蔵と離れの間を通って裏木戸をくぐるとすぐに河原が目に入る。生ぬるい夏の夜の湿気の中でちょろちょろと流れる水音が少し近づいた。目の前に月明かりに照らされて薄白くて色の無い世界が開けていた。たいして落差の無い堤防の下草を踏みつけて白っぽい石と黒っぽい砂でまだらになった河原に降りていく。踵が高くて歩きにくそうなサンダルを履いている耀子が「待ってよ、サンダル脱ぐから」と手を引いた。50mほど離れている橋の街灯がオレンジ色に輝いていたけれど、田舎町だからこんな時間に走る車はなかった。少し回りこむように高さ1mほどの岩の上を伝いながら水際へ近づいていく。板状になった座り心地の良さそうな岩を見つけて最後の岩に耀子を引っ張り上げてやる。平らな岩の端を洗うようにして黒い流れが月の光を受けてくねくねと渦巻いていた。

「気が狂いそうな光景だね」
少しの間、月を見上げながら耀子が呟いた。
裸足になって取り敢えず足を突っ込んでみるとせいぜい30cmくらいしか水深がないようだ。思ったより冷たくて気持ちが良い。耀子もおっかなびっくり足を水につけながら「けっこう、流されるんだね」と感心したように呟いた。「こけるなよ」と手で水をすくいあげて耀子の剥き出しの腕にかけてやる。火照った肌がきれいに水滴をはじいた。「私もやってあげるよ」と言いながらいきなり頭のてっぺんにかけられたので、当然のごとく反撃だ。川底は一抱えほどの石がごろごろしていて動きにくい。息が切れて、二人ともほとんどずぶ濡れになってようやく休戦が成立した。

3

Lontano profondo 4-3 『峠のむこう 10』

足を水に突っ込んだまま岩のベンチに腰を降ろすと、目の前で昨日買ったばかりのサマードレスに身を包んだ耀子が全身に月の光を浴びて立ち尽くしていた。濡れた生地がぺったりと肌に貼りついてパンツが透けて見える。ゆっくりと振り向いた耀子が触れるか触れないかの距離に同じように腰を下ろして「夢に見そうだね」「これって現実?」と後ろ手をついて月を見上げた。きれいに盛り上がった胸のふくらみの頂上が尖って暗く透けている。
「濡れちゃったねぇ」
首筋に貼りついた髪を指で揃えてやる。もし、目を瞑ったらキスしちゃおうかなと待ち構えていたらしっかり目が合ってしまった。
「目を瞑るといけない予感がしたんだけど」
「今夜もいい勘してるねぇ」
「そのまま開かなくなっちゃいそうだから」
少しほっとして、少し落胆してそのまま仰向けに転がると十三夜くらいの月がほぼ天頂にかかっていた。ゆっくりと耀子が振り返って上から覗きこむので月が隠れた。逆光を浴びて髪が金色に揺れている。そっと右手を伸ばして頬に触れると目が少し潤んだように光った。

「水は花が落ちてこないかと待ち侘びているわけだ」
「どうせ流れるなら花と共に流れたいってさ」

「花だって澱みで腐らないで、水に乗って流れたいのは知っているでしょ?」

「一分だけ好きにさせて」「昨日の一分の代わりだよ」
「気持ちが真っ二つに引き裂かれるようで気が狂いそうだから」
耀子がゆっくりと胸の上にのしかかってきた。胸板の上でゆっくりと耀子の胸が変形していく。「恥ずかしいから目を瞑って」と言うので、その通りにすると微かな吐息と共に唇が合わされた。そのままゆっくりと舌がお互いを弄り始め、耀子の背をそっと抱いてやる。片目が薄く開いてまた閉じた。こういう場合、一分をどうやって測ればよいのだろう。背に回した腕に少し力を込めながら絶え間のない水音を聞いていた。

首を動かしたら耀子の目が少し開いた。
「息ができないよ」
「鼻で呼吸すればいいじゃない」
そりゃそうだ。
「もう一分経ったんじゃない?」
「もう少しだけ……」
のしかかってくる耀子を抱きかかえて、ふたたび明るい闇に落ちていった。

(つづく)


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