春から夏へ 6

「寛は見たの? その写真集。もう届いたの?」
「あぁ、一昨日。一応、チェックしてくれって頼まれたから」
「松崎先生に?」
寛は黙って頷いた。
「仲、いいんだね、先生と……」
癪に障って、つい言うつもりのない言葉が漏れてしまった。
慌てて失言を取り繕う。
「その、写真集、どうだったの?」
「中身?」
「やばくなかったの?」
「見てみる? 一応コピー持って来たけど……コンピュータ室開いてないよねぇ」
瞬間的にチャンスだと悟った。
「あの……帰り…うちに来ない? 見せて……」

自分でもびっくりするくらい自然な口調で言えた。
寛にあっさり、いいよと言われたときには有頂天になって飛び上がりたい気分だった。
その日は授業が終わるのが待ち遠しくてすべてが上の空。自然と笑いが漏れてしまう。
駅を降りて並んで歩く帰り道では、部屋を掃除したのはいつだっけ? にはじまり、変なものが出しっ放しになっていないか、お茶? ご飯? はどうしよう、何に着替えよう、と頭はフル回転で爆発しそうだった。
あっという間に通り沿いの店が見えてきて、機転を利かせた寛が手前のコンビニに寄ってくれた。
「ちょっと飲み物買ってくから。先行ってていいよ」
「うん。直接三階に上がって」
彼が自動ドアに吸い込まれると、わたしはばたばたと走り出した。

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「着替えるからこっち見ないでね」
「うん。大丈夫」
あっさり向こうを向いてしまう寛をちょっとつまらなく思いながらも、わたしは着替え始めた。着替えるものは帰り道、クローゼットの中を思い浮かべながら必死で考えた。
白と明るいブルーのアンサンブル。下は明るいグレーのフレアスカート。膝上だけどミニというほどではなく、でも、生地が薄くて涼しいやつだ。
タイを引き抜いて、ブラウスのボタンを外す。制服のスカートを落とす。
見られてはいないと分かっていても緊張が全身を貫く。
ソックスを脱ぎ捨てて着替える服を取り上げながら、そっと寛の方を眺めた。

バッグからCD-ROMを取り出した寛が片手を伸ばしてちょうど脇机のパソコンの電源を入れたところだった。パソコンが微かな唸りを上げてグリーンのLEDが点滅しはじめた。
「およよっ!」
という声を聞いて、わたしは寛を振り返った。
別にこちらを見ているわけではなかった。彼はパソコンの液晶画面を見ている。
黒っぽい壁紙。わたしが撮った……。
しまった!
頭が燃え上がった。

わたしは彼の脇にすっ飛んで行って、身体を寛とモニターの間に割り込ませようとした。
彼の肩にぶつかって、両手を差し出して画面を覆った。
「だめ〜。見ちゃだめ」
躰全体で彼の視界を塞ぐ。
彼の目がびっくりして点になった。
「うん。こっちのほうがいいや」
彼の目線を追ってわたしはもう一度悲鳴を上げた。
わたしはブラジャーとショーツしか身に着けていない。
その下着姿を彼の目の前15cmに包み隠さずさらけ出していた。

慌てて胸を両腕で抱き隠した。その場にしゃがみ込もうとする前に腰にすっと腕が回された。えっと思う間もなく背中に手を当てられて、裸の腰が軽く引き寄せられた。
わたしはすっかり動転してしまって、何がなんだかわからない。
抱きかかえられるように引き寄せられると、当初の目的を完全に忘れた。
「ふ〜ん」
いつの間にか寛の視界を塞いでいるはずの身体は脇に寄って、モニターが丸見えだ。
「撮られた憶えはないなぁ。いつ? これ」
モニターを見ている彼の視線を手で塞ぐ。遊んでいるように彼が首を動かして、それに合わせるように私の広げた手が宙を舞った。
全然、埒があかない。思い余って彼の両目を両手で塞いだ。
なんて大胆なことをしているのだろう。自分で自分にびっくりした。
「ふ〜ん、そう来るか」
からかうような含み笑いが聞こえ、裸の背に当てられていた手の感触がふっと消えた。
次の瞬間、胸を締め付ける力が手品のように消えて、わたしはブラジャーを外されていた。

