「どかなきゃダメか」
「目が醒めてるんだったらダメ〜」
「どうして?」
「恥ずかしいよ、どこ見てるの」
「いい匂いだよ、すべすべだし」
といいながら右腕を伸ばして耀子の腰を抱き寄せると「もう」といいながら顔を覆ってしまった。
「女の子の匂いがするよ」
頭を叩かれた。

「昔さ、高校生の頃」「友達の家に遊びに行くじゃない、女の子の」
「部屋にいくとたいてい洋室でさ、ベッドでさ、羨ましかった」
「なんで?」
「ふわふわなんだもん」「ベッドカバーもピンクとかで綺麗なの」
「せっかくだからさ、ベッドに寝ッ転がってカバーの下から枕引っ張りだして突っ伏したりしたの」「お、いい匂いがする、とかって言うとみんな怒ったな」
「いや、怒るっていうか、きゃぁきゃぁ騒ぐか、あかくなっちゃったりして」
「そりゃ、そうでしょ」「なにそれ、まったく」
吸い付くような皮膚に頬擦りする。
「くすぐったいよ。あたしは枕じゃないよ」
「うん、枕よりずっといいよね」と太腿にキスした。

結局、その日は一日中、朝の感触が忘れられなくて妙な一日になってしまった。頭の大部分は耀子のことで占められながら、敢えてまったく別のことをしているよなちぐはぐさ。触れれば落ちそうな花を目前にして目だけで愛でているような片手落ちな情態に陥っていたのだ。耀子もおそらく同じような感情を抱いていたのかもしれない。
「なに猫なんか撫でてんだろうね」
縁側でシロを間にはさんで二人で撫で上げる。四本の手で撫でられるシロはもう御機嫌だ。ほとんど恍惚状態で堂々と腹まで晒して万歳している。
「あたしたち何を我慢しているんだろうね」
「ほんとほんと」
「耀ちゃんもひとつどう? シロのお隣で」
「……」
ゆっくりと顔を持ち上げた耀子の目が濡れたように黒く光った。
「もうその手には乗らないよ」

「もやもやってしたものがね、このあたりにもやもやって横たわってるの」
「あ、おれもおれも」
「ふぅ、蕎麦でも食いに行こうか」
「えっ、いいねぇ。いこいこ」

1

Lontano profondo 4-1 『峠のむこう 8』

茶の間にいた母にそこの蕎麦屋に行ってくるから昼食はパスだな、と一言断る。じゃあ、ついでに祖母の分と二人分出前頼んできてと言われてしまった。サンダルをつっかけて外に出ると乾いた外気が眩しい。

「手、つないでいい?」
「おまえ、かわいいな」
「おかしい?」
「いや、まぁ、いいんだけど」
狭い町のことだ。誰も見ていないようでしっかり見ているものなのだ。三日後には噂になってるだろうなと一瞬考えた。人通りの無い白い道をぷらぷらと歩いて行く。北側の山脈にきれいに陽が当たっていて影が織り成す微妙な立体感が抜けるような空に映えていた。
ほんの5分ほどの距離にある蕎麦屋は高校時代の友人の家でもある。昔から入り浸っていた場所だが、当の友人は東京の大学に進学したので盆暮れぐらいしか帰ってこないのはお互いに同じらしい。まだ昼には時間があるから空いているだろうと、暖簾をくぐると「いらっしゃい」という声の0.3秒後に「あらぁ!」と喜声をあげられてしまった。友人の母親である。窓際の席に行こうとすると「こっちこっち」と座敷を指し示す。そのとき後から入ってきた耀子に気づいたらしく、もう一度「あらぁ!」とでかい声が聞こえた。

(つづく)


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