の端の方でステンレスの皿で氷水に浸かった薄緑の根っこを発見した。値段を見てびっくりしたが、迷わずいちばん大きそうなものを選んだ。
店を出て、気温が落ち始めた夜気のなかを掻き分けるように歩き出す。
天頂に輝く満月が下界を歩くわたしの道筋を白く照らし出していた。

後ろから肩を叩かれて飛び上がった。
恐々、振り返ると、のっそりと父が立っていた。
「もう! びっくりさせないでよ」

父はわたしと並んで水の底のような夜を黙々と歩いていた。
「ねぇ、心配だから迎えに来てくれたの?」
茶化すように問い掛けると、父は押し黙ったまま月を見上げた。
「山葵、買いに来たんだよ」
その手を取って、ごつい指を無理やり広げる。思ったより温かかった。
「持たせてあげる」
わたしはその指に葱と山葵の入ったスーパーの袋を括りつけた。

『春から夏へ−4』(続く)


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