エッと思ったときには彼の目を塞いで突き出している腕の肘にブラが引っ掛かって揺れていた。
唖然として声も出なかった。
羞恥が全身を貫いて躰が一気に硬直した。
手を離したら見られちゃう、と感じる間もなく微かな空気の動きを感じた。
「うそ……」
穿いていたはずのショーツが足元で丸い輪になっていた。

しゃがみ込もうとする前に手首を掴まれた。
押えている目元からゆっくりと手が引き剥がされた。
伸びきった腕を外されたブラジャーが滑り降りて、椅子に座った彼の膝に瀕死の蝶のように羽を広げた。
顔が引き攣る間もなく手首を掴まれたまま後ずさる。
すぐに壁に踵がぶつかった。
手首が引き上げられて万歳するように頭の上で両手が交差した。
交差点を片手で押えられて、背伸びするようにわたしは壁に磔にされた。
凄い力。身動き一つできない。
のしかかるように立ち上がった彼に見下ろされて、わたしは声一つ出すことができなかった。身を隠すもの一つなく、剥き出しの躰が彼の前に余すところなく晒された。
気が遠くなりそうな羞恥と焦燥で腰の震えが止まらない。
目に掛かった髪を彼の指先が払った。
刺すような視線が目に突き刺さる。瞬き一つしない黒く深い瞳。底無しの黒。
目を離すことができない。
震えが全身を貫いて足に力が入らない。腰が抜けそうだ。
頬に触れた指先が滑る。顎、首筋、胸元……左の乳首がほんの一瞬潰れて背筋に電流が走った。乳房全体を持ち上げるように手の平に包まれて鼻がつーんとする。
つうっと滑り落ちる感触。次に目指すところがわかって心臓がバクバクと破裂しそうに早鐘を打つ。指先が陰毛を掻き分けて、その指で触れられることを夢見た場所に埋まった。
喉から何かが込み上げて、目頭が熱く曇る。
寛の顔がゆっくりと近づいて傾いた。
鼻と鼻がぶつかって、唇が唇に触れて、舌先が歯の間に躊躇いがちに侵入してきた。

どのくらいの時間が経ったのか。
5分? 30秒? いや、ほんの数秒かもしれない。
手首を押さえつける感触と濡れた股間に埋まった感触が同時に消えて、唇が離れた。
わたしは喜びを表現しようと一生懸命寛に笑いかけた。
彼の指先が引き攣った笑顔を浮かべているはずの頬に軽く触れた。
指先で涙を拭われて、わたしは初めて自分が泣いていることに気付いた。

わたしは前を隠そうともせずに茫然と馬鹿みたいに突っ立っていた。
床に落ちた下着を寛が穿かせてくれた。胸にブラジャーがあてがわれて元通りにホックが止められる。え、まだ、そんな、待って……、もちろんそんなことは何一つ声に出して言えない。
されるがままにクローゼットの前に置いたシャツとスカートまで着せられて、最後に髪を軽く整えられた。失望と安心。そっと肩を抱かれて麻痺した感情にゆっくりと血が通いはじめた。

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「なんでこんな中途半端な写真ばっかりなのかな?」
背後に重なるように小さな椅子に寛が座って、すぐ横に寛の顔があった。
強烈な意志をもって画面を見詰めるけれど、どきどきで心臓が喉から飛び出そうだ。
「これはだから需要調査みたいなものなんじゃないかな」
「?」
「つまりどのくらいの人が興味を示すかっていうのと、個人情報の入手が主眼なわけ。手間は別としても送料や経費を引くと一枚当りせいぜい600円くらいじゃない、純益。百枚売っても6万にしかならない。だから、次は掲示板に広告出さないで、直接黙って買いそうな奴にメールすると思う。買ったことを回りに吹聴しなさそうな奴を選んでね。中身も変えてくるだろ。もっとやばいのに。その代わり売値も10倍とかね」
「う〜ん、そっか。慎重だね」
「ああ。というか賢いね。露見しないよう手順を踏めるというか……」

「最終的なターゲットは生徒じゃなくて教師なんじゃないかな。大川とか平野とか、松崎に興味を持ってる男。5万とか10万とか平気で出せるだろ、あいつらなら」
「最悪じゃん。それ」
「そうそう。どこまでのネタを持っているかにもよるけどね……」
「もしもあいつらの手にそんなのが渡ったら、それをネタに松崎を脅迫するんじゃないかな。その、……躰目当てに」
「最悪のケースだけど、十分考えられるかな」

