桂川水系でいちばん大きなダム湖の湖畔に辿り着いたときには既に5時をまわっていた。予定を二時間近くオーバーしたことになる。バケツをひっくり返したような猛烈な雨で、視界が悪くてまったくスピードが出せなかったのだ。左は山、右は崖みたいなすれ違いも厳しい道で正直神経が擦り減っていた。ちょっと休憩ということだがもちろん外には一歩も出れないし、気の利いた店どころか人間の居そうな施設すらない。雨音とは別の地響きのような轟音を立てて満水状態のダムが全ゲートを全開にして正に言葉通り怒涛の放水をしていた。緊急放流の赤と黄色の回転灯が深い山峡に反射する。一定周期でサイレンが吼える。渓谷の深さは暗くて見えない。ダム湖の水面までも結構な高さがあるようだ。丁度運転席側の窓から右下にダムの堰堤が見えて放水口が白い飛沫を上げていた。耀子が観たがったので少しシートを倒して避けてやると、「凄い、迫力だねぇ」と身を乗り出して食い入るような目付きをしてはしゃいでいた。

薄暗い空気の中で、ほんの20cmほど前に白くて華奢な横顔を晒している燿子の目がくりくりと動いている。ドアに突っ張った真っ白な二の腕と、額から鼻、唇、顎、喉へと柔らかくてしなやかな曲線がお喋りに合わせて踊る。一瞬手が持ちあがりかけて硬直するほど見惚れてしまった。せっかくだから髪をかけて剥き出しになっている小さな耳にふっと息を吹きかけてやると、びくっと振り向いてくすぐったいよと口を尖らした。その瞬間、揺らいだタンクトップの鮮やかなブルーの襟元から真白い乳房が覗いた。

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Lontano profondo 2-1 『峠のむこう 2』

「あれぇ」「えっ?」
視線を追って一瞬で察知したらしい耀子の顔色がみるみるピンク色に染まっていく。
「なんでブラジャーしてないの?」
というのは言わずもがなだったか。弾かれたように勢い余って後頭部を天井にぶつけてしまったらしい。サンルーフの内扉のところだったのでまったく痛くは無いようだ。そういえば忘れていたなと初めて思い出したように内扉を開けた。少し車内が明るくなった。

「ごめん、不愉快だった? とんでもない女だと思ったでしょ」と首をすくめて聞くので
「いやぁ、全然」「一瞬だったから今記憶を再構成中だけど」
「美しかったです」と言うと耳朶まで赤く染めて両手で顔を覆ってしまった。

「一応、いつもしてる人と家にいるときは外しちゃう人がいると思うんだけど、私は外しちゃう方なの」
「女の子同士じゃ、こいつは淫乱か発情してんのかって思われかねないんだけど」
「夏休みで知ってる人が誰もいなくなっちゃったからさ、なんかこうすっかり気分が解放されちゃって」
「あ!忘れたって思ったんだけど、隆クン紳士だし・・・」
「気にするの忘れちゃったよ」
「まぁまぁ、忘れてよ」
と、照れ隠しのように盛んに弁明する。
「そりゃ、もったいないから嫌だなぁ」と言うと、「別にわざわざ憶えておくほどのものでもないよ」と笑い出した。

道は峠に向けて登り続けているせいか少し雨が小降りになって余裕も出てきた。変わりにガスがかかってきたのでフォグランプを含めて全点灯した。谷川とも分かれヘアピンカーブをいくつかこなせば峠だ。雲の上に出たのか雨音が止んで低くたなびくガスの海原を走る。ようやく分水嶺の峠に辿り着いた。

(つづく)


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