「でも、平野とかあいつの取り巻きとか、あるいは松崎を快く思わない女って線はないかな?」
「う〜ん、教師だったら直接松崎に手を出すと思うんだ。掲示板なんかに貼ったら警戒させるようなもんじゃない。女っていう線は正直わからない。気に入らないからってそんなことする?」
「そうか。女だったら腹いせにもっとえげつない写真、いきなり貼りそうだよね。やっぱ男かぁ」
「ねぇ、寛は誰だと思うの?」
「カメラ、それも望遠レンズがきちんと使えて、インターネットに詳しくて、ある程度パソコンが使える奴。男だとは思うけど、可能性としては限定しきれないというか、怪しいのが多過ぎてお手上げに近い。三年とは限らないし。二年生とかだとクラブで知っている人間しかわからんし……」

挿絵6

『ポートレイト』

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「でも、綺麗だよね。先生」
寛が喜んでくれるような気がして一生懸命松崎を誉めている自分がいる。
寛に穴が開くほど見詰められて、俯いてしまう。
「これで撮ったの?」
顔を上げたところで軽快な電子音が聞こえた。
「だめ〜」
机の上に置いてあったわたしのデジカメ。慌てて髪を整えて身嗜みに目をやる。
「ん? そのままでいいって。十分かわいい」
「でも……」
松崎の写真をさんざん眺めた後で、比較されるのはかなわない。
「おれも盗撮しようかな」
話しながらも角度と距離を変えて、寛はシャッターを押し続ける。
「わ、わたしを?」
「もちろん。俺も壁紙にしようかと思って」
意地悪。
「だって、撮ってもいい? なんて訊けなかったんだもん」
「じゃあ、おれも」
「別に盗撮しなくても、普通に撮っていいよ」
「なんだ、じゃあ、さっき撮っておけばよかったな」
寛がカメラの背の液晶から目を離した。
「さっきって?」
「そこに立っていたとき」
意味がわかって顔が火照った。
寛がぐるっと部屋を見回して、立ち上がって手を引かれた。
「じゃあ、こっち。ここに座って」
明るい窓際のベッドに腰掛けて、正面を向かされた。
「ちょっと待って……」
クロゼットの鏡で念入りにチェックする。おかしいところはなさそうだ。
ベッドの縁に腰掛ける。彼に向き直るとやっぱり気恥ずかしい。
スカートの裾を伸ばした両手で押さえつける。
力が入って思いっきり緊張してしまった。

「力抜いて」
モデルなんかしたことないから、そんなこと言われてもどうしていいかわからない。
「手は膝じゃなくて、ベッドカバーの上のほうがいいな」
「こ、こう?」
呆れた彼がやって来た。
突っ張った両手を軽く握られて、体温が伝わる。
そのまま少し後ろ気味なくらいの感じで手を降ろされる。肩を軽くいなされて胸が張った。
「小さくなるよりこうした方がずっときれいだよ」
「でも、だって…胸小さいから……」
「そんなこと全然ないって。気にし過ぎ」
でも、やっぱり……夕実や松崎との差はよくわかっているつもりだ。
彼の手が離れると肩が窄まって元に戻ってしまう。

「じゃぁ、一緒に撮ろうか。これセルフに出来るでしょ?」
え? 一緒って、並んで? え? ツーショット? ダメだ。頭が廻らない。
彼の顔が曇った。
誤解された? 慌てて無理やり笑顔を作る。
本当は嬉しくて嬉しくて飛び上がって悦びたい。でも躰が云うことを利かないのだ。
馬鹿みたいに頷いて意志を伝えようとする。
寛が笑った。よかった。
無言で手を差し出すと彼がカメラを載せてくれた。
「リモコンがあるの」
リモコンモードにカメラをセットして、机の上のリモコンを彼に手渡した。

嬉しさと気恥ずかしさが躰を包み込む。
カメラを机の上にセットして左側に並んで座った寛に心もち寄り掛かる。ピッと音がしてシャッターが下りた。
右の肩をちょっと抱かれただけで崩れ落ちそうな幸福感が駆け抜ける。
「ちゃんと笑ってる?」
寛が上からわたしの顔を覗き込んだ。
頷くのが精一杯のわたし。
「もうちょっとこっちに来たら? かちんこちんだよ」
そんなこと言われても、もう、どうしていいのかわからない。
背中と膝を抱きかかえられて、彼の腕のなかにすっぽりと嵌り込んでしまった。
膝が立てられてスカートの裾がするすると滑り降りて太腿が露出してしまう。
「パンツ、見えちゃうって」
「べつに他の人に見せる写真じゃないからいいんじゃない?」
髪に顔を埋められて、耳たぶに息が吹きかかる。あっさり丸め込まれて頷いているわたしがいた。
結局、途中からわたしはすべての思考を放棄した。
彼に言われる通り、望まれた通りにポーズをとって、思う存分彼の胸に身を寄せて甘えた。透き通るような甘味にすべてを任せることの圧倒的な気持ち良さに翻弄されて浸りきった。
何枚の写真が撮られたのか。
寛がパソコンに取り込んだ画像を壁紙にしてくれた。
暗いブルーを背景に、寛にしがみついて抱きすくめられているわたし。胸元と太腿が白く浮き出ていた。あまりの気恥ずかしさに気が遠くなりかけた。

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もちろんわたしは肝心の時にうっかり泣き出したことを悔やんだ。
妄想の中で既にわたしは数え切れないくらい寛に押し倒されて、抱かれていたはずなのに。無理やり犯されるシチュエーションだって何パターンもあるのだ。それなのに、いざそれが現実になったとき、わたしはただうろたえて、取り乱し、何一つ思っていたようにはできなかった。
情けない。
キスもしたし、ほんのちょっとだけれど触ってもくれたじゃないか。
ふたりで写真も撮ったじゃないか。
わたしは落ち込みそうになる気分を必死に立て直した。

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狭い玄関に座り込んで靴を履いている寛の背中が青白い蛍光灯に照らされて白く浮き上がった。
ふいに、彼は松崎のところへ行くのかもしれないという疑念が湧きあがった。思いついてしまうと、さっきからの彼の言動がすべてそれを指し示している確実な、疑いようのない事実であるような気がした。
躰の奥底から苦渋と悔恨がこみ上げる。
「わたし、そんなに魅力ない?」
わたしは床に跪いて、大きな背中に抱きつくように腕を前に廻して躰全体を押し付けた。
靴紐を引き絞っていた彼の動きが止まった。
Yシャツの布地の乾いた匂いが鼻腔に広がった。押し付けた胸から心臓が低く脈打つ音が沈黙の中に響いた。

10秒、20秒、澱んだ空気の底で沈黙が続いた。
たっぷり一分ほどが経ったとき、首筋にしがみついたわたしの腕に彼の手が添えられた。
温かい手の平がわたしの腕を掴んで、擦るように滑った。引き剥がされまいと腕に力を込めて必死にすがる。しがみついたわたしを背中に乗せたまま寛が立ち上がり、わたしの裸足のつま先がすとんとフローリングの床についた。
ほどけた腕で再びしがみつこうとする前に寛の躰がくるりと回転した。
見下ろす顔。見上げるわたし。
逆光の陰の中で黒目が微かに光った。
彼の手がゆっくりと空気の底を泳いで頬に触れ、耳を覆った髪を後ろへ流すように押しやった。
「裸になれよ」
なみなみと湛えられたありったけの感情が縁を乗り越えて、静かにわたしを浸しはじめた。
魔法が掛けられたようにわたしは小さく一度頷いた。

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自らすべての服を脱ぎ、彼の目の前に恥ずかしい裸身を晒しても、わたしはもう泣かない。
彼の手が、唇がわたしの躰のすべてに触れて、愛しんだ。目を閉じると温かく透明な感覚が躰全体に広がった。寛が入ってきたとき、一瞬ひりひりするような痛みを感じたが、すぐに圧倒的な充実感と幸福感に呑み込まれた。寛を躰の最深部に受け入れて、包み込む。正確に、僅かな動きすら逃すことなく、一つになっていることの完全さを味わい尽くす。
そこを中心に蕩けそうな恍惚がじわじわと広がって、気が遠くなりそうな喜びがわたしのすべてを覆い尽くした。

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わたしの17歳の夏がはじまった。

『春から夏へ−6』(完)


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